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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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「閉ざされた窓のセカイ」のミクは誰を救い、そして救われたのか


はじめに

 ネタバレも解禁されたという事で、「劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク」について少々語っていこうと思う。
 先に結論だけ言ってしまうと、「かなり良かった」というのが私の感想になる。他の多くの人が言っているように、プロセカ、もしくは初音ミクやボーカロイドが好きならまず見に行って損はないだろう。ただこの映画はゲームの「プロセカ」についてのある程度の理解が前提となっているところ(キャラやセカイの設定以外の部分でも)があるため、もしこれからこの映画を見に行くという人がいれば、その一助となるような感想にしていきたい。

※なお、本作を語る上でどうしてもネタバレになってしまう箇所も存在する。ネタバレを含む部分は項目にて示すため、ネタバレを嫌う方はだけそこを飛ばしてほしい(目次から直接次の項目に飛ぶのが安全)。

概要と見どころ

ざっくりとした概要は上の記事を見てもらえれば分かりやすいが、大まかなストーリーを説明すると、

ある日、「 “想いの持ち主”たちに歌を届けられない初音ミク」と出会った星乃一歌は、彼女に頼まれて歌を教える事になる。
その過程で一歌のバンド"Leo/need"のメンバーだけでなく、他のユニットとも関わりを持ち、彼らとの交流を通してミクは"思いを届ける歌"を形作っていくが、その努力もむなしく彼女の声は拒絶され、そしてセカイの崩壊が始まる――

というのが本作の流れだ。本作の主役は一貫して「閉ざされた窓のセカイの初音ミク」(以降バツミク)であり、プロセカオリジナルのキャラクターはそれをサポートする、言ってしまえば脇役の域を大きく外れない。これは後述する「平等への配慮」もかなり影響していると思われるが、あくまで初音ミク、ひいてはVocaloidを中心に据えた物語という点で、まず「初音ミクの初めての映画化」というのは適切な売り文句と言える。

楽曲のクオリティ

 そして本作の一番の見どころは、やはり後半のライブシーンだ。新曲6つが立て続けに気合いの入った映像で流れるシーンはこの映画最大の山場であり、特に「ハローセカイ」に関してはそれまでの展開も相まって大きなカタルシスを得る事ができる。他にも主題歌の「はじまりの未来」、全員歌唱の「Worlders」、劇場版限定のアレンジ楽曲など、プロセカの映画だけあって音楽面にはかなりの力を入れている。

壮大な展開

 また劇場版らしい壮大な展開も見どころの1つだろう。正直なところ、映画を見る前は「バツミクがオリキャラたちに歌を教えてもらって、最後は5ユニットそれぞれのライブを見たバツミクが想いを届けられてハッピーエンドって感じだろうなー」と思っていたので、中盤の重苦しい展開には驚くのと同時に「よくやってくれた!」と感嘆した。「閉ざされた窓のセカイ」の崩壊から現実世界におきた異変、そして自分たちのセカイに向かう一連の流れなんて、本人たち(特に一歌)からしてみればとてつもない鬱展開の連続だっただろう。ライブシーンもそうだが、ああいった「本編だとまずできない事」をしてくれるのは非常に評価が高い。

 あとは劇中に小ネタが豊富なのも嬉しいところだ。映画ストーリーの時系列は進級前の夏であり(もっともプロセカ本編は現実世界での3年をかけて1年が進んでおり、時々で季節感のあるイベントも挟むため正確な時系列がかなりあやふやになってはいるが)、その時には出ていなかったり仲間になっていなかったりするサブキャラがちょこっと登場している。またボカロ曲を元にした小ネタやボカロ曲のジャケットが並んでいるシーンもあるため、プロセカを知らなくてもネタ探しを楽しむ事ができる。





ネタバレ① バチャシンについて



 ネタバレを含むため項目を分けるが、バーチャルシンガー推しとしてはそれぞれのセカイのバーチャルシンガーたちの個性がしっかりと描かれていたのがとても良かった。それが特に分かりやすかったのが、「閉ざされた窓のセカイ」から溢れ出した闇が各セカイを飲み込んでいくシーン。「ワンダーランドのセカイ」のミクたちは屋根の上を跳んで逃げ、「誰もいないセカイ」のミクたちは(諦観か覚悟かは定かではないが)身動きせず闇に飲まれるといったように、ミク消失後も含めてそれぞれの対応や言動にキャラだけでなくセカイ毎の差も上手く描写していたと思う。ミクが帰還した際の「ワンダーランドのセカイ」のKAITOとのやり取りは、ワールドリンクイベントのストーリーを読めばより一層感慨深くなるはずだ。そしてこの映画では、バツミクだけでなく彼らもある種の「主役」を担っている(後述)。



マイナスポイント

 見どころ・評価点を紹介したところで、逆に悪かった点についても触れておこう。

作画

 まずは作画。これに関しては極端に崩れているとかではないが、やはり近年の有名作(大体ufotable)と比べてしまうとクオリティは落ちてしまう。個人的に気になったのは謙さんで、出てくるたびに「いや顔でかくない?」となってしまった。とはいえ全体的には手堅くまとまっているといった感じなので、よほど美麗な作画が見たい人以外は気にしなくても良いかもしれない。

