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両面宿儺をつくった神
両面宿儺(りょうめんすくな)とは時代が古く聖の帝(ひじりのみかど)の仁徳天皇(にんとくてんのう)時代に岐阜県の飛騨に現れた異形の人、鬼人である。
両面宿儺は一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。
胴体のそれぞれに手足があり、天皇に従わず、人民から略奪を繰り返していた為に武振熊命(たけふるくまのみこと)に討たれたとされる。
大正時代の両面宿儺
大正時代にも両面宿儺は存在していた。
それを説明する為に、あるカルト教団の教祖の説明から入りたい。
その教祖とは、明治から大正時代にかけて生きていた物部天獄(もののべてんごく)という人物の事だ。
この物部天獄は、具体的な教団名や教義や生い立ちさえも不明の人物で、どういった理由でカルト教団の教祖になったのかも謎に包まれている。
天獄は日本に強い恨みを持っていたとされるが動機もやはり不明だ。
大正時代の両面宿儺は、そんな天獄が国家転覆の為につくった代物だった。
この大正時代の両面宿儺は、人間の蠱毒(こどく)でできたものである。
蠱毒とは?
「蠱毒を使った守護霊様の記憶」でも書いたが、蠱毒とは無数の虫や蛇を集めて容器に入れ、共食いをさせ、残った一匹を神霊とし、それを使い相手を呪うのだ。
蠱毒に使われる生物によって呪いの症状も変わってくるがここでは割愛したい。
この蠱毒を人間で作成したものが大正時代の両面宿儺だ。
リョウメンスクナという名前
大正時代の人間の蠱毒が両面宿儺という名前になっているのは、その見た目からである。
大正時代は見世物小屋というものがあり、親に売られた奇形児達が働いていた。
そこには胴体が一つに頭が二つのシャム双生児(結合双生児)も働いていた。
物部天獄は大金を払い見世物小屋から、そのシャム双生児と数名の奇形児達を買取し、蠱毒をつくったのだ。
シャム双生児を神霊にしたかった物部天獄は、他の奇形児達に致命傷を負わせてから地下の部屋に閉じ込めた。
シャム双生児だけが生き残ると、別の部屋に移して餓死させた。
シャム双生児は上記の仁徳天皇時代に現れた異形の鬼人、両面宿儺に酷似していたことから「リョウメンスクナ」という名前がつけられ教団の本尊となった。
人間の蠱毒、リョウメンスクナの威力
この人間の蠱毒であるリョウメンスクナのある地域では災害が起きるらしく、大噴火や炭鉱の爆発、大火事や列車雪崩直撃事故、大水害や大震災などがあったとされる。
両面宿儺をつくった神とは
この記事のタイトルはあくまで「両面宿儺をつくった神」であり、それは物部天獄の事ではない。
私の意識内にいる月読命(つくよみのみこと)だ。
月読命は、今から何万年か前に人間での蠱毒をつくって実験をしてみたらしい。
昴人の寿命は約8000歳であり、月読命は人間で言うと25歳くらいと言っていたので2500歳くらいかと考えているが、天人は未来も過去も自在に行けるのである。
被験者は東アジア人だ。
東アジア人を対象にしたには訳がある。
それは、実験台になってもらう代わりに、死後はグレイ輪廻(天人輪廻)を提供する約束の元で蠱毒が行われたからだ。
グレイ遺伝子の入っている東アジア人なら死後のグレイ輪廻は容易であるとのこと。
「人間は地球から出られない」でも紹介したが、あと56億7000万年は永い。
月読命が言うには、「人間が天人輪廻に入るのは最上の幸せ」らしい。
被験者の同意を得るところは物部天獄とは違う。
20人でつくった蠱毒
月読命は20人の被験者を使い蠱毒を作成した。
つくった後はやはり災害に見舞われたのだが、大正時代のリョウメンスクナと違うところは隕石が落ちたという点だ。
隕石も様々な大きさがあり、1ミリ以上なら隕石になる。
隕石については詳しくないので何とも言えないが、衝撃はそれなりにあったらしい。
しかも、その蠱毒を移動させた先で疫病が流行り出したという。
この疫病はエボラ出血熱のようなものと月読命は言っている。
月読命がつくった人間の蠱毒のその後
あらゆる物体は素粒子と言われる小さな粒から出来ている。
この月読命によってつくられた人間の蠱毒は、最後は素粒子に分解された後にネガティブなエネルギーは中和された。
なので今は存在していない。
そして、月読命が行った蠱毒の被験者は、無事にグレイ輪廻に入り、宇宙へと散っていったのだった。