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『短編小説』 氣

俊介は大きな病院の検査室の待合にいた。

慣れない大病院の慣れない雰囲気。

なんとなく程度だが、中途半端に騒がしい。

看護師さんも慌ただしく行き来する。

しかし、数日ぶりに外来の患者と一緒になると、下界を少し垣間見るようで、ちょっと嬉しかった。



伊藤俊介、51歳、メタボ体系のバツイチの独身貴族!?

都内某所でパートを2人を雇っている、作家兼講演家だ。

経営改善法の本を出版している。


今まで、本業であった経営コンサルタントとして延べ1千社の経営指導を行い、

その中で経験したことを日々ブログに書いていたところ、出版社より出版依頼を

受け昨年発売したのだった。

なので作家と言っても、本はまだ一冊しか出版していない。


ただ、運が良かったのか、たまたまその本が、有名YouTuberの目に留まり、

動画内で紹介されたことをきっかけに、一気にビジネス・経済部門で一位を

獲得することができた。

その直後には講演の依頼が殺到して、週に5日は講演をする日々となっていた。

もはや俊介の肩書きは、コンサルタントからメインは作家、講演家になっていた。


週5日の講演は、最初は初めてのことばかりだったので、楽しかった。

皆ファンの読者なので、俊介のことを”先生”と呼び、俊介自身も悪い気はせず、

そんな心地よい時間を満喫していた。


そんな日々が続いたある日の朝、ベッドから起きようとしたら、

腰に違和感を感じた。

起き上がることがとても辛い。

「どうしたんだろう。昨日までなんともなかったのに・・・。」

それにしても、腰に鈍痛が走る。

今日はこの後、事務所に寄って、資料を持って講演会場に向かう予定だ。


(昨夜も講演で、夜はファンとの懇親会があり、

いつもより少し多めにワインを飲んだが・・・・)


しばらく休んでいると、痛みが和らぎ歩けるようになった。

「気のせいだったのか・・・」

そんなことを考えながら、急いで事務所に向かった。


今夜も新たなファンとの会食だ。

好きなワインを飲み、饒舌になった俊介は、過去のことなどを

面白おかしくいろいろ語った。

ファンからは、面白おかしく語られる俊介の過去のクライアントの話が好評で

講演会よりも、懇親会に重きを置くファンも多く存在した。


そんな中、治療家と名乗る50代の女性ファンが、俊介の斜め前に座っていた。

彼女の名前は前田恭子。


前田 「伊藤先生、最近お疲れじゃないですか?」

俊介 「うーん、確かに最近ずっと講演と会食が続いていて、

   あまり休めてないですね」

前田 「そうでしょ。お顔が全体に浮腫まれてる感じがします」

俊介 「あー、お酒を毎日飲んでますからね!
    
   たまには休肝日を設けないとですね笑」


前田 「一度病院に行かれてみては?」

俊介 「僕は病院っていうところが苦手なんで・・・」


前田 「では先生、一度私の治療院にお越しになってください。

   先生でしたらもちろん施術代は結構ですので。」


俊介 「わかりました。その時はお願いいたします。」

と社交辞令をする俊介だった。



あれから1ヶ月


今日は、久しぶりのオフ。

俊介は、昨日のお酒が残らないように、昼まで寝ていた。

「お酒は抜けてるな」

ゆっくり起き出し、洗面台に向かう。

鏡を見ると、そこには・・・


「うわっ、いつから俺こんなに老けたんだ?」


そこに映った顔は、自分が認識している顔とは、

10年くらい経過したような自分の顔があった。

「目の下のクマもこんなにはっきりするくらいあったかな?

今度エステにでも行こう。」


そう思った時だった。


突然、息が苦しい!


どうしたんだ?

まるで、全速力で走った後のような苦しさ・・・・


吸っても空気が入ってこない!

