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学校は「失敗」する場所だ!何度でも不正解を積み重ねてこい!というのが学校の先生をしている夫の信念

学校の先生をしている夫です。

夕食時、夫がボヤいていたこと。
「最近の子どもは失敗することに慣れていないんだよね。
 失敗を重ねた末に成功が待っているはずなんだけどな。」

世間でいう、自尊感情の乏しさを話していた模様です。

夫の話によると、以下のような子どもの姿がみられるそうです。
●失敗することを極端に怖がっている。
●失敗することに不安・恐怖を感じるため、新しいことをすることに慎重になっている子どもが多い。つまり、挑戦できない。
(保守的ともいえるし、ビビっているともいえる。)

ここまでは、これまでも同じような姿があったにはあったものの、ここから先のことが、最近、顕著に増えているのだとか。

●一度、失敗すると、立ち直れなくなってしまう。
(一度の挑戦で成功する例の方が珍しいのに、自分の思い描いていたことができないと、立ち直れなくなる。)

→具体的には、過呼吸を引き起こす、失敗したときのことを引きずったままになり、次の行動ができない、その場に倒れる、保健室に急行する

●その割に、一度の成功で舞い上がってしまう。
●一度の成功が万事で、他の子どもを見下すような行為がある。
●逆に、一度の失敗で、何もしていない子どもたちから、嘲りを受ける。

これらのことから、
〇誰かが挑戦し、成功することを待つ。(ファーストペンギンにはなろうとしないし、ファーストペンギンになる子どもは決まっている模様。)
〇誰かの成功に続き、自分もやって、いかにも簡単だったかのように振る舞う。

かなり厳しい言葉を並べましたが、たぶん、事実です。
学校という場が社会の縮図になる、と聞いたことがありますが、最近の大人の世界のニュースのように、「誤りが許されない」風が学校にも吹いている模様です。

このようになると、子どもたちの思考は以下のようになるのだとか。
●学校の先生の指示があるまで動かない。(指示待ちの状態)
●指示があっても、誰か(クラスのリーダー役)が動くまで動けない。

つまり、マニュアルがないと動けません、
「1番ではなくていいんです、2番でいいんです」のような授業中も先生も子どもも膠着状態になることもよくあることなんだとか。

さらに、学校の先生も、先生の指示に従わない子どもを叱る場面も増えているようです。

そのせいか、普段、夫が向き合っている子どもたちの多くが「叱られない」ように、黙って見ていることが多くなってきたのだとか。

それも、幼少期から、少しでも先生や大人の指示から外れると、物凄く叱られた経験がトラウマになっているそうです。

これがエスカレートしているのか、最近の子どもたちからの質問や意見に多くなっているのが、
「テストはどういった形式で出題されるのですか?」
「テストは簡単にしてください。(でも、勉強はしません)」
→そもそも、テストのために授業をしているわけではありません、
 少しでも良い進路(の定義は何か、夫も分かりかねますが)に向かうための最短ルートを近道で進みたい、という姿勢が如実に表れています。
 
「先生の言った通りにしたのに、できないのはなぜですか?」
→これが「先生の教え方が悪いからできないんです。どうしてくれるんですか?」にもなるそうです。
「やってみてできなかったら無駄になるから、私はしません。」


夫はこのような子どもたちの姿勢に疑問を感じずにはいられません。
まず、そもそもの話になりますが、

学校は子どもたちが成長する場である

ということが夫の考えの核となるものです。

では、成長するためには何が必要か?
この答えは一つだけです。

できるまで繰り返しやってみる!

これに尽きます。

例えば、1歳くらいの赤ちゃんが、初めて「ハイハイ」から「つかまり立ち」をしようとするときを想定してください。

ほとんどの赤ちゃんは、最初から上手に立つことはもとより、立ち続けることはできません。

そのとき、その赤ちゃんが言葉を話せるとして、
「立ってみようとしたけど、できなかったから、もう立つのは止めた。ずっとハイハイでいい。進めるんだから。」

このように話したら、それこそ大きな成長は出来なくなるわけです。
何度も立とうとして転ぶ、
何とか立って、腕を伸ばしたら、バランスを崩し転ぶ、
このような経験を何度も繰り返して、ようやく一人で立ち上がり、歩くことができるようになります。

これは成長の過程で必ず必要なこと。
「失敗とは『諦める』『止める』こと。失敗を繰り返した先に成功は待っている。」
これしかないのです。


それが、学校の場になると、先生は「なぜ、できないの!」と子供を叱り、
子どもも「ごめんなさい」としか言えない構図が多々見られるわけです。

学校の先生の言いたいことも分からなくはありませんし、何度も同じことを繰り返す子どもを叱ってでもできるようにしたい、ということも理解できます。

ただ、子どもが成長するために必要なことは「経験」です。
その経験の中には、成功体験もあれば、失敗体験も当然、あります。

失敗した子どもに対し、単に答えを示すのではなく、
 どのようにすればできるようになるのか、一緒に考えてくれる、
 成功に向けて支援してくれる、
 失敗したって当たり前、何度でもやってみよう、と声をかけてくれる
そんな先生が一人でも増えてくれることを私は望んでいます。

学校の先生が多忙である、という記事は毎日のように目にします。
お忙しいことは重々分かります。

だからこそ、時には「指導する」という視点を変えて、
子どもたちと共に成長する、
その成長を一緒に喜んでくれる、

こんな学校の先生に私の子どもを預けたい、
妻の私の思いです。

それこそ、1度の成功がその後の子どもの成長に大きく寄与してくれますから。

ちなみに、夫も小学校低学年のときは勉強も運動も全くできなかったそうです。
それがある日、なぜか、担任の先生から授業の1時間目から6時間目までの全ての授業時間、褒められ続ける1日がたまたまあったことが人生の転機になったのだとか。

もっとできるようになりたい、
(というよりは、もっと褒められたいという承認欲求だったと思います)
その一心で、少しずつ勉強し始め、成績も向上したのだとか。

そんな偶然の1日だけで、何もできなかった夫はここまで変わりました。
夫はこの1日を今でも感謝していると話しています。

学校の先生は掛け替えのない職業だというのが夫の信念。
未来を創る学校の先生、ぜひとも子どもの成長を支援してください。

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