毒父と学歴とブス子

私が赤ん坊だった頃に離婚した父は、学歴コンプレックスの塊であった。

父の浮気で両親が離婚したのだが、父が私の親権を主張して調停が紛糾したくらい、父は私に執着していた。

そういう訳で父はちゃんと養育費を母に払っていたので、面会交流はちゃんとしていた。その人が自分の父親だと知らないままに。

母が再婚する前に父が再婚したのだろう、父に会うことはあまりなくなった。

その後、私が制服がなくて徒歩でも通える、県内屈指の進学校に合格したときには久しぶりに会った。そして、入学式に着られるような服を一式買ってもらった。その時には、母には再婚した夫がいて、しかも私と養子縁組をしていたので、不思議な気分であった。

その人が自分の実の父親だとすら知らなかった。 
それを知ったのは、母の2回目の離婚後、自分の高校2年生の二学期であった。
毎月呼び出されるようになり、私の学費と通学定期代、小遣いを直接手渡されるようになった。

大人になってからわかったこと。
父が母に、「いい高校の近くに住んでいるんだから、その高校に入れろ」とプレッシャーをかけていたこと。 
更にあとからわかったことは、高卒の父は、本当は大学に行きたかったこと。大学に行きたかったけどサラリーマンになりたくなく、一国一城の主になりたかったので、高卒で板前の修行に入ったということであった。なんだか筋が通っているのか支離滅裂なのかわからない話であった。職人として一流になってからも、学歴コンプレックスは解消されないままだったようだ。

それだけなら別にどうでもいい話なのだが、困ったことに、自分の学歴コンプレックスを私の学歴で解消しようとしていたのである。だから父は、私にいい高校からいい大学に行かせることに執着していたのであった。迷惑なことこの上ない。
  
合格したのが進学校でなかったら、合格祝いもなかっただろうな、と思う。

家庭が同じ母だけでなく、家庭が違う父も、養育費を出すことを傘にきて遠隔操作(?)してきていたのである。通学に交通費がかからないことは母にとって良いことだっただろうが、実の父に「あいつは俺に似て頭がいいから」と言われたのが不愉快であっただろう。

私が大学受験に失敗したのも、私自身よりよっぽど父のプライドを傷つけたであろうことも想像に難くない。大人になってから「中途半端に勉強できたのがダメだったんたよ!」と怒鳴られたこともあった。


後々、父の兄が定年退職後に、私に行かせたかった大学の大学院に入学して学位を取った。
父もそんなに学歴コンプレックスがあるのなら、自分で大学の通信制でも何でも入学すればよかったのにと思う私は酷であろうか。



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