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「VRChatの現実」とは何か~ラジオ「Not Equal」対話篇~
各記事共通部
本記事を含めたこのアカウントの記事の目的は、記事を通じたコミュニケーション機会の創出である。なにぶん知識も情報収集能力も乏しい身であるため、記事の感想や「こんな論文が参考になるかも」みたいな意見をどんどん送って欲しい。(送付先は私の「「Twitter」」アカウント@fukagawaVRまで)
はじめに
2025年1月12日、りくおさん主催の仮想現実の現実を探すVRChatラジオ企画「Not Equal」のゲストとして公開収録を行った。
Not EqualはVRChatで行われる公開収録イベントのあと、YouTubeなどで配信される。本記事は、この対話の文字起こしと補足を行うものである。
本文
ここ数年のメタバースへの目線
りくお
この番組は、仮想世界VRチャットの現実とは何かを探すラジオです。ゲストと私、それぞれの視点で設定した議論について、対談します。対談のルールは議論ではなく、勝敗のない対談にすること、主語を私にすること、そしてインタビューではなく、お互いにも、またお客へも問うていくこと。
この番組はVRチャットでの公開収録をしております。そのため、要所要所でお客さんへも質問したいと思っております。(※公開版ではカットされている)改めまして、パーソナリティーは私りくおが務めます。これから仮想世界でのそれぞれの現実を探していきたいと思います。さて、今回のゲストはふかがわさんです。
お呼びした理由は、NoteでVRチャットにおける実存や経済について書かれていることと、その記事の内容がかなりVRチャットとNEAR(近い)と言いますか、「VRチャットで過ごしている」っていうことをもとに書かれている印象を持ったのでお呼びいたしました。
つまり、哲学の空中戦ということではなくて、VRチャットに根差したNoteを書かれていたので、何か面白い話ができるんじゃないかなと思って、この場を用意しました。改めましてよろしくお願いします。
ふかがわ
よろしくお願いします。
りくお
何だろうな。現代思想とかのメタバースの本を多分読まれてると思うんですけど、「現代思想」っていう本があって哲学書の最近の哲学のトレンドみたいな、そういうものの2022年版のメタバースをテーマに書かれたのを一応買ったんで読んだんですけど…結構適当なこと書いてあって。
ふかがわ
分かりますw
りくお
結構強火っていうか何かほわっとしてるっていうか…何かポジティブなんですよね。Web3.0とかと絡められたりとか、何かまだ見ぬ地平線みたいな感じで書かれてて、いやわかるんだけど、そこまでポジティブか?っていう。だから私が言いたいのは、それこそ「過程」がないというか、「そこまでどうするねん!」ていう話であって、そういうとこは書かれてないっていうのは思ったんですよ。
ふかがわ
実際僕もその「月刊現代思想」のメタバース特集持っていて一通り読んだんですけども、これ何か現実感がないなーって感じる一つの要因として、実際にVRチャットで生活してたり、内部の人間からの目線が少ないなって感じたんですよね。
まあ、そういう人も居はするんですけれども、こうどうにもメタバースやVRChatとかを客観的に分析することに重きを置きすぎてて、その世界に生きるその実存の目線に立っていないんですよね。
ここで実存って話が絡められると思ってて。そもそも実存主義とは何かって話なんですけど、実存主義っていうのは客観性だとか、合理性から一旦離れて、その自分自身のありようを求める姿勢のことなんですよね。
先ほどおっしゃっていた違和感というのは、メタバースの外部からの「こうなるんじゃないか予想」みたいになってる部分なんじゃないかと。彼らはいかにも耳目を引くような書き方で社会を語ろうとしていて、そもそもメタバースがあまり浸透してないものだから紹介するっていう意味合いもあるし、これからどうなるのかっていう客観性や合理性を語ることに重きを置き過ぎてるのはないかと。なのでVRChatterの興味関心とはちょっとかけ離れてるんですよね。
りくお
そう、あんまりWeb3.0とかVRChatやってて考えたことないっていうか。
ふかがわ
僕も2018年頃くらいにわりと仮想通貨とかは興味を持ってニュースとかいろいろ見てたんですけど、メタバースと親和的になる可能性としてはあったんだけれども、やっぱり相性が悪いっていう結論には至りましたね。結局今メタバース上では流行ってないですし。
NeosVRっていうResoniteの前のメタバースは仮想通貨と合体というか、仮想通貨を使おうとしてたんですけど、結局あれは上手くいかなかったんですよね。そもそも嫌儲思想みたいなのもあるかもしれませんけど、メタバースって希少性の経済が働かないから、貨幣がそもそもそんなに必要ないなというのは思うんですよね。(ラジオ内では言及し忘れていたが、ここの部分は「メタバースと経済の未来」に影響を受けている)
現状のメタバースは経済的な交換が行われないっていう特徴があると思っていて。実際VRChatterは、服とか自分のアバターとかはboothっていう外部のショップとかで買ったりすると思うんですけど、VRChatterは個人同士で売買するっていうことよりかは、あえてその経済機能を外部に置こうとしてるんですよね。
実際にVRChatで、例えば公式が急に貨幣機能を導入しますとかやったとしても僕は上手くいかないかなとは思います。これにはいろいろな要因があると思うんですよね。一つはやっぱりVRChatをユートピア的に捉えてる目線もあるので、あんまり現実の経済機能をこっちに持ち込みたくないっていう人はいると思うんですよね。
「VRChatはSTEAMで無料です」っていう有名な言葉がありますけど、(有名か?)そういう思想も相まって経済とのマッチはあんまり上手くいってないし、2022年頃に言われてたような「これからはメタバースだ!」って言われていたのも結局は落ち着いてきてあんまり(貨幣経済との)相性は良くないのかなとは思いましたね。
メタバースと実存主義
りくお
最初の方で実存主義みたいな話もありましたけど、その実存というのは結局メタバースにおいて主観性を重視しているということなんでしょうか?
