さすがにちょっとこれだけは話させてくれ。~八村塁と日本バスケ、そして日本のスポーツ観と差別と~
なんかもう、いろんな意味ですごく悲しくなってしまったので、本当に悲しい。。。なんでこんなことに。。。って気持ちだったんだけど、それ以上に、いやマジで舐めてんのか?みたいなことをテキトーに言い出すメディアが増えてきたので、ちょっともう我慢できなくなって一本書かせてほしい。いやマジで、本当にあり得ないんだよなぁ。なんというか、いやまぁ、日本人って基本的に圧倒的な才能の扱い方、本当に下手すぎるというか、圧倒的な才能の上に忠誠心とか倫理とか乗せようとするんだよなぁ。
まぁこの、圧倒的な才能の上に忠誠心とか倫理とか乗せようとするのは、そもそも日本人のスポーツマンのスタイルイメージって、相撲取りからブレてないんよ。んで、相撲って基本的に神に対するお供え物なわけで。そうすると、相撲という行為自体が神と対峙する行為なので、神官とか僧侶にあるべき気品とか教養とか振る舞いとか神秘性とかそういうものを求めてしまうのね。だからまさにこうなんというか。。。日本人とはこういう存在である!というひとりひとりの綺麗な日本人像を当てはめたがる癖があってなぁ。それが、私はとても気持ち悪いなぁもうって感じなんだよなぁ。こういうところから、「強い才能には礼儀が大事!」みたいな話で押さえつけようとする傾向ってあるよね。実際には、強い才能は伸ばして伸ばして、そこから生まれた実りをみんなで享受しよう!にすればそれで良いんだけど、まぁなかなか理想はうまく行かないか。これはともかくとして。
とりあえず、八村塁と日本バスケ(JBA)の関係性、というよりも、そもそもゴミみたいなJBAの話も含めて(ジャカルタで買春とか舐めてんのか本当にいい加減にしろ)ちょっと以下の話を読んでほしいと思う。ちょっと八村塁に対してかなり感情的なロジックはあるが、事実部分に概ね間違いはないので。
今回の八村塁の発言や態度、或いはホーバスHCの発言や態度はもうやってしまったことなのでどうしようもないとして、日本人のスポーツ観について1点と、それからもうひとつ日本人の決定的な欠点について話したいと思う。
1.日本人のスポーツ観の問題点~野球観ですべてを語ろうとするのを辞めろ~
そもそもとして、バスケットというスポーツは、野球とは決定的に異なっている。というよりも、野球というスポーツが、スポーツの中では明らかに異質すぎるというのが正解だろう。野球というスポーツの私が注目している異質性の中で1つ今回取り上げるものは、「積み上げたものをリセットするタイミングがある」ということだ。バスケットは「すべてのプレーが勝敗に向けて積み上がっていく」という特徴を持っており、野球観では語ることが出来ないものが多すぎる。
野球における「積み上げたものをリセットするタイミングがある」というのは簡単に行ってしまえば、イニングによって塁上のランナーがリセットされることを指している。そもそも、他の多くのボールを使うスポーツは、基本的にずっと時間が流れており、その時間の中で効率性を競うゲームだ。サッカーであれば、45分×2の時間の中で、ゴールマウスにボールをけりこんだ回数(=ゴール数)を競う。バスケットであれば、10分×4(12分×4)の時間の中でボールをバスケットの中に放り込んだ回数(=ボール数・得点数)を競う。このゴール回数に対して、人がどのようにシステマティックに効率的に動けるかどうかを競っている。ボールがひとつしかないからだ。その結果として、サッカーであれば、仮に前半40分でゴールが入った場合、その40分にはシナリオがあり理由がある。少なくとも、そのゴールの瞬間の10分ぐらい前からは、そのゴールが発生する兆しのようなものが生まれていることが多い。例えば。前半40分で決まったゴールは左サイドからのセンタリング、そこにボランチが突っ込んで合わせてゴール!みたいな話の場合、前半15分ぐらいに一度そのプレイが成功してシュートまで行ったが枠を外れた。その後38分まで右サイドを中心に攻め込んでいたため、守備側は右サイドからの攻撃を警戒する。攻撃側はリズムを変えるために左サイドから15分ぐらいに成功したプレイと同じような流れをしたところ、一度成功したこともあり、守備側がその対応に戸惑ってゴールとなってしまった、といったような形で、かなりロジカルに進んでいることがある。多くのスポーツではこういう形で、ゴールまでの積み上げがある。