「もしかして俺は死ぬのか?」


意識が薄れていく・・・・


はっと目を覚ますと、そこはベッドの上だった。


「俺は生きているのか?」


「ここは病院か」


まだ息は少し苦しい。


点滴が見えたことで、すぐにここが病院だとわかった。


看護師 「あっ伊藤さん、目覚めましたね」


俊介  「なんで俺の名前を?」

看護師 「伊藤さんの従業員さんが自宅で倒れているところを見つけて

    救急搬送されてきたんですよ。

    後ほど先生から説明がありますからね。」


    「従業員・・・・紗子か」

パート兼秘書の紗子こと藤森紗子、42歳バツイチで、元俊介のクライアント。

現在、副業が成功し、恋人である俊介の手伝いをしている。

俊介  「そうか、今日は紗子と午後から出かけることになっていたんだっけ」

今は、コロナの影響で面会は禁止。


(ん?)

枕元にあるスマホを見た。

紗子「もう、死んじゃったかと思ったよ!

   とりあえず命に別状はないって言ってたけど、

   心臓が悲鳴を上げてたって!

   コロナだから付き添いも面会も禁止だから帰るね。

   先生の説明聞いたらLINEして。」


今回のことで彼女は命の恩人にもなっていた。


ベッドでは下半身に違和感と鈍い痛みを感じたことが、

尿を出すカテーテルを入れられていたのだと気づくまで時間はかからなかった。


やがて、まだ若さが残る40前後の若い医師がきた。


医師  「伊藤さん、どうですか?苦しさはありますか?」

俊介  「少し苦しさはありますが、意識を失った時から比べたら、

     全然楽になりました。」

医師  「良かったですね。伊藤さんはきた時には、肺に水が溜まって

     呼吸ができなくなってとても危険な状態だったんですよ。

     詳しく検査してみますが、急性心不全で間違いないと思います。

     2~3週間の入院になります。」


と告げられた。


「俺が入院?

そうしてはいられない!

俺は人気講師だ!

一刻も早く退院しないと!

そうだ紗子に連絡しよう。」


「今、医師から説明があった。

2~3週間の入院だと言われた。冗談じゃない!

明日にでも退院許可をとってくれ・・・・」


紗子 「それは無理だよ。死にたいの?心臓だよ!

   講演は明日全部キャンセルする。

   無期限活動休止にします。あなたは治療に専念してください。」


その夜は、体の不安と今後の不安が入り混じり、朝まで眠れなかった。

翌日。

朝から検温やらなんやら忙しなく、気づいたらお昼前になっていた。

お陰様でその頃には、肺の水も尿で大量に放出されていたため、

呼吸も元のようにまで回復していた。

塩分制限のため味気ない昼食を食べ、午後は検査。

いろいろ調べた結果、梗塞や狭窄といった心臓病の主原因は無く、

僅か一週間で退院を迎えた。

ただし医師から、一度心不全になった方は、もう正常の心臓には戻らないので、

最発にはくれぐれも気をつけてくださいと脅された。


紗子が迎えに来てくれた。

車に乗り、紗子から 

「ちょっと行きたいとこがあるから付き合ってくれる?」

と言われた。

もちろん予定がないので、OKしたが、退院早々買い物とかは嫌だなと

内心思いつつ、車の向かった先は、とあるマンションだった。


隣接するパーキングに車を止め、紗子はマンションのオートロックの

イヤホンを押す。


「はーいどうぞ!」

どこかで聞いたような声だ!

