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綏靖天皇(すいぜいてんのう)の人喰いは本当か?

初代天皇の神武天皇(じんむてんのう)の名をご存知の方は多いだろう。

では次の天皇の名前は?と訊かれるとどれくらいの人が次の天皇の名前を上げられるのだろうか。

二代目の天皇は初代の天皇、神武天皇の次という事もあり、あまり目立たない。

今回は、そんな謎に包まれた次の代の綏靖天皇(すいぜいてんのう)についてお話したい。

この綏靖天皇だが欠史八代(けっしはちだい)の一人とされている。

欠史八代とは綏靖天皇から開化天皇(かいかてんのう)の八代まで実在していないという事だ。

どういった理由で欠史八代となっているのか不明だが、存在するはずがないと思わせている部分は天皇の年齢にあるのかもしれない。

初代の神武天皇は日本書紀では127歳で古事記では137歳、綏靖天皇は日本書紀では84歳、古事記では45歳で、5代、6代、7代、8代、9代天皇は日本書紀では100歳を超えている。

私の守護霊様には綏靖天皇も居るし、綏靖天皇の玄孫(やしゃご)の天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)という皇族も居る。

綏靖天皇と天足彦国押人命に年齢の数え方を訊いてみた。

天足彦国押人命は年の数え方は3つあり、一つは米と月。二つ目は稲、粟、稗、キビ、大麦、小豆が関係していて、三つ目は生物と言っていた。

この年の数え方は難しいらしく、天足彦国押人命に弟の孝安天皇(こうあんてんのう)の年齢差を確認したが、何回も計算していた。

計算式が分かり次第、記事にしようと思う。

綏靖天皇人食いの噂


私は歴史に詳しくないのだが、綏靖天皇はかなり昔の人物であり、上でも触れたように欠史八代でもある。

人物像についての歴史的な記述はかなり少ないのではないかと思われる。

この記事は、見せてもらった記憶を頼りに書いている。

特に食人の記憶はない。

性格は優しく、温厚で高貴である。

中学生くらいの姿で私の意識内に居るが、もうこの時には子供が居たようだ。

目は一重で白く綺麗な肌と歯の持ち主で、えらと頬骨が少しだけ張った、端正な顔立ちをしている。

笑顔のイメージも強い。

綏靖天皇はかなり若くして亡くなっているのも分かる。

亡くなった歳は明確には分からないが、二十代前半なのではないかと思える。

綏靖天皇の時代は、まだ神と呼ばれる宇宙人が沢山来ていた時代でもあるようだ。

記憶を見ると、庭に小さな宇宙人が来ていたのでよく遊んでいたようだ。

因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)で有名なワニも名前は「わぁにぃ」と発音し、人間のような目と鼻と口を持った生物で、超音波のようなもので人間と会話ができる。

この「わぁにぃ」についても別の記事で書きたいと思うが、この生物は食用にもされていた。

しかし、わぁにぃと会話をしていた綏靖天皇は愛着を持ってしまい、食すことが出来なかった。

そんな綏靖天皇が人間を食すとは到底思えない。

守護霊様に後白河天皇(ごしらかわてんのう)も居るが、「綏靖天皇は人間を食していない。」と言っていた。

肉体を持っていない後白河天皇は人間と違い、過去も未来も見れる存在である。

嘘をつく利点もないと思われる。

綏靖天皇自身も食人はしていないと今、笑顔で言われている。

この綏靖天皇の食人の話も、ずっと後の時代の14世紀半ばに誕生した「神道集」に書かれている事なので私は信じてはいないが、判断は読者の方に任せよう。

綏靖天皇のこだわり


この記事の画像を見ていただきたい。

勾玉である。

この画像をつくるのに30分はかかった。

中々、承諾が降りなかったのである。

綏靖天皇の美意識は高い。

当時つけられていた勾玉のネックレスを見せてもらった事もある。

一番最初に赤瑪瑙(あかめのう)の勾玉のネックレスを見せてもらい、次に青い勾玉のネックレスを見せてもらった。

それを見て、(格好いい)と感動したのだ。

実は当時は、緑色の翡翠で出来た勾玉しか存在しないと思っていた私は衝撃も受けていた。

さらに綏靖天皇のこだわりと言えば御名前と思われる。

このこだわりは当たり前で、綏靖天皇という名前は後の時代の人間がつけたものだ。

「綏靖天皇」とお呼びすると毎回「きゃんむぅなきゃわみぃみぃのむぃこちょ」と訂正される。

おそらくは御名前の神沼河耳命と言われているのだろうが、発音が難しい。

同じ時代に生きた守護霊同士の会話を聞いてみても、今とは発音が違い言葉も違い全く理解できない。

明治までならまだ理解できるが、それより前の時代は難しいのである。




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