野球の場合、意外とこのロジカルな積み上げが薄い。正確に言うと、ロジカルな積み上げが、局所的に発生しておりすべてのプレイヤーに影響を及ぼす部分が少ない(ピッチャーとキャッチャーの間だけ)。加えて、3アウトごとにイニングが変わり攻守の入れ替わりが起こる。この時、次のイニングには今までのランナーが引き継がれることはない。つまり、1イニング事に攻めなおしだ。サッカーやバスケットの世界ではこんなことはあり得ない。
バスケットの場合、ものすごい速度で得点が入っていく。どんなパスもどんなシュートもどんなオフェンスもどんなディフェンスも全て積み上がっていく。10分×4の時間の中で、ひたすらに最終的な得点結果に向けて、全てのプレイヤー、HC・ACが勝利に向けて積み上げていくのがバスケットだ。野球とは決定的に違う。プレイのすべてが積み上がっているのだ。積み上がった結果が試合結果なのだ。そのため、野球の感覚でバスケットを見ていると何を言っているのかさっぱりわからないみたいなことが往々にして起こる。
私が一番、今回の八村塁の件で、ちょっと待て!ってなっているのは、「パリ五輪でチームを勝たせられなかった八村塁にチームを批判する権利はない」というものだ。この発言については、正直なところ、いろんな意味で嫌われる発言になるが、もう少しバスケットについてちゃんと見ないといけない部分があると言わざるを得ない。
先ほども言ったように、バスケットは全てのプレーの成功と失敗を積み上げた上に最終スコアが決定される。野球の様にリセットされることはない。そのため、確かにコート上には5人のプレイヤーしかいないように見えるが、その一人一人の勝利に対する貢献度というものはいうほど多くない。なので、ひとりの素晴らしいプレイヤーがいればそれでチームが強くなるのかと言われると、何とも言えない。非常に難解な言い方になってくるが、バスケットという特性上、その素晴らしいプレイヤーをどう使うかによって、結果に対しての貢献度が大きく変わる。ここを議論するためにまずは、代表選・五輪やBリーグ、或いはNBA・ユーロリーグなどのバスケットを見るうえで認識しなければいけないことがある。
バスケットでは、1試合に打てるシュート数はだいたい決まっている。
実は、バスケットというのはとんでもなく効率性が追及されるスポーツである。それはなぜかというと、ルール上、攻撃側は24秒或いは30秒でシュートを打たなければならないという決まりごとがあるからだ。そのため、多くの場合チームは、15秒~20秒でシュートに行くようなシステムを採用する。このシステムを採用すると、1分間に味方チームが打てるシュート数は2本ぐらいとなる。いろいろとルールがあるが、だいたい10分×4≒80本のシュートを打てると考えてくれていい。となると、この80本のシュートを誰に打たせるのか?その分配割合は??と考えないといけないわけだ。
この分配方法を、押しなべてゲームプランという。
仮に、80本のシュートを50%の確立で決めた場合、点数は80点となる(バスケットは基本的に1本2点)。そのため勝つためには、相手の80本のシュートの成功率を49%にすればよい。そうしたら最終スコアは80ー78となって、80点とったほうの勝ちだ。これがゲームプランだ。そうした場合、この80本のシュートを誰に打たせるか?という話になる。
話が見えてきたと思う。
そう、パリ五輪の時に、果たして八村塁は圧倒的な勝利貢献度を発揮できるようなゲームプラン、つまり、シュートを打たせてもらっていたのか?ということである。これを見なければ八村塁がチームを勝たせられるようなプレイというよりも、「チームは勝つために八村塁にどれほどの勝利貢献度を期待していたのか?」「そしてその勝利貢献度の期待に八村塁がどれほど応えていたのか?」という問いを立てなければならない。そもそも「八村が頑張っていたら勝てた」ではなく、「チームは八村が頑張ることが勝利条件となるようなプランを作っていたのか」「その上で八村がどれだけ貢献してくれていたのか」「その貢献度は他の期待していたプレイヤーと比べてどうだったのか」という問いを立てなければならない。果たしてどうだったのだろうか?世紀の一戦とまで言われたフランス戦のみではあるが、スコアボックスを確認してみよう。
プレイ時間 28分 24得点(10/16)3リバウンド