ふかがわ
そうですね、大体あってて、僕が実存主義に傾倒している…というよりかはメタバースと実存主義はそもそも相性が良いと思っているんですよね。
これは何でかっていうと、現実世界では人間はメタバースと比べて客観的な目線に晒されているし、しかも現実世界では生まれつき決定されている要素が多すぎるんですよね。例えば「身体」とか「立場」とか「どこの構成に入っているのか」とか。それに比べてメタバース…VRChatって持ち込めるのは精神だけなんですよ。身体も自分で選択できるし、どういう立場に置くかも自分で選択してるし。
実存主義のもう一つ重要な概念として、自己を自ら選択するっていう話があるんですけど、そこもVRチャットと相性がいいと思っていてですね。自らの精神だけを持ち込んで、それ以外の自分に関わる媒体(メディア)は自分で決定することができるVRチャットっていうのは実存主義とマッチしている要素が多いんですよね。
メタバースにおいて人間はいかに変容するのか
りくお
何となくは分かりましたけど…俺もその辺をずっと考えてて、どこまでメタバースに入って人間は変われるんだろうかっていうか。メタバースで得たものをそこまで(現実に)持ち帰れないんじゃないかと思うんですよね。「今の時代は」という言い方になってしまうんですけど、結局現実世界の手札しかやっぱり切れないわけじゃないですか、仮想世界とて。
ある意味予定説みたいな話になってるんですけど、キリスト教における予定説というものがあって、「生まれた時からお前の人生は決まっているんだ」と。意外とそういう思想に近いような気はしているんですよね。いくら仮想現実で何かをやろうとしたとて、結局現実世界で得た経験値からスタートしている以上はどこまで変われるというのはわからないじゃないですか。だけれども変われる人間は変われるようにして振る舞うのではないかと。その辺りはどうですか?「どこまで変われるのか」「どこまで持ち得るのか」という。
ふかがわ
これに関して色々な考え方ができると思っていて、メタバースに入ったからといって変われるのかという問いに関しては間違いではないと思いますね。というのも「変われる奴はいつでも変われるやろ」みたいな話だと思うんですけど、実際これはあって。僕も変われない側の人間なんですけど、VRチャットに来たからといって現実世界と違って上手くコミュニケーションが取れるとか、違う自分になれるとかっていうのはほとんど僕の体験としては無いですね。
ですが、現実との違いとしては「認識」に変化…異なる体験が起こるのではないかと思っています。メタバースは現実と地続きであるとは思っているんですけども、手軽に全く新しい環境、全く新しい体験が起こるという点においてはあり得ると思っていますね。
例えば海外に行った時なんかに感じやすいんですけど、自ら(の身体)以外の環境がガラリと変わって、周りにいる人間も全く別の考え方を持っているという環境に飛び込むと、自らも適応して変わっていこうとするというのは僕自身の体験としてあるんですよね。それがきっかけで自分はかなり変わったなと思うし。
これ何が起こってるのかって言うと、得る情報によってやはり人間っていうのは変化しうるものだと思うんですね。だから同じようにそのVRチャットに来て、違う情報に飛び込むというか、潜った時に自分が本当にその変わらない自分でいられるかっていうのは、恐らく変わらない人もいるかもしれないですけど、少なくとも認識に違いは起きるのかなとは思ってます。
りくお
ある意味「染まる」ってことだよね。
ふかがわ
そうですね。やっぱり人間には適応能力がありますから、それには個人差がありますけれども、VRチャットにきてどう変化するのかっていうのは、やっぱり個人差があることだとは思ってます。
りくお
なるほど…どう変わるんですかね。そこがメタバースと哲学についてのポジティブさの要因の一つではあると思うんだけども、VRチャットに来て別の価値観に触れて、そこに染まるってことは確かにあり得るんだけども、逆説的に思想が近い人間に寄っていくってことはあると思うんですよね。いわゆるエコーチェンバーっていうことなんですけども。