中に入りついたところは、インドのカレー屋のような匂いのする部屋だった。


中から「お久しぶりです、先生。」と・・・

「あなたは確か・・・・」

「先生のセミナーの懇親会でお話しした前田です」

思い出した。

治療家だった・・・・


「先生、どうぞ」

なにやら不思議な空間だ。

「今から先生の体をスキャンしますね?」

は?・・・・

なにを言っているのかさっぱりわからなかった。


「そこにお座りになって、軽く目を閉じていてください」


言われるがままにした。

数分が経った頃であろうか、突然前田が低い声で話し始めた。


前田 「先生、この度は大変でしたね。以前私が心配ことが的中しましたね。

     先生はなんでこの病気になったかわかりますか?」


俊介 「いや、正直わかりません。ただ暴飲暴食してたことは否めません。」

前田 「はい、暴飲暴食ですね。その暴飲暴食はなんでされたかわかりますか?」

俊介 「暴飲暴食の意味?意味なんてあるんですか?」

前田 「はい、人の行動には原動力があります。

    その原動力となるものを深掘りすることが、病気の原因を知る

    糸口になると思います。原因を知ることにより、再発を防げたり、

    もしかしたら病気が完治するかもしれないんですよ。」

俊介 「え?では前田さん、病気は原動力となる”思い”にある

    と言うことですか?」

前田 「そうです」

俊介 「そんな馬鹿な!生活習慣や体質ではないって言うのですか?」

前田 「生活習慣や体質も一因です。

    ですが、もっと大元の意識がそういった生活習慣や、後天的な

    体質を作り出していると、私は考えます。」

俊介 「いやー、びっくりして頭の整理がつかないです。」

前田 「確かに私の申し上げることは、一般論ではないです。

   ですが一般論が正しいということはないと思います。

   私は、病気の根底には、人の意識が関与していると思っています。

   その意識の素になっているのが「気」だと思います。

   ”気”って感情や気候や動作など様々なことを表す言葉に使われますよね?」

俊介 「元気とか?」

前田 「そうです。勇気、やる気、根気、覇気、本気、天気、空気とか、

    まだいっぱいありますよ!陰気、浮気、とか?」


俊介 「本当だ、いっぱいありますね。」

前田 「その”気”が病むから、病気なんです。治れば元気!」

俊介 「本当だ!快気も。」

前田 「そうです。そもそも”気”は元々は”氣”という感じだったんです。

    戦後GHQによって「気」に変更されたと言われています。

   ”氣”が使われていた時、米は末広がりに八方向に広がることを意味して

   いて、エネルギーは全身から放出されると考えられていたそうです。

   それを〆たことで、日本人の本来のエネルギーが低下し、病気も増えた

   と言われているのです。 だから、どうして病気になったのか?

   ”気を病ませた原因”はなんだったのかを考えていきましょう。」


俊介 「そうですね・・・」

前田 「では、まず先生はよくお酒を飲まれますよね?」

俊介 「はい、大好きで、つい飲み過ぎてしまいます。」

前田 「どうして飲み過ぎてしまうのでしょう?」

俊介 「うーん、どうして?

   お酒を飲むと不安が薄れて、愉快な気分になるし・・・」

前田 「それです!不安です。先生のセミナーを拝聴して気づいたんですけど、

   先生はいつも「そうならないため」「「失敗しないため」「後悔しないた

   め」って、とても堅実で慎重なのはわかるのですが、

   ちょっと慎重過ぎかなって感じてました。」

   「あっごめんなさい。」


俊介 「いいんですよ、実際僕はとても不安症で怖がりですから。続けて。」

前田 「治療家なので、ちょっと東洋医学的な見地で言わせていただくと、

    先生の病気は心臓でも、心不全ですよね?」

俊介 「はい急性心不全でした」

前田 「おそらく心臓自体に問題があるわけではないと思えます。

    実際に2~3週間の入院と言われたのに、僅か1週間で

   退院できたのも、心臓自体に原因がなかったからと推察できます。

   東洋医学的に心臓と関わりが深い臓器は腎臓と言われております。

   先生と以前お会いした時に、先生の目の下のクマと目の下のむくみ、

   あと全体にお顔が黒ずんでいたような感じがしたので、私は腎臓が

   かなり疲れていると感じ、受診をお薦めしたのです。」


俊介 「腎臓・・・
   
    あっ確かに倒れる一月前に腰の内側が痛くて起きられない時が

    ありました」


前田 「そうだったのですね。そこで腎臓はこれは医学的見地ではないのですが、

    怖がり、不安症の方が病みやすいと言われているのです。

    どうやら、糸口が見えてきたような気がしますね?」

俊介 「ちょっとちょっと待ってください!私の病気は元は怖がりだからって

    ことですか?

