随想、錆びた青春

食卓テーブルに散らばった食塩の一粒ひとつぶを、まるで都会の夜空の星を必死にかき集めるように、指で集めて舐めては、この塩辛さを味わえなくなるときが僕の青春の期限であると思いながら、無気力な自分は、春休みの午後というものを精一杯謳歌していた。思えば、涼介と行った昨日のドライブは久々の二人での遠出だったかもしれない。夕間詰めの張碓町、ガードレールの向こう側、数多の運転手たちは集中力をこの綺麗な夕焼け空に預けてしまったのだろう。その景色と二人の呼気だけが充満する狭い軽自動車の中の爆音のロックのミスマッチさが、一秒一秒をかけがえのない思い出に変えてくれる、という事実は僕らはもう4年前の同じ場所で既に知っていたことだった。青と夏、会心の一撃、グッバイ・マイマリー。涼介はどうやら熱狂的な歌唱と安全運転を同時にこなすことはできないらしく、声を張り上げるたびに、車は速度を落とした。こんなことが無くならないうちは、まだ初心者マークをつけていた方がいい。本気でそう思ってはいたが、鏡もみたくないほどに僕はきっと満面の笑みだった。何を話したか、何に笑ったのか、何がそれほど楽しかったのかは、既に詳しく覚えていない。しかし、僕らは確かに昨日、日が落ちる小樽の海を見ていたし、車は行き止まりで引き返さなければならなかったし、コンビニでかった新発売のアイスはくどかった。そういう美しい現実もあるのだと思うと、かつての僕らが毛嫌いした、夢を見るなという有り難いお説教も一理あるのかもしれない、と思う。一生忘れられない思い出は、現実というもの中にしか、見つけることができないのだ。日が落ちる前にと僕はイスから立ち上がり、パスタソースが乾いてこびりついてしまった皿を、シンクにあるまだ洗っていない大きめのフライパンに浸った水の中につけた。もう一度潤いますように、と。(2022/3/29)



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