プロセカ3周年を記念して投稿されたユニットストーリーダイジェストも同じP.A.WORKSが制作しているので、参考までに。

オリキャラの影の薄さ(平等宣言の歪み)

 ソシャゲ作品の常といえばそうなのだが、とにかく出てくるキャラが多いし、彼らに対しての説明が少ない。しかしまぁプロセカ界隈の事情をある程度知っている人なら理解できると思うがこればっかりはどうしようもない。

 
そもそもオリキャラ20人(バチャシンも個別で考えるなら50+1人)をバランスよく出す事が相当な無理ゲーの上に、プロセカには「イベントストーリーでキャラが発したセリフの文字数を全て数えて優遇だの不遇だのと騒ぐ」頭のおかしい強火なファンが一定数いるため、結果として「同じ内容を5ユニット分繰り返すような」ストーリーになってしまった感は否めない。特定のユニットだけ特別な事をやるという構造にもしにくいため、ライブシーン以外での各キャラ、各ユニットの個性が死んでしまっているのも勿体ないところだ。
 容姿や歌声を除いて印象に残るキャラを挙げるとするなら、
・2面性が示され「そこに在る、光。」の作詞でフォーカスされたまふゆ
・ストーリーの要所での登場が多い一歌
・(ネネロボ込みの)寧々
くらいではないだろうか。

 説明不足に関してはこちらも仕方がないというか、最初に先のダイジェストを垂れ流すにしてもそれだけで25分使ってしまう点を考えると、ファン向けに振り切ったのはむしろ英断だったとも取れる。なんなら個人的に「原作あり(それもソシャゲ)の映画と知りながら何も知らない状態で突っ込んで文句を言う」のはもはやいちゃもんだと思っているので……。
 1つ残念な点をあげるとすれば、導入や家でのシーンでユニット外のメンバーとの交流が示されていたのがあまり活きていなかった事だ。これも平等宣言の弊害だろうが、もし次回作があるなら是非ともその関係性を活かした協力を見てみたい。

映画を見に行く前に

 もしプロセカを全く知らない、もしくは少ししか知らずに映画を見に行く人がいるのなら、本作を10倍楽しむために以下の要素について把握しておくことをお勧めする。

・プロセカのオリジナルキャラクター
・プロセカ世界のボカロの立ち位置
・オリキャラと各セカイのバーチャルシンガーの関わり方

 まずオリキャラについては、ぶっちゃけ知らなくても何とかなる。上の項目で述べた通り、本作でのオリキャラには個性を発揮するための「〇〇じゃないと成立しないシーン」が少ない。なのでなんとなくで見てもストーリーの理解に支障はないが、とはいえ各キャラの性格やユニットの成り立ちを知っておけば映画をより楽しめる事は間違いないだろう。とりあえずの雰囲気だけを掴みたいなら公式サイトの人物紹介や先に挙げたユニストダイジェストを見るのが一番手っ取り早いが、時間があるのならプロセカ公式Youtubeのユニスト動画の方も確認して欲しい。

 そしてプロセカ世界だが、映画本編でも分かるようにミクの影響力が半端じゃない。現実世界も、ボカロ黎明期と比べて大分ボカロが世間に浸透してきた感があるが、プロセカ世界のそれはさらに強く、恐らく「洋楽・邦楽・ボカロ」みたいな事になっていると思われる。加えてミクを含むボーカロイドが半ばパブリックドメインと化しているような感じもあり、テクノロジーもやや現代よりは進んでいるようだ(それでもネネロボはオーバーテクノロジーの塊だが)

 最後の「オリキャラとセカイのバーチャルシンガーの関わり」は、プロセカ公式Youtubeに挙げられているイベントストーリーを、どれでもいいのでぜひ見て欲しい。多分これを知っているかどうかで終盤の受け取り方が180°変わる。




ネタバレ② バツミクと天岩戸



 では長々話したところで感想に移ろう。本作「壊れたセカイと歌えないミク」は「かつて初音ミクに救われた者が、初音ミクを救う物語」である。

 ――物語中盤、「閉ざされた窓のセカイ」が崩壊した事で他のセカイのミクが消失し、その影響は現実世界にまで及んだ。一歌たちはミクを取り戻すため、バツミクが届けられなかった想いを伝えるべく自分たちでオリジナルソングを作り、その旋律は絶望していた「閉ざされた窓のセカイ」の想いの持ち主たちにも届き始める。そしてそれに背を押されるよう本来の姿に戻ったミクは、自分の歌を歌い始めるのだった。

 これが物語中盤から終盤の流れになるのだが、
「結局オリキャラの歌が救ってるんだからミクいらないじゃん」
「ミクが勝手に歌を作って歌うなら人間いらなくない?」というような、人間とボカロを分断する理解が散見されるのは何とも悩ましい。少なくとも、この映画において人とボカロは相互に助け合い、そして補い合っている。
 
