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テレビの大食い番組って (992文字)
以前、故畑正憲(ムツゴロウ)さんの本を読んでいたら、大食い競争して胃袋を破った人がいたと書かれていました。正確には、ムツゴロウさんが大食い競争したという話を聞いたムツゴウロウさんの御父上(医師でした。)が、戒めのためにムツゴロウさんに語った話でした。
それで以前から大食いというものには命の危険を感じていて、テレビの大食い番組もほとんど観たことがありません。
そうしているうちに、ふと「大食いって生きるために食べているのではないから、食物を便所に棄てているのとあまり変わらないのではないか。」と思うようになりました。
ライオン等の肉食獣は、食べる分だけ狩りをして獲物をとり、必要以上には殺生しないということをよく聞きます。ライオンに大食い競争などはないでしょうから、食事量に個体差があるとしても、必要以上に食べるということはそもそもないのでしょう。
となると、必要以上に食べるという行為は、無駄な殺生に間接的に関与しているように思われて仕方ありません。
もちろん、日本にいる大食いの方々が日本の食料輸入量を押し上げているとか、日本国内の食肉処理量を増やしているとは思いません。
でも「ある人の{(大食いした分量)−(その人の必要な食事量)}が、地球上のどこかで飢餓に苦しんでいる人に分配されたらよかったのに。」と思います。
そして、たまにザッピング途中に大食い番組と出会うとよく聞くSE(sound effects 音響効果。食べ物を口に入れるときに入る「パクッ」という音です。)が鬱陶しいと感じます。
ラーメンをすする音とか、タケノコやレンコンの咀嚼音なら話はわかりますが、口に入れるだけの音を入れるのって編集ディレクターの安易な考えだと思えて仕方ありません。
映画もそうですが、テレビ番組も編集は制作者の文体と同じと言われています。そんな安易な文体の本を読みたいと思う本好きの人はどれくらいいるのでしょう。
年に1冊か2冊しか本を読まないという人なら、「そんなのどうでもいいや。」と思うかもしれませんが、そうでない人はきっと気になることでしょう。
故司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の中で、海軍士官二人が正月に餅を食べ比べて、結局その一人(秋山真之)の母親に大根おろしをすってもらうというシーンがあります。
私は、「大食いってそれくらいがちょうどいい。」と思います。