そういう側面とメタバースに関する哲学の「のんきな考え」って言うんですか、「世界が狭くなっていく」っていうか、韓国の人と仲が良いみたいなこととはまた別の平行だと思うんですよね。政治的思想っていうのははっきり言ってしまえば、ギーク的な人種が凄い多い中であるからこそ、右に寄る方が多いんじゃなかろうかっていう気は俺はしてる。
ふかがわ
どうなんでしょうね。まあ染めるっていうことにおいては、むしろそういう保守的な人達が多い方が新しく来た人を染めやすいっていうのはありますよね。
りくお
逆にねw
ふかがわ
VRチャットで独自の文化が持続しているからこそ、新しく入った人もそれに染まりやすいですよね。逆に多様化してしまうと、統一感がなくなっていって、VRチャットに来たからといって特段変化がないようにも感じられる。最近はだいぶ多様化してきていて、そういうところでは変化が起きているようには思いますね。僕もそんなに歴史を知っているわけではないし、ヘビーユーザーって名乗れるほどではないから、これは僕の認識の話でしかないんですけどね。
以前のnoteで「VRユートピア」の批判をしたんですけど、これはどういうことだったのかって言うと、初期のアーリーアダプターのVRチャッターたちが共同幻想として抱いていたVRチャットがそのまま反映されていた時期がありますよね。2020年より前ぐらいの頃かな。
そこからメタバースっていう言葉自体が社会全体に広まってしまった結果、色んな人たちが入ってきちゃったんですよね。自分もその一人でした。でもだからと言って、今までのVRチャット文化が衰退するかというと、そうじゃないと思ってて。
これは要はやりようなんですよね。思想的立場っていう話というよりかは単純に「その場にいたいかどうか」とか、どれだけ「VRチャットという場で何か得られるか」っていうところをどう持続していくのかが問題であって、確かに考え方の違いが起因するものもありますけど、そこが結構鍵になってくるんじゃないかなと思っています。
VRChatとイベント
最近VRチャット界隈で話題になったことが一つありまして、それが「サキュバス酒場JOIN戦争問題」ですね。これも人が多くなったから結構起き出した問題だったわけですね。もちろんサキュバス酒場は元から人気でしたけどね。(※サキュバス酒場=VRChatイベントの一つ。イベントの中でも随一の人気と規模を誇る。)
これ何が問題となって話されていたかっていうことを軽く説明すると、VRチャットにおけるイベントがあって、そのイベントの参加方法にはJOINっていう方式とReqInの方式を取ってるものがあって、JOIN方式をとってるものだと先着順になると。
で、これはネットワークやPCのスペックによっても結果が変わってくるから、それって不平等が起きてるんじゃないかって話だったんです。やっぱりVRチャットにおける人的供給がかなりもう過剰になってきてるんですよね。
最近感じてたことがあって、VRチャットのメインコンテンツの一つって「イベント」なんだというのは思ってて。僕もイベントがきっかけで入ったですしね。VRチャット(公式)側としては、ユーザー即(=)クリエイターとして扱っていて、その中で何かを作るってことも可能っていうことにしてると。(※前提として私はイベント主催も十分クリエイター足り得るものだと思っている。)
そういう状況の中で一番みんながVRチャットの中で楽しんでいるものといえばイベントになると思います。なんですけど、最近のイベントを見てるとやっぱり人が集まりすぎて運営側が困惑するみたいな事象がたびたび起きているみたいですね。1カ月ごとでも全然来てくる人が違っちゃったり、もっと増えたりしてて。イベントの供給量とイベントに来る人のバランスが崩壊してるんですよね。
「例のユーチューバー」の影響もあって、いわゆる新参VRチャッターが急激に増えたことで、その前からVRチャットにいたクリエイターたちのその許容量を一瞬超えてしまってるんですよね。今入った人達が作る側に回ればこの問題は解消していくと思いますが。
りくお
いや〜これは俺の持論なんだけども、俺が始めた2022年だったらまだ何か作った方がいいよとは言えるんすよ。だけど現状で言えるかと言えば、ちょっときつくねえかという気はしているんですよね。
ふかがわ
ほう、それはどういう理由ですか?