どう思う?という数字だ。ちなみに、私自身、改めてスコアを確認してちょっと別格ですね。。。って感想である。ちなみに、インパクトとして簡単に上げるがチームシュート数は75本。八村塁が打ったシュートは16本なので21.3%になる。得点については、チーム得点は90点、八村塁が挙げた得点は24点なので26.7%だ。十分に期待に応えている。効率が良すぎて、あと8本ぐらい打たせてあげたほうが良いんじゃないの?と思うぐらいに効率がいい。つまり八村塁は、少なくともフランス戦においては、ゲームプラン上で期待されている貢献に十分に達していると私は判断する。逆説的に言えば、このゲームプランで勝てなかった。その上で八村塁がフランス戦でもっと頑張っていればという発言が出るのであれば、そもそもそれはもっとゲームプランで八村塁にシュートを打たせるべきであり、そういうゲームプランを策定しなかったホーバスHC及びAC達に否があるということになる。
ここからは、細かいシステムオタク的な話になるので、面倒であれば読み飛ばして構わないが、そもそも今回のパリ五輪について、八村塁が活きる、或いは八村塁にお願いするためのオフェンスシステムの採用がほとんどなかった記憶がある。例えば、シャドースクリーンからのポップアップやインバードスクリーンからの1on1、センターのポジションにボールをいったん預けて八村塁をカッティングさせる、ダンカースポットにいったん八村塁をポジショニングさせてからの富永や河村とのツーメンゲームといった形の、ウィザーズで見られていたような、八村塁が持つ圧倒的なフィジカルとNBAでも特殊なスキルと言えるような安定的なプルアップのミドルを活かすようなシステムが全然採用されていなかった。相手のセンターのゴベアを吹き飛ばしてダンクできるフィジカルを有効利用しない手はないはずで、どうしてそういう八村塁を機能させるシステムを採用しなかったのか、素人目からして結構理解に苦しんでいる。これはおそらくではあるが、ホーバスHCがかなりマイクロマネジメントするタイプなので、八村塁のシステムよりも、今までやっていたプレイヤーのシステムを優先したのだろうと予想している。(そしておそらくここの部分が一番プレイヤーとしての八村塁が説明が足りねぇ!って感じている部分だろうと思う)その判断について成否を私は問わないが、3連敗したというのであれば、それは八村塁の責任というよりも、ホーバスHC並びにAC達に否があるという結論にしかならない。なぜならば、少なくともフランス戦の八村塁の貢献度は、ゲームプラン上は期待以上のものだったからだ。八村塁が間違っているのではなく、ゲームプランが間違っている。ちなみに、オリンピック3連敗について、プレイヤーで戦犯を上げろと言われたら、私が挙げるとしたらホーキンソンではある。というか、ワールドカップで良すぎた。良すぎたために得意不得意がめちゃめちゃリサーチされてしまい、各国がめちゃめちゃ対策をしてきていて、その対策をホーキンソンが上回れなかったというような印象である。(★バスケオタク語り終わり★)
そう、現代バスケットでは、誰がエースかはゲームプランによって決まる。誰にどれだけシュートを打たせるのかは、ゲームが始まる前にだいたい決まっている。つまり、試合の勝ち負けについて、誰がどのくらい責任を負うのかを試合前に決めると言ってもいい。これは野球とは決定的に違う。野球は筋書きのないドラマだという人がいるが、バスケットは必ず粒度は荒いが筋書きがある。この筋書きで責任を負うことを求められていないのであれば、責任は追及できないのだ。野球はエースピッチャーとエースバッターがいれば、どのチームにも勝てる可能性があるが、バスケットは勝ち負けのキーポイントはプレイヤーではない。正確に言えば、バスケットは、エースであれ何であれ、ゲームプランで相手を上回らなければ勝機がない。バスケットにおいて戦略・戦術を語るのであれば、エースが頑張れば勝敗に決定すると考える野球脳を捨てて、バスケットの効率性というものを頭にいれなければならない。
2.日本人の致命的な欠点~自分の日本人観と異なる日本人が出てきた場合の差別意識を自覚しろ~
ちょっともうこれはなんというかなんだけど、というか同じ日本人だと思いたくないみたいな気持ちになるんだけど。。。まぁ同じ日本人ということは、私にもそういう文化的素養が入っているはずなので、マジで気を付けなければいけねぇよなと本気で思うのだが、八村塁を批判する人たちのあまりに無自覚で無邪気な差別発言に、何度ブチギレそうになったかわからなくぐらいブチギレている。この件については、本当になんというか、何でJBAもホーバスHCもマスコミも、何なら他のプレイヤーも声を上げないのかマジでわからないでいる。。。なんで?いやマジで何で?え?私が知らないだけで死ぬほど上げてたりする?ん???したか???