    でも、確かにおばあちゃん、昔の人にしてはとても怖がりで、よく

    戦争を生き抜いたなって思っていたんですよ。

    しかも晩年は持病の糖尿病が悪化して腎臓透析していたんです。

   父からよく、お前はおばあちゃんそっくりだなって言われていました。」

前田 「どうやら、原因は先生の内側にあったってことではないですか?」


俊介 「なんと申し上げて良いやら、、
 
    でもそう理解したほうが辻褄が合うようですね。」

前田 「先生、生意気なようですが、もう一つ言っていいですか?」

俊介 「どうぞどうぞ。」

前田 「では、先生。

   不安症や怖がりが悪くて病気になったと思っていると思います。

   でも、違うんです。不安症、怖がりは確かに一因なんですが、

   その性格は決して悪いわけではないということなんです。

俊介 「どう言うことですか?」

前田 「その性格が仇となってしまったってことなんです。」

俊介 「もう少し具体的にお願いします。」

前田 「はい。不安症もよく解釈すれば、慎重ですよね。

    無理をしないとか暴走しないとか。ですが過ぎると、

    不安過ぎで依存してしまうということが起こるのです。

    先生の場合はお酒。それが人であったり、甘いものであったり、

    薬物だったり、不思議と体に悪影響を及ぼすものに依存する傾向が

    あるのです。もしそれが、過ぎずに好転したら、先生のような堅実な

    経営指導者になれるのだと思います。

    違いは、『依存するかしないか』です。

    依存は他責思考とも言われています。

    他責思考とは、人生を他人のせいや、他人に助けてもらうことばかり

    考えて、与えるのではなく、『頂戴』という思考です。

    そこから抜け出せる思考はまさに!『自責思考』です。

    全て自分の蒔いた種、自分を救えるものは自分だけという考え方です。

    もちろんアドバイスやサポートは求めてもいいと思います。

    ただそのアドバイスを実際に行動できるかが大切なんです。」

     
    「先生?」

俊介  「はい。」

前田  「依存しないで、自責思考になれますか?」

俊介  「うーん、いきなりは難しいけど少しずつではダメですか?」

前田  「ちょっときついことを言わせていただきますが、行動する前から

     難しいという人は、絶対にできません。

     それは自信がないからです。自分を信じられない人は自責思考には

     なれません。残念ですが、私の力ではこれ以上先生を導けません。」

俊介  「ちょちょちょっと待ってください!見捨てないでください。」 


紗子  「はー、ここまで甘ったれとは思わなかった!見捨てないでって・・・・

     まだあなたは他人に助けを求めるの?

     
    「前田さん、もうこの根性なしの意気地なしはもう放っておきましょ
   
     う。」


俊介  「紗子!わかった、やるよ!やらせてください!」

紗子  「前田さんどうします?」

前田  「先生、最後に一つ聞かせてください。

    先生、今回病気になって失ったものはなんですか?」

俊介  「うーん、時間かな?あっ、あとセミナー代金。」

前田  「そうですね。でも、逆に得たものはなんですか?」

俊介  「そうですね。病気の根本的な原因を知れた。あとは

     不安症解消できる方法。それと病気の再発予防の知恵ですかね?」

前田  「素晴らしいですね!

    では失ったものと得たもの、どちらが今後の人生に必要でしょう?」

俊介  「そんなの決まってますよ!得たも・・・・あっ!」

前田 「ふふふ。先生、病気はなんでしょうか?」

俊介 「病気は辛く不幸だとずっと思ってきた。

   大好きだったおばあちゃんも透析で辛そうだたし、可哀想だった。

   だから絶対病気は不幸って思ってた。

   だけど、自分が病気になってみて、失うものよりかけがえのないものを

   得られるものって感じた。そのかけがえのないものは!

   気付き」だった・・・・

     やっぱり「気」だった・・・・


前田 「先生のお婆さまは、本当に苦しんでいたのでしょうか?

         もちろん肉体的な苦しみはあったでしょう。でも、得たものも

    多かったのではないでしょうか?」


俊介 「今、思い出した。おばあちゃんが亡くなる数日前に、

    親父が欲しいものはないかって聞いたら、おばあちゃんが

  「なんもいらない、もう全部持ってるから」って言っていたのを

   今思い出しました。おばあちゃん、気づいてたんだ、必要なものは

   全部あるって!」


前田 「先生、おばあさんが、きっと喜んでおられますね。」

俊介 「おばあちゃんありがとう」

   「あっ」

紗子 「何?まだあるの?」

俊介 「こんなことってあるんだな・・・

   今日はおばあちゃんの10年目の祥月命日だった。」



その時、窓からフーッと春の風が吹き込んだ。

     

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