りくお
これはあまりにも生産者が多すぎるっていうことなんですよね。俺はそれをイベントに対してじゃなくて、boothとかのことについてなんだけども、我々はどっかも地点で、恐らくそれは生産っていうことを消費してるっていう逆説的なことが起きてるっていう気はしてて。
だから何かこうイベントをやるっていうことで、自分が何者かになれるっていうことがあるじゃないですか。何かテニサー副部長的なね?そこの地点まである程度は行ってしまったのかなって気はしてるんですよね。つまり、そのイベントに対する距離感っていうのはどうしても近いから、その分普通のイベントをやったところでは何者かにもなれないし、そもそもそれだけで満足するっていうことはもはやできなくなってしまったってことだと思うんですよ。
だから楽しくて色んな人にも会えるから生産をした方がいいよとは22年の俺には言えるんだけども、めちゃめちゃ人がいるもんだから、何かを生産したとて新しい出会いだとかそういうコミュニケーション的なものをっていうメリットよりも…boothとかの商品で例えばめちゃめちゃニッチな商品を作るっていうもので、boothにこう搾取されるじゃないけど、何かこうbooth側が有利に働いてるっていうのがわりかしあるって言うか。やりがい搾取ってとこまでは強くは言わないんだけども近いことはあるんじゃねえかって気はしてるんですよ。
だからそこまでメリットがあるとは俺は思ってなくて、それよりもだったらただ楽しんだ方がいいんじゃないかって、だったらずっと消費して好きな風にアバター買ってイベント行って好きなようにやった方が幸せなんじゃなかろうかっていう。
若年層の思想潮流とメタバース
ふかがわ
結構これはまさに今時というかここ2、30年の思想潮流、特に若者、10代20代あたりの思想の変化っていうのがあると思ってて。まず一つに社会が自由な主体を求めるようになってしまったんですよね。
これはなんでかっていうと、日本には20世紀末までにあらゆる共同幻想が打ち砕かれたっていう歴史があるんですよね。例えばカルト宗教もそうですし、国家っていうものそのものもそうだし、あと家族とか、いろいろな物語が崩壊していったのが20世紀末なんですよね。それ以後に生まれて、僕もそれを強く感じてるんですけど、学校ですら何者かになれみたいなことを言われるんです。恐ろしくないですか?w
僕が通ってた高校には某…ゼミの職員が来て性格診断みたいなものをやらされて、あなたにはこういう職業は向いてますみたいなテストを受けさせられるんですよね。それだけじゃなくて、もうあらゆるニュース、情報媒体とかでもそういう風に要請してくるし、そういうプレッシャーを受けて今の10代が育ってるっていう背景があるんですよ。
なんですけど、教育制度自体は全然変わってないから当然、均一化された人材が高校以降輩出されていくと。ここでパラドックスが起きてるんですよね。今まで均一化されていたのに、社会自体は強い個性だったり、強い主体性を求めてくるから今の10代、20代の精神には乖離が起きてるんですよ。というのが私の認識ですね。
その人たちがVRチャットに来るとどうなるかっていうと、当然何者かになりたいと思って来るんですよね。だから個性を求めて改変とか頑張ったりするし、boothで買って何かしたりするし、イベントを開催したりする。だから彼らが今まで抑圧されてきた自己表現とか、自己実現欲求をVRチャットで発散しているという面はあるとは思いますね。現実だとそう上手くはいきませんからね。VRチャットではそういうことがやりやすい。
りくお
そうですか。あれふかがわさん俺より下だよね?俺98年生まれなんすけど。
ふかがわ
全然下ですね。21世紀生まれです。
りくお
マジすか!?いやどうなんだろう。これ世代がわかるかな。これこそ聞きたいんだけど、多分その意見はすごくZ世代的だと思うんですよね。
ふかがわ
多分そうでしょうね。
りくお
俺の見立てだとVRチャットっていうのはゆとり世代とZ世代の綱引きが発生してるんじゃなかろうかってにらんでて。(※ゆとり世代=大体80年代後半〜2000年ごろ生まれ。Z世代=それ以降〜2010年代ごろ生まれ)
要は、ゆとり世代でサブカルチャーで言うと、ゆとり世代が流行ったのって「バトルロワイヤル」とか「デスノート」とかなんですよ。だからもう教室でどうしても勝ちたいって言うか。勝ちたいんだけど、日常が終わんないもんだから、おうじゃあぶっ○してやるよみたいな感じの、俺がリーダーだ、俺が神になるしかねぇっていうことを言う。でもZ世代で流行ったアニメって「ちいかわ」とかじゃないですか。
ちいかわみたいな奴がデスノートの世界に行ったらすぐ○されちゃうよとか思うんすけど、それが思想の…「物語に対して生産する」というものっていうことなんですけど、その映像とか小説とか、アニメとかもそうなんだけど、そういう記号的な意味で、「オンリーワンよりもナンバーワン」に近い方がゆとり世代の発想だろうと思ってるんです。
だけど、ゆとり世代じゃなくて、多分ふかがわさんの(Z世代の)方は多分オンリーワンになれってことだと思うんですよね。そういうゆとり世代のナンバーワンになれっていう圧力と、でも変わんないんじゃねえかっていうところの綱引きみたいなのが、俺はVRチャットの中でちょっと感じてるところではあるんですけど、それはどこまでなんですかね。それは学生時代の記憶がVRチャットの中にどこまで持ち込まれるのかっていうところだと思うんですけど。
ふかがわ
どうでしょう。(個人的な解釈としては、ゆとり教育そのものが詰め込みや競争への否定という思想が根底にあったがゆとり世代の時代はまだ前時代の残り香があった時代で、Z世代以降で完全にオンリーワン志向になったと思っている。)学生時代っていうかまさにその世代的なもの、実際現実世界で起きている思想潮流っていうものがメタバース…VRチャットにも適用可能かって話ですよね。
りくお
多分そうね大きく言うとね。
メディアとオンリーワン
ふかがわ
学校だけじゃなくても色々僕は社会からの要請を感じてる部分があると思ってて、一つはやっぱりメディアはあると思ってます。メディアもこういう凄い人がいるとか、競争っていう形じゃなくて、こんなヤバい奴がいるみたいなのを結構もてはやしがちなんですよね。これが顕著に表れてるのが東大生をネタ扱いし始めたことですよね。
昔だったら東大ってもう競争の権威の象徴なんですよ。だから絶対的な勝者として今まで社会は扱ってきたんですけど、それはもちろん今もあるんですけど、むしろ今注目されているのは東大生がめちゃくちゃ独自の趣味とか凄い特別な何かをやってたりとか、そういう強烈な個性を彼らに今求めてるんですよね。
これは社会の個性を求める風潮が如実にに現れた事例だと思ってて、彼らに申し訳ないんですけど、実際彼らはすごいんですけど、彼らに求めるものがそれに変わった時点で競争で優位に立つという物語よりも、より個人的な、主観的な、どういうオンリーワンになれるかっていうことの方をみんな注目するし、メディアもそれを求められてるから、それを発散しようとする。これは誰がって話じゃなくて全体的にそういう流れになっちゃってるから、みんなそれに乗っかってるだけなんですよ。だから誰も悪くはないんです。
りくお
だってさあ…
ふかがわ
(笑)どうぞ?
