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誰かの許可なんていらない

最近、noteを頻繁に投稿するようになってから、

前より格段に、自分を客観視できるようになったと感じている。


とくに、「~ふうに思った。」みたいな記事を書くときには

自分の感情を言語化する作業が必要になるから、必然だと思う。


すると、

自分には

「やりたいことをやることに、無意識に誰かの許可を求めている」

という思考の癖があることに気が付いた。


何かを「やりたい!!」と思ったと同時に

急ブレーキをかける感じで

「やっていいのかな?」みたいな、よく分からない不安感を感じる。


つまり、自分に対してやりたいことを100%やる許可ができていなかったということ。

誰かが「やっていいよ」というのを待っているということ。

自分に、妥協することを課していたということ


これは、僕が小さいころから、

母親から

「あれやるな」「これやるな」というふうに

やることのほとんどを口出しされていたからだと思う。


やりたいことをやろうとしても、だいたい「やっちゃだめ」と言われるから

「やりたい!」と思ってやろうとしても

「また、だめって言われるかな」

というような思考回路に自然となっていったのだと思う。


僕が本当にやりたいことのほとんどは、母親からの許可がおりなかった。

だから、毎回妥協して、行動をしていたのだ。

本当にやりたいと思ったことを、100%そのまま行動に反映させた経験があまりない。

そして妥協することが、癖になっている。

例えば、レストランのメニューを選ぶ際にも、どうしても1番食べたいものではなく、2番目、3番目くらいのものを選んでいた。

そして、あとから

「あっち(1番食べたかったもの)にしとけばよかったな」と後悔していた。


ただ、こんなことを続けていては、何年たっても理想の人生を生きることはできない。

だって、妥協癖がついちゃっているから。


この癖に気が付いてからは

妥協しない選択をするようにしている。


まずは身近なところから。


例えば、さっき例に出したレストランでメニューを選ぶときは

値段が高くても一番食べたいものを選ぶようにしているし

行きたいところがあったら、他の予定がない限り行くようにしている。


そうやって、「あれやりたい!」「これやりたい!」という気持ちに

少しずつでもいいから、素直になって行動していくことで

理想の人生を歩めるようになるのではないかと感じる


今後は、この「素直な行動」をもっと増やして、無意識にできるようにして

理想の人生を生きれるようになりたい。


「だれかの許可が必要」だなんてことは、単なる幻想だったのだ。


たとえもし、何かやりたいことをした後に「なんであんなことしたんだ?」と誰かに咎められても

あなたが、やりたいことを経験したことには変わりない。

だから、やっちゃえばいい。


やっちゃったもの勝ち、経験したもの勝ちのマインドで

どんどん理想の人生を歩んでいこう!
















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