
DAY3 生まれた意味を創る
父子家庭育ち、一人っ子
孤独な幼少期を過ごし
母からは
「あんたなんか産むんじゃなかった」
と言葉をかけられたのを最後に
決別し
そして、私自身も5人の子供を産み
3人の男の子を手放した。
結果的に、あれだけ嫌だった
母と同じことをした。
抗おうとしても
繰り返される。
一体何のために生まれてきたのか
なぜこんな孤独を味わせるのに母は私を産んだのだ
いくら求めても納得できる答えはもらえなかった
・
・
・
未来に希望はない。
幼少期から、漠然と感じて生きてきた。
だけど、そんな状況に負けたくなくて、
自分の可能性を信じたくて
負けるもんか・・・
その想いだけで必死に生きてきた。
自分自身、可哀想な、孤独な私を
受け入れることが怖かった。
認めたくなかった。
心の声は見えないように何重にも蓋をして
必死に強いふりをして生きてきた。
だから自分の気持ちは無視した。
するといつしか根付いた思い込みがこれだ。
ネガティブは悪だ
寂しい、不安だよ、助けて。
あの人の家が羨ましい、あの子がムカつく
こんな気持ちは封印した。
いつしか
ガチガチに強い鎧を身につけていた。
そのうち自分の気持ちが何も分からなくなっていた。
心が揺さぶられない。
ネガティブな感情と共に、
嬉しい、幸せだ、愛おしい
そんなポジティブな気持ちも
わからなくなった。
心が死んでいた。
目の前の幸せに気づけなくなった。
でも、私は感情がなくなっている
それにすら気づかなかった。
気づいたのは38歳。
大きな代償を払って気づかされた。
自分の心がわからなくて
操縦不能となってしまった後に
待っていた結果は
子供を手放すという、
子供から母親を引き離すという
子供達をバラバラにしてしまうという
私の人生で最も最低で最悪な結果を
生んでしまった。
被害者ぶって何言ってんの。
自分が嫌だったことを子供にも背負わせて最低。
以前の私はそう思っていただろう。
これを語るのは綺麗事にしたいわけではない。
子供達に同じように苦しんで欲しくない。
私が変わらなくては、子供にも同じ経験をさせてしまう。
母親の力は子供に大きな影響を与える。
こう思ったからだ。
みんな少なくとも、
その家の持つクセに囚われて生きている。
良いとか、悪いとかじゃなく
何の悪気もなく、当たり前に
家に根付いているクセという価値観で
毎日小さな選択をする。
それが日々の人生を創っている。
その結果代々受け継がれている
同じような人生を歩むことになる。
未来の自分を創っている。
それを意図していなくても、だ。
それに気づいてから
私はあれだけ嫌っていた母を
ようやく受け入れることができるようになった。
決別して20年、
まだ会うには至っていないが
少なくとも前とは違った感情だ。
そしてこうも思うようになった。
母もまた代々引き継がれたもので
苦しんでいるのかもしれない、と。
前置きが長くなったが、
うちに引き継がれている
人生を破滅の方向に追いやっていく思考を
私の代で終わりにする。
そのミッションが私にはある。
それを達成するには
自分の今までの過去を振り返り、
当時置き去りにしていた感情を味わってあげる。
今までもやってきたが、
もう少し深く、自分の事を知りたい。
言葉に出して表すのは勇気がいる。
まだ受け入れられていない
傷ついた幼い私もいる。
だから、あえて書いてみて
もっと軽やかに自分の気持ちを受け入れてあげる。
そして、ゆくゆくは
同じように感じて苦しんでいる人の心が
0.1㎜でも軽くなればいいなと思っている。
そのために自叙伝的な感じで
書いてみようと思ったの。
気持ちに蓋をするのは自分を無視しているのと同じ。
だから気持ちに目を向けると
自分で気づくんだ。
「やっと私のことを見てくれたね」って。
そうすると不思議とすごいスピードで
人生が変わってくる。
目の前の幸せに気づいたり
自分で幸せを作れるようになる。
私が実際体験しているように。
今後どんな話を書こうか、
まだ全然決まってないけど
思いついたままに書いていこう。
ゆっくり感情を味わいながら。