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選択の先で見えたこと

8月29日
夏休みが終わり、今日が始業式という所も少なくないはず。
現在、娘は幼稚園に通う年少さんで、以前は別の保育園に通っていた。
保育園では、子どもの成長、段階に合わせた、家庭に寄り添った【保育】を軸に、和やかに過ごしていた。
0才から1才、1才から2才へと、成長を遂げるにつれ、急激に発達を感じた。
言葉、仕草、出来ることがどんどん増えて、私は、子どもが関わる人間や、環境について、特に考えた。

私の場合、子どもが生後5ヶ月の時から、ひとりで子育てをしているので、私以外の人間との関わりの機会を意図して設定してきた。
保育園に対して不満があった訳ではないが、
園庭の遊具の数やサイズ、そこで保育に携わる人の数、年齢層、子どもの数、などなど色々なことが、娘の成長に因果すると思うと、もっと真剣に考えるべきでは?と自問した。
私本意で、預けやすいから、仕事が遅くなっても対応してもらえるから、といって、大切な子どもの成長の芽を見落としたくはなかった。

幼稚園にこの春通うようになってから、
初めて迎えた夏休み。
夏休み期間中は、給食か、お弁当か。
選択することが出来た。
給食の申込みのお知らせを見た時に、
毎朝大変だから、給食をお願いしよう。
という考えが頭に浮かんだ。
お弁当にしたら、どうなるのか?
少し想像してみた。
きっと、大変だろうな。
子どもはどうだろう?
きっと、毎日好きな物が詰まったお弁当を持っていけたら、喜ぶだろうな。
そんな毎日を、いつか振り返ったら、嬉しい思い出として残るのではないか?
記憶の片隅に思い出として、残ってくれたら、私も嬉しいな。。。

お弁当にした。

約1ヶ月間の夏休みが終わって、振り返ると、毎朝子どもの喜ぶ顔を想像しながらお弁当を作る時間の愛おしいこと。
子どもから託された、幸せに満ち溢れる1日の始まり、それが私の日々のエネルギーになっていたこと。
あの時の選択から、今足るを知ることになった。
私の日々の小さな選択は、ちゃんと愛が起点になっていた。
愛が原動力の選択がもたらす恩恵(経験)は、これからもずっと私たちの心を暖めて、記憶の隅に残ると思う。
保育園を変えようと思ったことも、
お弁当にしようと決めたことも、
コロナ禍でも、旅行に行こうと決めたことも、
自分と向き合い、子どもへの愛を元に選択した結果だから、すべて愛おしい。




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