そして何より重要な事が、本来の姿を取り戻し、「閉ざされた窓のセカイ」を「開かれた窓のセカイ」に変えたのはバツミク自身という事だ。
 本編を見ればわかる通り、崩壊した「閉ざされた窓のセカイ」に浮かぶ無数の0と1の残骸のうち、5ユニットの歌で光り出したものは全体の一部だった。そこから「ハローセカイ」を届け、セカイを変えていったのは紛れもなくバツミクなのである。


「開かれた世界の初音ミク」解禁PVより
光る残骸の下には無数の残骸が広がっている。

 この場面での5ユニットの役割はあくまでバツミクの歌を届けるためのきっかけ作りであり、モモジャンのライブを見た漫画家が友人に送ったメッセージ「ちょっと元気出た」にその全てが詰まっている。劇的に何かを変えるわけではない「ちょっと」。だがそれが、この時は何より重要だった。

 有名な日本神話として「岩戸隠れ」というものがある。天岩戸に閉じこもった天照大神(アマテラスオオミカミ)を外に連れ出すため、天宇受賣命(アメノウズメ)の踊りや神々の笑いで天照大神の気を引き、天照が岩戸から顔を出したところで天手力男神(アメノタヂカラオ)がその手を取って岩戸の外に連れ出したという伝説だが、「閉ざされた窓のセカイ」の想いの持ち主たちを天照とすれば、物語前半~中盤のバツミクは岩戸に完全に引きこもった彼らを外に出そうとしていた事になる。当然それは不可能であり、実際ミクの姿はノイズの塊に、そして歌声はノイズまみれでとても聞けたものではなかった。しかし5ユニットの歌が固く閉ざされた岩戸に隙間を作った事で、「開かれた窓のセカイ」の初音ミクとして、想いの持ち主たちに本当の歌を届ける事ができたというわけだ。
 これを考えれば、物語終盤の出来事は「人間だけが」「ミクだけが」ではなく、一歌たちの支え、そしてバツミクの決心の両方があったからこそなし得た事だと分かるだろう。

ネタバレ③ それぞれの無力さ、役割

 そしてこの「オリキャラがきっかけを与え、バーチャルシンガーが自らの力で活路を開く」展開は、ゲームのプロセカにおけるストーリーをそのまま逆転させた構図になる。ゲーム内のストーリーでは

①オリキャラが何らかの悩みや壁に突き当たる。
②バーチャルシンガーがアドバイスを与える。
③そのアドバイスに気づきを得たオリキャラが何らかの行動を起こし、事態が好転、もしくは解決。

といった物語構造になっている事が多く、バーチャルシンガーは基本的にオリキャラをサポートする役回りだ。これは彼らが持つ「無力さ」に起因するものであり、それについては作中で「教室のセカイ」のMEIKOが言及している。


「Parallel Harmonies」より

 セカイの存在であるがゆえにバーチャルシンガーたちが問題を解決する事はできず、できる事はアドバイスを与えたり歌で勇気づけたりする事くらい。この無力さはバツミクも抱えており、絶望する想いの持ち主たちに対して、歌う事でしかアプローチが出来なかった事からもそれが伺える。

 ではゲーム内ではサポートをされる側であり、バーチャルシンガーよりも出来る事が多く見えるオリキャラたちはどうだろうか。実は、この映画においては、彼らもある種の「無力さ」を抱えているのだ。
 「閉ざされた窓のセカイ」の想いの持ち主たちは大勢おり、劇中の大規模停電が「閉ざされた窓のセカイ」に関連するものと仮定すると、その所在は全国に広がっている。その全員に歌を届けるなんて事は、おそらく5ユニット20人が頑張ったとしても到底不可能だろう。バーチャルシンガーがセカイの存在ゆえに無力だったのに対し、現実を生きる肉体を持つ人間だからこその限界・無力さが生まれてしまう。
 だからこそ、唯一想いの持ち主たち全員に歌を届けられるバツミク自身が行動を起こす事に意味が生まれており、5ユニットの歌はそんなミクを再起させるサポートとしての側面が強く描かれている。

 忘れてはならないのが、プロセカのオリジナルキャラクターたちは皆、ミクや他のバーチャルシンガーに救われた存在であると言う事だ。そんな彼らが「閉ざされた窓のセカイ」のミクを救い、各セカイのミクを取り戻す事で間接的に自分の世界のバーチャルシンガーたちも救う。そして「開かれた窓のセカイ」のミクは同じように想いの持ち主たちを「救って」いくのだろう。そう思えば、エンドロールで流れる圧倒的な量のスペシャルサンクスや映画にまつわる多種多様な企画も含め、この映画、いやプロセカというコンテンツ自体の本質が徹頭徹尾「ボカロと人間の共存」なのだと再認識させられた作品だった。


おわりに

 もし映画を見てバツミク可愛いって思ったらとりあえずプロセカをインストールしてシリアルコードを打ち込め。期間限定のセカイらしいけどずっと残ってくれないかな……。

 

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