りくお
私のこと初見って方もいらっしゃると思うんですけど、一応私はテレビ業界に勤めてまして、一応編集マンやってるんですよね。その中で、すごくそのメディアに対しては、そのオンリーワンを求める…東大的なものっていうのは凄く間近で見てて、言い訳なんだけども、テレビ側からすると、昨今のSDGS的なものに乗っかるには一番ちょうどいいっていう。
個性はやっぱり言っちゃうと、その辺のよくわからん大学のめっちゃ強い個性より東大の個性の方が言いやすいって言うか紹介しやすいっていう。だからその人の肩書きが乗っけられちゃうわけですよね。つまりテレビが扱ってるものっていうのは「イメージ」なんですよね。本当は東大の秀才って言いたいけど、もう秀才って言えないんですよね。
ふかがわ
へ〜そんなのがあるんですね。
りくお
やっぱそこの書きぶりというか、そこの結局やってることは本のポップとかと一緒ですよね。つまり、本の内容は確かに一緒なんだけども、ポップを良くしなければ本を読まれないっていうことなんですよ。だからそういう意味では視聴者が見てもらうにはやっぱりそっちの方だしってことを考えていて。(反響というのは)売った瞬間に初めてわかるものなんですけど、放送してみて、「あ、これダメだったな」っていうのはできないっていう。
YOUTUBEと違ってテレビっていうのはずっと流しっぱなしなわけですよ。だから過去の放送を基本的に振り返ることないといいますか。だからYOUTUBEとかだと動画を並べられてるわけなんですけど、そういうことではなくて、ただ垂れ流されてそこにあるものを見るしかないっていう状態なんですよね。
つまりポップをいかにして描くかっていうその準備段階の方を大事にしてるってことなんですよね。だから、そういう流れになってしまうというwそうじゃなくても別にただ頭がいいだけだっていいじゃないかっていう意見も確かにそれは分かりますし、ごもっともなんですけども。だけど、もうそれはテレビ的には面白くないっていう。
ふかがわ
どうしてもやっぱりメディアっていうのは注目度が大事ですから、あれってPV数というか、やっぱりいかに注目されるかということにおいて意外性だったりとか、卓越性っていうのが一番注目をされやすいわけで、今までお堅い、しかもその一番の上位者として扱われてきた人たちが、実はこんな面白い個性を持ってて、そんな奴らなんだっていうのが一番注目を集めやすいと。だから単純に当然の流れをやってるだけなんだと思いますよ。シンプルだからこそ上の世代もそれを楽しめますしね。
りくお
どうすればいいんだろうね?だからそのオンリーワンていう話なんですけど、「どこまでオンリーワンを求めるべきなんだろうか」っていうところなんですよね。多分それはその日常生活においても多分それは同じだろうし、VRチャットもそれは同じ地平っていうか。
社会性とオンリーワン
ふかがわ
僕もこれはすごい悩んでるというか、どこまでオンリーワンにすればいいのかっていう話があって、しかも矛盾してるのが個性は求めるんだけども、一定の社会性がなければ認められないんですよ。これすごく厳しくないですか?
