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幸せと引き換えに "頑張る" ことができなくなった。
反骨精神は、何か挑戦するにあたってとても大きな力になる。
厳しい環境にいるからこそ、重圧があるからこそ出せるパフォーマンスがあり、限界まで努力できる。
そして、コンプレックスや強い自己否定感も、エネルギー源となりうるのだ。
これまでの自分は、コンプレックスの塊で「結果を出さなければ自分の存在価値はない」と本気で思っていたから、何をするにも命懸けだった。
常に向上心はあり、頑張ることは好きだったが、その根っこには、"人とつながりたい" という想いがあったようにおもう。
母に笑顔を向けてほしい、友だちと対等に話がしたい、という一心でがむしゃらに挑戦し、努力した。
コンプレックスや辛い経験が山ほどあったので、努力のエネルギーには困らなかった。がんばれない…と悩むこともあまりなかったと思う。
今や、結果を出した時にだけ存在を認められる、という環境にはいない。
2年前、素敵な人たちと出逢い、やさしさに包まれたときに感じた不安が実現しそうだ。
「このままぬるま湯に浸かって出れなくなってしまうのではないか」
なりたい自分や目標はあるのにがんばれない。がんばれないのは、がんばっている時より苦しい。
ポジティブで幸せな気持ちの扱い方がまだわからず、自分が幸せであることに戸惑いがあるのだと思う。
しかし、これをエネルギーにすることができるようになったとき、またひとつ成長できるのではないか、とも考えている。
言い訳や弱音を吐きながら、それでも、少しだけ論文と本を読み進めた自分を盛大に褒めて今日を締めよう。
すこしずつ、少しずつ。