見出し画像

拝啓 中島健郎さま

初めまして。
あなたのファンです。
ようやくお手紙を書く気持ちになれました。
そして、今も悲しいです。寂しいです。

2024年7月29日、私たち夫婦は、あなたのパキスタンK2滑落のニュースに衝撃を受けました。

・・・

私たちは夫婦で登山が趣味で、出会いも山でした。
登山を始めたタイミングもちょうど一緒で、その頃、健郎さんは日本テレビの番組「世界の果てまでイッテQ」で、イモトアヤコさんと一緒にイッテQ登山部でカメラマンとして活躍されておられましたね。
イッテQで健郎さんを知り、ファンになりました。
勝手ながら「健郎」と呼ばせていただいていたので、以下は健郎で書かせてください。

我々夫婦はあまりテレビを観ませんが、好きなテレビ番組はキーワドやタイトルで録画して愉しみます。
我々のキーワード録画における人物名は2名、「綾瀬はるか」と「中島健郎」でした。

もう本当に、健郎、大好きだったよ!
いつもいつも、常人では決して見ることができない素晴らしい絶景の数々を届けてくれてありがとう!!!

仕事とはいえ、辛い登山もたくさんありましたよね。
滞在期間が長くなればなるほど単調で寂しくなっていく山でのご飯事情や、景色を撮るがために山に滞在し、期間中は限られた装備の中で時間を忍ばないといけないこと、気温の変化に耐えること、特に極寒の中でのビバーグ、テントの中で足を伸ばして寝れないこと、早朝にかじかむ指をこらえてのロッククライミング、雪解け水の冷たい川を泳ぐこと、、、
でもいつも最後は笑顔で絶景を掴み、仲間に感謝して、山にも「ありがとう」と伝え、子供のように喜ぶ健郎を見れることを、ファンとしてとても嬉しく思っていました。
視聴者としては、ただただ「すごい」の一言で圧倒される映像の合間に聞こえてくる、健郎の素の言葉に、この人でも「こわい」「やだな~」「寒い」「(山頂が)遠い」って言うんだな~と、親近感を感じていました。
同い年で、同じように大学を出てから人生に迷う時間があったこと、そして健郎の関西弁が温かくて、まるで画面の中に友人がいるような気持ちにさせてくれました。

いつも楽しみにしていました。
健郎がまた山に登って、登山の様子が見れることも、景色を届けてくれることも。
この先もずっと、続いていくことだと思っていました。

でも、それは当たり前じゃなかったんだね。
奇跡の連続だったんだね。

パキスタンK2滑落のニュースから、石井スポーツのHPで救助を断念する公表があるまでの間、私たちは心配やショックで胸がいっぱいで、時間がとてもゆっくり、静かに、刻々と過ぎてゆきました。

ニュースを聞いてからはまず、生存の可能性を考えました。
アマチュア登山者レベルで知り得る限りの知恵を絞り、これまでの数々の映像から、健郎なら大丈夫なんじゃないか、というあらゆる可能性を考えました。
K2西壁の様子を調べたり、現地の気温を調べたり、滑落地点でどれだけの装備を持っていたかな、もしこれもあれも持っていたら、ロープは切れていないだろうから、そうしたら平出さんも一緒だし、おそらく大丈夫…などなど。
もしこの記事を読む方がいらしてご不快に思われることがないよう具体的には書くことを憚るくらい、いろんな可能性を考え、様々に思いを巡らせました。
そして、ご家族のことも想いました・・・

2024年7月30日、私たちは八ヶ岳の高峰「赤岳」の登山を予定しており、少し弾丸な登山計画を天候が雨予報の中、立てていました。
少し無理があるけどなんとかなるでしょう(だって、今までも何とかなってきたし、赤岳はこれまでも登ったことがあるから)、というプランです。
深夜2:00、出発時間。
健郎が私たちに、「やめとけ。」と言うのが聞こえました。笑

それで、赤岳登山をやめました。
やめたけど、でもなんか落ち着かなくて、八ヶ岳麓へは向かいました。
高速道路のSAで、石井スポーツのHPに最新の記事が更新されているのを確認。
「厳しい状況」とありましたが、私たちは信じたかった。

まだ、信じたくありませんでした。

その数時間後、石井スポーツのホームページにはアクセスできなくなりました。
現場の状況や救助について専門的なことを知らないファンとしては、正直、救助に時間がかかり過ぎていることにヤキモキしていて、同じ気持ちのファンは他にもおられるだろうと、そのためにいろんな意見が石井スポーツに集まってるのかな、それにマスコミも活発化しているかもしれない。だから情報源がパンクしてるのかなと思ったりしていました。
ホームページを見ようとしながらもアクセスできないので、私たちは救助断念の事実を知らずに一日を過ごしました。
そして深夜、とある地方新聞のオンライン記事で知りました。

石井スポーツのホームページにアクセスできたのは、それから数日経ってからです。まさか、あの日の午後15:00台の発表だったと知った時はショックでした。
なんとかならんかったか・・・!

それから1カ月が過ぎ、ほぼ毎日、健郎が届けてくれた絶景の数々を見ています。
NHKの「地球トラベラー」が始まった時、本当に嬉しかった。
健郎が出てる!レポートもしてる!!「はい、おはようございます!」
プロの経験則から、この場所のこの時間にとこだわり、見せてくれた景色の数々にどれほど魅せられたことでしょう。
本当に美しかった。
そして登山の様子から伝わってくる、健郎のキャラクター。
一緒に登るパートナーとの面白い掛け合い、みんなから愛されている様子、危険なシーンでも落ち着いてむしろユーモラスな様子、困っているのに困ってない感じ、よく笑い、うまい返し。
イッテQ登山隊の映像はさすがに若い(失礼?今でもまだ若いよね?)けど、若い健郎もあらためてみると、やっぱり、しっかり面白いね!!笑

もう本当に、健郎、大好きだったよ!
いつもいつも、常人では決して見ることができない素晴らしい絶景の数々を届けてくれてありがとう!!!
一生消えない感動をありがとう。

健郎は、いてくれるだけでよかったよ。
私たちに、同じ山を愛する者として健郎という人がいることを教えてくれて、ありがとう。

いつか帰ってきてよ!そうしたら、一緒に登山しよう。
その日を夢に見ながら、これからも山に登ります。
健郎を想いながら、登ります。

拝啓 中島健郎さま。
深いリスペクトと、最大限の感謝を込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?