個性があっても、それが例えば反社会的な意味だったりとか、あと他人と全くコミュニケーションを取らないとか、コミュニティにコンテンツを提供しない、そういう意味では注目されないんですよ。だから、社会に役立つ形としての個性が今求められてるのであって、単純にオンリーワンを求められてるわけではないんですよ。
りくお
それはVRチャットにおいても多分同じことが言えますよね。だからそのVRチャットのクリエイト・シェア・プレイっていう方をわりとこう強く捉えられがちだけども、俺は逆にコミュニティガイドラインが存在することに対して俺は注目していて、本当の意味では多分VRチャットのコミュニティっていうのはキリスト教的なことだと思うんですよね。
隣人愛とかのコミュニティっていう意味でのコミュニティだと思うんだけども、日本人が言うコミュニティっていうのは、「和を以って貴しとなせ」(※聖徳太子が定めた十七条の憲法の条文。調和を大切にする心構えを表していると言われる。)っていう方のコミュニティじゃないですか。
だからコミュニティに対して何かこう生産的なことをしろっていうことプラスの個性だと思ってるんすよね。VRチャットで何者かになるっていうことも含めての話なんすけど。
ふかがわ
VRチャットってやっぱり交流が主体というか、やっぱりVR「チャット」っていうぐらいですから、何かゲームがあるっていうよりかは、むしろ他人とのコミュニケーションを楽しむっていうのが第一の目的としてあると思うんですね。そこでやっぱり社会性が重要になってくるんですよね。
オンリーワンだけれども社会性が求められるっていうのは結構VRチャットにも当てはまる話で、先程のイベントの話とか、あと何かboothでどういう商品を売ったりしてるとか。そういうのは求められるけど、「荒らし」ってよく言われますけど、奇異ではあるけれども社会にとって有用な形式のものでなければならないと。だからそうでない形式のものに対してはVRChatterは厳しいですよね。
りくお
そういう意味ではVRチャットって圧力強くないですか?現実社会よりも監視社会が発展してるなとか思ってしまうんですけど。
ふかがわ
確かにねえ。やっぱりそういうのはあるんじゃないかな。全然寛容な人の方が現実世界より多いから、誰がどういう楽しみ方をしようが別に誰も文句は言わないんですけど、それが他者と関わる地平において、迷惑行為だったりとか、異なることを声高に主張する人達に対しては、厳しい目線を向けられることはありますよね。
りくお
そうなんだよなあ。そういうのと向き合った上での「何者かになる」ってことなんでしょうね。きっとね。
ふかがわ
それぞれが何者かになるために努力していて、その努力の積み重ねが「文化」というものなんですよね。みんなが頑張って積み重ねた結果の文化っていうものから外れていくと、その人たちの努力を否定された気になりますし、しかもその批判される側の人達が別に何もしていない、価値を提供していない状態だったら、防御する材料がないわけですよね。だから、そういう扱いになると。そこに関してはそこまで否定的な見方をしてないんですけどね。迷惑行為っていうのはやっぱりあると思うし、不快になることももちろんあるし。
りくお
そうなんだろうね。そこまでしてVRチャットやりたいんだろうかっていうのをずっと思うんですよね。現実社会と比べてそんな人の目を気にしてまでやる社会生活って楽しいか?っていう。
オンリーワンになりたいっていうのを含めてなんだけど、何者かになったっていうことを判定するのは自分自身じゃないわけじゃないですか。評価軸が外に置かれてると思うんすよね。第三者というか。
だからそこっていうのは、日本ではコミュニティに置かれてしまっていて、何か身近なフレンドだっていう意見も出て、何かふわっとした「仲間大事だよな」みたいなツイートも多々観測しますけど。何か結局共同体だし、そこまでしてやりたいんかっていう。
ふかがわ
まあ、選択肢としてあるだけで僕もVRチャットは絶対じゃないと思ってるし、もちろん楽しいから今まで続けてますけど、そんなに絶対視してやるものではないかな。僕もこだわりはそこまでないですね。だけどやっぱり色んな人達が何かしらを生産したりとか、何かを提供しようとしてる人達がいっぱいいるからこそ、VRチャットはコンテンツに飽きることはないし、共同体にいた方が楽しめるんですよね。VRチャットという空間は。
言っちゃ悪いですけど、VRチャットが本当に廃れていくようであればもうVRチャットはやらないと思いますし。共同体に呑まれていた方が居場所を感じやすいけれども、社会全体としては個性を求めるし、確かな眼に見える需要があると。…だから結構大変ですよね、皆さん。他人事みたいな言い方ですけどw
アバターアイデンティティ経済圏
りくお
その文脈で経済というか、アバターを買うっていうのはその思想も若干組み込まれてるんじゃねえかなっていう気はちょっとしてるんですよ。だから何者かになりたいっていうか。
別のアバターと差をつけたいっていうところで言うと、どうしてもその服を買うっていうことで、いわゆるバニラの状態じゃなくするっていうところも含まれてんじゃないかなっていう。だけど、そのアバターは一体誰に見せるためのものなんだっていうことを考えた時に、やっぱり共同体という存在は無視できない。だから自分のために買ってるのではないんじゃなかろうかって気はちょっとしてるですよね。
ふかがわ
アバターとか服を買う動機は色々あると思うんですけど、アバターって最初は見た目みんな同じですから、みんなが改変しないままそのアバターをそのまま使ってたら、やっぱり個性ってのは出ないですよね。誰が誰だか分かんなくなるじゃないですか。実際僕も改変してますし。
共同体目線から見てその方が都合がいいですし、個人としても自分の個性を出しやすいから、現実世界よりよっぽど個性を発揮しやすい。だからそういう自己表現するっていうのが今VRチャットで起こっていることなのかなとは思いますね。
りくお
ああ、やっぱそこですよね。それでみんな改変してんのかな。
ふかがわ
主語「私」っていう話で言うと、僕が改変をするのは大きく2つ理由があって、一つは自分が好きだと思えるアバターを使いたいっていうのがあるんですよね。主体なのか客体なのかどっちかなのか全く分からなくなるんですけどね。この見た目は自分が好きだと思える体だし、このアバターの人で良い人が居たらすごい仲良くなりたいですよw
それでもう一つはVRチャットという空間で動きやすいようにするっていう理由もあって、やっぱり女の見た目の方が話しやすいって感じる人が多いみたいだし、デフォルトのアバターだとイメージがつかないし、誰が誰だか分かんなくなるじゃないですか。
確かバーチャルライフマガジンがやってた調査かなんかで、自分のそのアバターをなんで使うかの調査があったんですけど、やっぱり功利的な部分とアイデンティティーの部分両方の意味で使ってる人が多かったですね。ねむさんもなんか調査やってたかな。(※バーチャルライフマガジン=メタバースに関する記事を発行しているネットメディア。バーチャル美少女ねむ=メタバースに関する著作で一躍注目を浴びているVtuber。)
りくお
個性っていうことはきっと「差異化」なんでしょうね。っていう気はずっとしてるんだけどどうなんだろう。
ふかがわ
それで言うと、この元々のアバターの対応衣装はそんなになくて結構困ったんですけど、最近改変の幅を広げたいなと思ってしなのちゃんを買ったんですよね。あと桔梗ちゃん。あれは一番改変が行われてるアバターですよね。
やっぱりこのアバターだけだと選択の幅が広がらないから、そういう別の人気のアバターを新たに買って、それを改変するっていうのはもちろん自分だけではなくて往々にしてあると思いますね。それはさっき言ったアイデンティティのところも満たせるし、しかも人気があるアバターはそれだけ優れてるし、比較的見た目も受け入れやすいものであると。だからこの2つのことを満たせる意味でも、改変しやすいアバターをみんな買いやすいっていうのはもちろんあると思いますね。
りくお
そうなのかな。僕改変しないんですよね全然。もうだったら下手でも一から自分で作っちゃう方なんですよ。
ふかがわ
それはどういう理由なんですか?
