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パスワード ミステリにおけるハッキング手法の記述の倫理性(822文字)
かなり以前、パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズに夢中になり、当時販売されていた全巻を読みました。
その中で、主人公の検屍官ケイ・スカーペッタの勤める検屍局のコンピュータがハッキングされるという事件(物語としては単なるエピソード的なものでした。)がありました。
結局、検屍局のコンピュータ担当者が、コンピュータ出荷時に仮に設定されているパスワードを変更しなかったことから、容易にハッキングされたと分かります。
ここで私は「作者は、ハッキングというものをよく知らないのか、調べていないのではないか。」と思いました。
検屍局のコンピュータは、大型コンピュータではなくミニコンピュータのようです。ミニコンピュータは冷蔵庫くらいの大きさで、空調の効いたマシン室に置かれる大型コンピュータより扱いやすく値段も安いコンピュータでした。また、ミニコンピュータはユーザが自由に扱うので、うっかりとパスワード変更を失念するということは有り得るとは思います。
「しかし、そんな偶発的なことをミステリで描くだろうか。この本のメインとなる事件は周到な計画と異常性に溢れているのに。コーンウェルはこのハッキングの件に手を抜きすぎだろ。」と多少のガッカリ感も覚えました。
しかし、しばらくして「ハッキングの技術をリアルに描写すると、それを真似る奴が出てくるかもしれない。このミステリを読んだコンピュータユーザはその手口に注意するかもしれないけど、読んでいない人の方が多いだろうからそういうコンピュータユーザはハッカーのいい餌食になってしまう。」と考えました。
となると、ハッキングの技法など描写しないほうが社会的妥当性があります。
以上の考えに基づいて、私もコンピュータ出荷時のパスワードについてこの投稿には何も書いていません。
もっとも、パソコンが発達している現代にミニコンピュータを使う人などいないでしょうが。