25分間、いろいろできる (1148文字)
自宅で勉強しようとして、車の走行音とか外で子供が遊びながら叫んでいる声をどうにかしたいとき、環境音としてYouTubeの「雨の音」を聞くようにしています。
勉強用の環境音には、他に風の音、波の音などいろいろありますが、私には雨の音がしっくりきます。
ところで、その雨の音の動画の中には、25分間経過すると自動的に5分間休憩するよう画面表示されるものがあります。
とりあえず、画面表示に従って5分間勉強を中断し、階段の上り下りや軽い運動をして水を飲み、5分後にまた机に向かいました。
このサイクルを繰り返しているうちに「25分間って、思いのほか長い。」ということに気がつきました。
大学の講義は90分間というのが一般的だと思います。高校や中学の授業は50分間くらいでしょうか。
そのため私は、大人になるに従って1回に集中する時間は長くなるもんだと思っていましたし、その集中時間は90分間を一単位と考えるべきだと思っていました。
だから、「勉強には継続した90分間を維持できるようスケジュールを確保する必要がある。」と思っていました。
短い時間でも、ホームで電車と待つ時間とか、交差点で信号が青になるまで待っている時間に、暗記カードを使ったり書籍のコピーを読み返したりといったことに使えますが、それらは「数分たりとも無駄にしたくない。」といた気持ちの現れであって、「数分間を最大活用しよう。」というものではありません。
ところが、「25分間勉強して5分間休憩し、さらに25分間勉強するというサイクル(cycle 循環)」を繰り返してみて、「25分間って案外長い」と感じます。
YouTubeの雨の環境音動画を使わないときは、キッチンタイマーで25分間を計測しています。
本を読んでいて、「かなりやったな。」と思いながらキッチンタイマーを見ると、「まだ10分間も経過していない。」ということがよくあります。
このことから、集中しているときの体感時間と、実際に経過した時間には差があることに気づきました。
「25分間」とは、「観たいテレビ番組が始まるまでまだ25分間ある。じゃ、テレビをタイマー起動するようセットして、録画してある番組を観ていよう。」と無駄に使っている時間です。
その時間は、真剣に本を読むとき、「かなり使いごたえがある時間」です。暇つぶしに録画番組を観るために消費していいい時間ではありません。
このことから、私が使っている腕時計の使い方を調べて(貰った時計なので、マニュアルが手元にありません。だからYouTubeで探して調べました。)、25分間のタイマーを使えるようになりました。
今更ですが、「日本のデジタル腕時計の機能は凄いなぁ。」と思います。