りくお
あんまりアバターを買いたいと思ったことがないっていうのがまずあって、別に俺平気でロボットとかでも居れるんですよ。わざわざロボットにする意味もないからやってないですけど、別にロボットでもいいっていう。
色々考えた結果、アバターを背負うには荷が重すぎると思ったんですよね。すごい思想が強い意見なんですけど、例えばこのアバターはちょっと名前濁しますけど、恐らく政治的なこととか、宗教的なことの利用はNGだったんすよね。この場でこういう話をすることも、果たしてアバターの作者も望んでいるんだろうかというと多分望まないじゃないですか。
そういうことを考えていくと、アバターの作者、いわゆる生みの親が一種の私に対する拘束権というか、自由に対して何か言えてしまうっていうことを考えるとじゃあ自分で作った方がいいなと。でも多分それには理由があるじゃないですか。そのアバターに対しての思い入れだとか。それを含めた上でのちょっと荷が重いなっていう。これは超少数意見だと思うんすけど。
ふかがわ
これはVRチャットでどういう使い方をするかっていう話でしかないかなと思っていて、正直みんな「ガチ」な目的、こうやってVRチャットについて真面目に話してたりとかする人って正直少数派ではあると思うんですよね。
そういう使い方をそもそも想定してないっていうのもあるし、実際リスクもあるからアバター作者はそういう規約を設けているし、実際のところそれはほとんどの人にとっては関係ないんですよね。
あとは単純に面倒くさいってのがあって、一から作るのってw僕の本当に最初期のアバターはVroidで作ってたんですよ。でもあまりにもユニティと仲良くできなくて、買ったアバターを改変した方がずっと楽やんと思って、それ以降は買ったアバターを改変するという形になってます。(Vroid=pixivが運営しているアバター制作ツール)
りくお
最初にVroidを選ぶのやっぱりそのオンリーワンに近いからなのかなとか思うんだけど、それはVroidで自分だけのアバターを手軽に作れるって書いてるからなんですか?
ふかがわ
そうですね。あんまり手軽じゃないと思いますけどねw僕もVRチャットを始めた時は、やっぱりオンリーワンの見た目になりたいっていう欲求があって、色々集めてきて、自分独自のアバターを作ったんですけど、すごい労力かかるんですよね。選択の幅も狭いし。一からとなると自分に3Dモデリングの技術がないと、自己表現の幅が限られるじゃないですか。
だから結局Vroidだと個性が出せなくなるっていうジレンマがあって、用意されてる改変のテンプレを使った方がよっぽどその自分の個性出しやすいと。しかもみんなアバターも多様化してきて、同じアバターじゃないと思うし。
現実とメタバースで何者かになるということ
りくお
なんか話してるとずっとすげえ大変だなと思って。VRチャットで何者かになるって。きつくないですか?
ふかがわ
笑。いやでもこれはしょうがないですよ。社会がそうなってしまってるんですよね。でもVRチャットの方が現実より何者かになりやすいとは思ってます。
りくお
まだ???