確かに、八村塁はベナン人のお父さんと日本人のお母さんのハーフではある。しかし、完全に日本人としての教育を受け、日本人のコミュニティに所属し、日本人としてのバックグラウンドと日本人としての誇りを共有している、完全な日本人である。少し肌が黒いとか本当にどうでもいい話であって、彼が完全な日本人であり、そこにアイデンティティを持っているのは見ていて明らかであるし、そしてその類まれな才能に対して私たちは期待し私たちの夢を背負ってもらっている。それに対して、なんという態度なのだろうか?本当にこれは純然といつだってはらわたが煮えくり返る思いだ。イラン人の父と日本人の母を持つダルビッシュ有と何が違うのだろう?顔やスタイルか??顔がダルビッシュのほうが日本人ウケをして、八村塁は日本人ウケをしないからそういうことを平気で行っていいと考えているのか?本当にいい加減にしてほしい。人生舐めすぎだろ。
八村塁という人間性というものは、NBAという世界で20億人以上いるのではないか?と呼ばれているバスケットという競技人口の中のTOP450人だけを抽出したリーグで、ウィザーズやレイカーズというチームでどのようにプレーしているかを見るだけでもにじみ出てくる。誰もが非難できないような、素晴らしい人間性を持ち合わせていることは間違いないと私は思う。自分の才能を信じ、自分にできることと出来ないことを認識し、長所を伸ばし短所を埋める努力をし、その上で持ち前のコミュニケーションで多くのNBAスターと共にプレイが出来るだけの優れた人間性を持っている。バスケットであるかどうかなど関係なく本当に尊敬すべき個人であると私は思う。大谷翔平やダルビッシュ有、河村勇輝と本当に同レベルで尊敬すべき人間なんだ。それに対して、本当にどんなこと言ってんだ!と怒鳴りたくなるようなコメントが、TwitterやYahooニュースのコメントで流れてくる。頭がおかしくなりそうだ。全世界に発信されているようなところでこのように見えるのだから、彼に個別で飛ばせるようなメッセージツールの中身は本当にとんでもないことになっているのだろうことは容易に想像がつく。
これをどうして放置している?
JBAもマスコミもホーバスHCも、どうして八村塁の心を守ってあげないのか本当に理解に苦しむ。八村塁の気持ちを推し量ればそりゃそうよ、そりゃ自分ってお金稼ぎの道具としか見られてないんだろうなって感じるに決まってる。八村塁がワールドカップを欠場するって話になった時は本当にひどかった。「八村塁なんかいらねぇ」「しょせん自分勝手な人間だ」みたいなコメントが、人種差別的な発言と共に溢れかえっていたのを覚えている。思い出すだけで、全員燃やして粉にしたくなるような激情を抑えるので疲れてしまう。ちなみに、八村塁関連のYahooニュースのコメントは、2023年以降マジで見ていません。本当にひどすぎるので。
自分たちが期待している日本人のヒーロー像とは、もしかしたら肌の色や顔の雰囲気やボディランゲージ等で異なっているのかもしれない。だからと言って、懸命にバスケットを通じて日本を世界にアピールしてくれている人間に対して、本当にもう少し敬意を以て接してほしいと思う。まぁおそらく、差別的な発言をしている人というのは、自分の発言は自分の気持ちを素直に率直に発言しているだけでそれの何が悪いのかわからない、と無邪気に言い出すので、そうした気持ち悪くおぞましい無邪気さに対して、周りの大人がしっかり対応してほしいと願っている。おそらく、ここの部分をしっかりとJBAやホーバス、そしてマスコミが対応していたら、八村塁とここまでひどいディスコミュニケーションは発生してないんじゃないか。いや、本当に。基本的な信頼関係が感じられないんだよ。八村塁と他の大人との。
私は、まだ八村塁と日本はコミュニケーション出来るチャンスはあると思う。その時のために、この無邪気な差別的態度について、心より反省して、そして対策を考えてほしいと思っている。
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