LGBTの限界。
処女を17の歳に好きな人に捧げた。
以降も男性とのおつきあいはちょくちょくあって、身体を重ねてきた。
嫌悪感を抱いていたわけではない。
ただ、なんとなく違和感としてあったのは、
「なんで性欲が湧くとセックスをするのだろう」
という疑問があったからだと思う。
性欲は人並みにある。
性欲が湧くと、「人肌に触れたいな」と思う。
身体を重ねる。
「あ、もういいや」
になってしまう。
素肌同士で触れ合い、密着することが私のゴールで、そこから先は求めない。
ここで性欲は収まり、賢者タイムに突入する。
しかし相手は「ここからが本番」と思っている。
その熱量の差に、どうしても困惑してしまう。
賢者タイムに突入したまま行うセックスは疲れる。
感じているフリを筆頭に、相手が気持ちよくなれるようにそれとなく気を使う。日頃身体を鍛えているわけではないから、身体的にも疲れる。
気持ち良くなってくれているのは単純に嬉しい。自分が性的な目で見られることに対して嫌悪感があるわけではない。
ただ、私は「挿入」がゴールなだけだ。
よく巷で聞くのは「中途半端に燻った状態で男性だけ気持ち良くなって終了するからモヤモヤする」というやつだ。こういうのは努力次第でどうにかなるものだと思う。
私の場合はそうではない。
挿入された瞬間に性欲が消えるのだ。絶頂を迎えたから消えたわけではなく、ただ消える。
かと言って虚しさが残るわけではなく、満足している。
実際、男性を誘惑して、挿入までしたのに「満足した、ありがとう〜」と言って身体から降りて抱きつくということはわりとあった。よく許してくれていたなと思う。
ならマスターベーションの方が良いのでは、と思ってしまっても仕方ない。
①挿入され密着することと②マスターベーションのメリット、デメリットを書き出してみると明らかだ。
①のメリット 人肌を感じることができる
デメリット 気を使う、予定を合わせなければならない、相手を探さなければならない、お金がかかる、相手の気持ちと自分の気持ちが揺らぐ可能性がある
②のメリット 好きなときにできる
デメリット 性欲があるときちょっと人肌恋しさを覚える
ということで、私は身体を積極的には求めていない。
挿入のみで終了させてくれる男性がいればありがたいけど、そんなちょうどいい塩梅の人はなかなかいないと思う。
ところで、こういう特徴を持つセクシャリティーを私は聞いたことがない。
アセクシャル(日本で言うノンセクシャル)に近いのかもしれないけど、そこまで厳密にされると違う気がする。
セクシャルマイノリティは、認識されるだけある意味マジョリティなのだと思う。性的指向も恋愛指向も、実はグラデーションで、名前が与えられるほどではないというような、微妙な違いが人それぞれあるのだろう。
名前をつけると分かりやすいし、同じ気持ちの人と出会えたら嬉しい。
でも名前をつけずに世界で1人だと思って生きるというのも、なかなか悪くないな、と思っている。
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