
結局は大丈夫。「しんどさ」は比べることができない。
「あの人どうしてそんなに頻繁に病気になれるの?」
迂闊にも同僚に本音を漏らしてしまった。
3週間休んでいた私よりも若い同僚が、今週出勤してきたと思ったら、昨日「お腹が痛い」と言って早退。そして今日休んでいる。
「独身なんだから、せめて自分のことぐらい、ちゃんと面倒見ろよ!」とは、口が裂けても言ってはいけないことだと分かっている。それでも心の中に、そんな感情が湧き上がる自分に寒気を感じた。
私は学んだはずだ。「しんどさ」は比べることができない、と。
私はシングルマザーで、二人の子供と暮らしている。祖父母や夫がサポートしてくれる人たちに比べれば、自分の方がずっと大変だと思っていた。そんな私に、あるママ友が「楽でいいね、週末は子どもたちがお父さんのところに行くんでしょ」と言ったのだ。
彼女には旦那がいるし、子供はしょっちゅう祖父母に面倒を見てもらっている。それなのに、彼女は私を羨ましいと言う。「私なんかワンオペで大変!」その言葉に最初は苛立ったけれど、じわじわと考えるうちに気づいた。
しんどさとは比べられるものではないのだと。誰もが自分の抱えるしんどさは、世界一重く、世界一辛いと感じるものなのだ。客観的な目盛りで測れるものではない。
そもそも何もしないパートナーと一緒にいて辛いから別れたんだった。別れることによって距離ができ、育児を明確に、向こうの分を切り離せる。そうだ。自分を楽にするために別れたのだ。
頻繁に病気になる同僚の辛さだって、私には一切わからないのだろう。私は今、少し追い詰められている気がするが、元気だし、明日も仕事に行ける。単純に、ただ疲れているのだ。
今日は仕事が終わった後、自転車で長男・虎雄の自転車を取りに行った。私は自転車で、トラ雄は走った。一人でバスに乗るのが嫌で、本人の希望で、小雨の中、私の横を走った。私が遅すぎるのか、彼が意外と速いのか、スピードは同じ。駅前の自転車屋まで思ったより早く着いた。帰りは二人で自転車で走った。
家に戻ってから、トイレットペーパーがないことに気づき、スーパーへ行った。
私は疲れている。だからと言って、子どもたちに怒りをぶつけてもいけない。それなのに、つまらないことで怒鳴りまくった。
たとえ、クマ吉がお箸で遊んでいたとしても、子供は原始人なのだから、放っておけばよかったのだ。
こんな時、誰かを恨みたくなる自分がいる。でも、結局のところ、一番の薬は適度な運動と十分な睡眠だ。つまらないほど単純で、よくできている、私という生き物を、よく宥めないといけない。