ズレていく
自信のこと
4/8のあきやさん講演会以降、意識的にインプットを少なくしたら、世間とはズレている自分がいることに気が付く。
放っておくと世間とは大分ズレるから、必死に適応しようとして、結果反抗心を抱いているということはつぶやきにも書いたけど、マッチポンプ反骨精神が結構根深かった。
世間を知る・適応するためにインプットする→他人の言葉だからモヤモヤする→モヤモヤはインプットが足りないからだ!→さらにインプットするという悪循環に陥っていた。
本当は他人の言葉なんて聞かず、好き勝手振る舞いたい自分がいた。
好き勝手振る舞ってしまうと他人に理解されないという思いがある。
「他人に理解されない」というのはまずい、と思っていてその理由は大きくわけて2つあった。
1つ目、『自信にまつわる誤解』
「他人に理解される」ことが「他者に通用すること」と自分の中でイコールになっていて、
「他者に通用する自分」になることが「自信がある」ということだと思い込んでいた。
「他は知らんが自分のことを自分でイイヤツと思っている」が自信の第一歩かもしれない。
あまりにも他人軸がすぎて、書いててびっくりしている。
2つ目、『他人に誤解されるのが窮屈』
基本姿勢に
「私もあなたも違うロジックで生きている。
ロジックそのものを細かく問うつもりはない。
ただ、「おー違うんだな」と思って、干渉しない程度に距離を取りたい。」
というものがある。
自分のロジックを細かく問われるのは疲れる。
なぜなら、自分でも言語化できるほど把握していないから。中身を細かく把握しなくてもいいと思ってる。
しかし、私のロジックを誤解されることが嫌い。
把握するために問われたくないし、誤解もされたくないから距離を取ってほしいと思っている。
なんでも自分のロジックに引き寄せて考える人は苦手。
たまにいる。なんか今誤解された気がすると思う人が。その誤解を誤解と思わないでたまに「あなたってこうだよね」的発言をされるのがものすごく窮屈。
その窮屈さに対抗するには「理解されやすくなるしかない」と思い込んでいた。
その2つが混じり合って、「他人に理解されなければいけない」という思いが生まれていた。
別によくない?理解されなくても。
そもそも、理解してくれる他人も通用するねと言ってくれる他者も曖昧な存在すぎる。地球上の人類すべてを指しているわけでもなく、日本の総人口を指しているわけでもなさそう。
精々、親とか友人とか職場とかそのあたり、もしくはネットで検索した何か。
逆に日本の総人口を相手にしたらどうだろうか。
まず、「他は知らんが自分のことを自分でイイヤツと思っている」状態になる。
で、その状態を「いいね」と言ってくれる人たちを探す。
その人たちと生きる。以上だ。
普通にやってて「他者に通用する自分」になれれば良かったけど、ぜーんぜんなれない。
もうぐるぐる探すの疲れちゃったし、私視点で見て「イイヤツ」になるしかない。
そして、私視点での「イイヤツ」に「いいね」と言ってくれる人たちと生きていくしかないんだと思う。
他人の目をまったく無視することはできないから、楽しく生きられる相手とやっていくしかないな。
自分マターで生きていなかった。
「こうしたほうがいいんでしょ」的拗ね気味にありもしない世間の顔色を伺っていた。
そういうのを自覚すると「よろしくない行動」が浮かび上がる。
・すでに切り替えたのに、まだ引きずっているように振る舞う。(「もう切り替えたの?」と怒られる気がしたから)
・世間で言う「良いもの」を目指そうとする。そもそも勝てないルールで進行してるゲームから降りたい。けど、降りると「負け犬」と馬鹿にされる気がしていた。
こういうのを無視して、自分勝手に生きていると体感的に気持ちが良いので、独自路線を突っ走りたいと思う。
結果的に世間と合流できればそれはそれだし、できなくてもさも「同じことしてますよ」面をしておけばいいんじゃないかな。
時間感覚について
自問自答ムンプラのリアルイベント以降、時間感覚についてたまに考えている。「時間感覚は人によって違う」ということが新鮮で印象深かった。
自分の時間感覚をめちゃくちゃ知りたい。
過去方向は明らかに短い。
色々覚えていることもあるんだけど、それは現在の葛藤と紐づいていること。
時間の経過から考えると、「今」納得していないことはずっと覚えていて、そのうち大きな葛藤になるという言い方が正確か。
葛藤がクリアされるとほとんど忘れてしまう。
さすがにずっと握りしめていたことだから綺麗さっぱりとは行かないけど、「こんなことがあった」という事実だけになる。
あんなにずぅーっと悩んでいた母親の「どうしてこんなこともできないの」も呪いが解けてしばらくした今、感情的な諸々がほぼ溶けている。
めちゃくちゃ言われて深刻に思い悩んでいたということはちゃんと覚えている。
「深刻に」の中身がもう大分薄い。あんなに悩んでたのに、ここまで薄いとなんか面白い。
日記も綺麗な字で書くようになったけど、全然読み返さない。
(以前は読み返さないのは走り書きだからと思っていた。それも原因の一つだったけど、結局読み返さない)
読み返そうかなと思っても「だってもう過ぎたことだし。いいじゃん」ってなる。
もしかして、「私独自にロジックで動いているが、詳細はよく知らんし把握しなくてもいい」はこの過去方向の時間感覚の短さから来ているのでは?
未来方向はものによっては長い。
楽しい計画なら1年先でも立てられる。が、GWはなぜか全然立てられなかった。
開始2日くらいで「これやろう」とリストアップしたことにめちゃくちゃ振り回された。
なんか全然イメージできなかったんだよね、GW。なんでだろ。
やりたいことは挙げられたし、友人との約束はいくつかスケジュールされていたんだけど、空いた時間に「やりたいこと」を上手く入れられなかった。不思議。
過去方向の時間感覚は結構掴めてる感じがするけど、未来方向はまだ自問自答の余地がある。
掘ります!掘らせてください!
これからもズレていく
世間とズレていいんだと思うと、なんとなくあった自問自答への躊躇がなくなる。
むしろ、己を知らずに何を知るつもりだとなっている。
これからもガンガン掘って、ズレていこうと思う。