ふかがわ
そうだと思いますよ。先に述べたように現実世界って最初に決められてるものが多すぎるんですよね。身体とか、あとどこに所属してるのかとか、どの家族にいるかとか。生まれた時点で結構決まっちゃってて、自分が自由に選択できる余地なんてあんまりない。
もちろん現実でもできることはありますけどね。でもVRチャットではすごい変わった見た目にもなれるし、一瞬で違う姿にもなれるし、好きな服も着れると、例えば自分が女の服を着たいと思っても、自分のリアルの身体じゃ絶対着れないわけですよ、そういうことをVRチャットではやってて、あとは自分がどこに存在するかとか、VRチャットの方がむしろ自分が何者かになるための費用だったりとか、労力だったりとかは低いし、可能性はVRチャットの方が大きいと言うことができると思いますね。
りくお
そうなんでしょうね。言っていることはすごいわかるんですよ。でもこういうのは多分欲望に終わりがないっていうのは思ってるんすよね。何かずっとじゃあ別の、じゃあ別の、っていう風にどんどん駆り立てられていくような気はしてるんすよね。
ふかがわ
これはもう当然というか、「資本主義だ」というか、「人間である」というか、人間がそういうものであるとしか言いようがないんですけども、今までそういう欲求が抑圧されてきたものがVRチャットという可能性の下で、その欲求が爆発し始めたっていう解釈の方が正しいかなとは思ってます。
むしろ今まではずっと我慢を強いられていたんですよね。昔の人間だったら、「男ならこういうものであれ」とか「女ならこういうものであれ」とか、「日本人たるもの、こうであれ」みたいなのが割と当然受け入れられていて、今まで受け入れられない人もいたと思うんですけど、でもこの物語の方が強いし、それを覆せないから今まで抑圧されてたと思うんですよね。
だけど、今こう社会が変化して、しかもVRチャットっていう無限の地平が広がった以上はそこで自分の可能性を広げるしかないですよね。それで言うと、VRチャットは「べき論」はあんまり強くないですよね。「VRChatterならこうであれ」みたいな話ってそんなにない。あんまりコミュニティに迷惑を掛けたりとか、そういう実害が伴う話とか、そういう文脈だったら言われますけど、別にどういう選択をしたかであんまりハブられることはないですよね。ここが違いなんじゃないかとは思ってます。
りくお
確かにまだ自由なのかもしれない。
ふかがわ
やっぱり大きな物語、既存の権威が凋落してきて、より個人的な実存を求めるようになった結果がこれなのかなとは思ってますね。だからVRチャットは実存主義と相性がいいっていつも言ってるんですけど。
今までは客観的に他人目線から見て、その人はどうあるべきかとか、その人をどう作るかっていうことに重きが置かれてたんですけど、今は自分が自己自身の関係としてどのようにありたいか、自分の選択としてどうありたいかっていうことの方が重要視されるから、今それが一番実現しやすいのがVRチャットをはじめとしたメタバースだと僕は思ってます。
(※自己自身の関係として、という言葉を使ったが、これはキルケゴール『死に至る病』から。「人間とは精神である。精神とは何か?精神とは自己である。自己とは何か?自己とは自己自身に関わる関係である。言い換えれば、この関係のうちには、関係がそれ自身の内に関わるということが含まれている。」)
りくお
確かにそこはVRチャットならではの利点がありそうですよね。
ふかがわ
だから高齢者が始めたとしても、大分文化には慣れないのかなっていうのは僕は思ってますね。今までのその上の世代の人達からすれば、社会でこうあるべきだとか。これが正しいんだって言われてることに従うのが善であり幸せだったわけで。だからVRチャットにそういうルールというか、正しい善がまかり通ってないことにだいぶ苦労するんじゃないかと思っています。
あとVRチャットでは物の所有という概念が希薄ですよね。上の世代だと高級車を持ってたりとか、家を持ってたりとか、高級時計を持ってたりとか、ステータスとして「所有している」っていうことが結構是とされてたし、それが社会からの承認を生んでたんですけど、VRチャットは別にそうじゃないですよね。「あのアバターうらやましい」とか思ったりとかはあるかもしれないけれど。結論として、今の社会の動態の結果が一番分かりやすい形で現れてるのがVRチャット文化なのかなと。
りくお
そうですね。一つの形なのかもしれない。
ふかがわ
この流れは加速すると思いますけど、例えば10年後20年後とかにまた新しい世代で全く違う価値観が現れたりとかしたらVRチャットという場は必要なくなるというか需要がなくなるでしょうね。そこはやっぱり時流だし、経済の動きだし、世代の格差っていうものが現れてるんじゃないかなと思ってます。
VRChatの現実とは何か?
りくお
なるほど。ちょっと凄い面白いとこになってきちゃったんですけど、そろそろお時間がやってまいりました。
じゃあ最後ふかがわさんにこのラジオの決まりとしてお伺いしたいんですけど、VRチャットの現実っていうところで言うと、やっぱり思想…みたいのが現実ってことなんですかね。これはVRチャットの現実を探すラジオってことでやってるんですけど、そういう意味ではふかがわさんの中でVRチャットの中の現実っていうのはどういうことなんでしょうか。
ふかがわ
思想というとちょっと角が立った言葉なので、僕は「精神」という言葉を使いたいんですよね。実存主義の先駆者であるキルケゴールは、「人間とは精神である」という風に言ってるんですけど、これが一番表れるのがVRチャットで、現実世界とVRチャットのそれぞれの生が繋がってる共通要素って精神だけなんですよね。
だからVRチャットの現実を探そうと思った時に鍵になるのがそれぞれの精神ではないかと。今のところ言えるものとしては、「VRチャットの現実とは人間の精神である」という風に言えるかなと思います。
りくお
というわけで、今回のゲストはふかがわさんでした。ありがとうございました。
ふかがわ
はい、ありがとうございました。