コーラフロート
「、、、ここにもいないん?」
“1ーD”と書かれた夕方の無人の教室を開けて
5分前と同じ独り言を繰り返した。
もう何度目かの独り言か。
ふくらはぎにはずっと力が入っている。
攣るのもきっと時間の問題だと思う。
どの部分をとっても平均的なうちの学校のサイズが
怪物を住まわせる迷宮かの如く不気味に感じた。
そんな中ドアを開いた教室”1ーD“は、
2年前まで自分たちが使っていた場所である。
しかしここはまるで全くの別物の住処のようで、
それでもなおどうしようもなく懐かしく感じるのは、
中途半端に空いたカーテンから見える景色が同じで、
誰だったか開けた壁の穴がまだ残っていたから。
というかなぜ修理しないのか。
これが公立高校の限界だとでも言うのか。
なんて、
教卓の椅子に腰掛け、ふくらはぎを揉みながら黄昏る。
ピコンとなった携帯を取り出そうとして、やめた。
「、、、なんでそんな息切れしてんの?」
今のここの住民、井上和。
今目当ての人物が、入ってきたからである。
「一応先輩なんですけど。」
「うわぁ、年功序列とか気にするタイプっすか?」
右肩が怒ったように隆起しているのは
肩から膝にかけて広がる画材のせいか、
待ち伏せを疑っているかの2択だ。
待ち伏せに関しては、生憎そんな趣味はない。
毎度偶然に鉢合わせるのはただの偶然である。
毎度同じところにいないのが悪い。
「真面目なもんで。」
「真面目にストーカーってわけですか。」
やはり後者か。
不躾な野郎だ。
「それで?何の用です?」
よほど“先輩”をいじれたことが楽しいのか、
井上は口角をあげながらスマホで僕の写真を撮った。
人の不幸が大好きな部長の顔が浮かんだ。
「顧問が呼んでたよ。そろそろ部活に顔を出せって。」
「あぁ、、、。それで先輩は顧問のお使いに。」
「犬みたいな言い方するなよ。
井上を呼びにいけばサボれると思ったからだよ。」
「私のせいにしないでくださーい。」
顧問、というのは僕とこの舐め腐った後輩と
部長の所属する美術部を受け持つ老人のことで。
十分に蓄えられた白い髭を5分に一度触るあの老人は、
おおよそ大きく動いているところを見たことがなく、
たいていのことはすべて僕に仕事を押し付けていた。
果たして何を栄養源に生きているのか。
つきとめた暁には、生産を中止するよう要請したい。
「それだけですか?」
中途半端に空いたカーテンを閉めて、井上は言った。
「まぁ、いつものごとく、
コンテストに出るように言え、とは言われたわな。」
わが美術部はとくにやる気が満ち溢れた部活、
とは言えなかったがコンテストで入賞するぐらいの実力はある代が多かった。
ただ、それも3年前の話。
今では廃部寸前の運動部の天下り場所になっていた。
それは今の部長と僕も例には漏れていない。
部長はダンス部をやめ、僕は陸上部をやめた。
しかし井上は、
絵を描きにこの部活に入部した変わり者だった。
だからこそ、
顧問は彼女にコンテストの出場をさせたいらしい。
「あとそれと。
そろそろ来い、って部長から連絡来てるけど?」
さっき鳴った携帯の画面には
無機質な部長のメッセージが一件表示されていた。
スタンプや絵文字の一つ、ついでに打てばいいのに。
だから友達が出来ないんだ、そう思った。
「行きません。めんどくさいんで。」
「あっそう。」
「、、、止めないんですね。」
「止めたところで来ないし、別に来なくてもいいし。」
「、、、薄情ですね。」
そんな井上の言葉を自分で証明してしまうかのように、
部長からのメッセージを既読無視した。
「勝手にそう思っててくれ。」
「もうとっくに思ってます。」
⊿
「時に、和ちゃんよ。」
もうそろそろ行く、と副部長に連絡してから30分。
段々と痛くなったお尻を椅子の上で移動させながら聞いた。
「馴れ馴れしく呼ばないでください。
吐き気がします。」
「急に敬語で罵らないで、、、。」
「あれ、そういうのが好きなだとばかり。」
「誰から聞いたんだよ。」
「私に友達がいないことをいじってます?」
「拡大解釈やめて。」
「で、何のようですか?」
先程からこちらを一切見ない後輩は、
背中を向け学校指定鞄でないリュックから画材を出した。
「なんでコンクールに出ないんだ?」
僕は3日程前に井上に尋ねた質問をまた繰り返した。
その時の返事は、“めんどくさい”だったのも覚えている。
一瞬、井上の動きは止まって、
またすぐに鞄から何かを取り出していた。
「この前言いましたよね。
何回も同じ話をする人はモテませんよ。」
しばらくしても、
僕からの返事がないことに気づいた井上は
動きをピタリと止め、こちらを見た。
「先輩?」
「あーごめん。
質問の仕方を間違えたなって、ちょっと思って。」
何か言おうとする井上にかぶせるように僕は言った。
「なんで、“井上和”名義でコンクールに出ないんだ?」
刹那、風の音も聞こえない静寂。
地雷を踏み抜いた感覚を覚えた。
もちろん、こうなることは想定済みだった。
しかしいざ声をかければ、少しばかり後悔を覚えた。
「、、、。」
しばらく井上は鞄から何かを出して、
こちらを無視していた。
そして”カタン“と筆箱らしきものを置いた後、
ゆっくりと顔だけこちらに向けた。
それはまるで
躾のなっていない子供を見るかのような目だった。
「見る目は、あるからさ。
何となくわかるんだよね。
これ、井上の絵だなぁって。」
そんな目をぼんやりと見つめ返しながら、僕は続けた。
「見る目、ねぇ。んで?
そのお眼鏡に写った絵はどうだったんですか?」
「いい絵だったと思うよ。
井上らしい、いい絵だった。」
浅い嘲笑と少しの間。
椅子の背に腰掛けた井上は、
ゆっくりとこちらに体を向けた。
「全っ然見る目無いですね。」
「先輩は見る目が本当に無いです。」
二度、井上は同じことを言った。
「同じことを何度も言う人はモテないんじゃなくて?」
僕は少し楽しくなって、
教卓に少し乗り出しそう言った。
「わかったら、
ここにいることはいつも通り黙っていてください。」
そんな僕の姿が気に入らなかったのか、
井上はそう言ってヘッドホンをしてしまった。
これが井上とのワーストコンタクトだったことは
言うまでもない。
僕はおとなしく、美術部の教室に戻ることにした。
⊿
「んで、どうだった?」
少し時間が経って、美術室。
キャンバスから顔だけ覗かせた
同級生兼部長の齋藤飛鳥はそう言った。
「どこにも居なかったわ。」
「ふーん。」
そう返事をしたと思えば、
すぐにキャンバスに顔を戻した。
何を書いているのか、覗いたキャンバスにはこの世のものとは思えぬ生物が、ところ広しと細々と四隅に点在していた。
しかし今よりもカオスな世界観を知っているからか、
これさえもなんだかマシなように見える。
慣れ、とは怖いものである。
「じゃあ後ろにいるのは誰なの?」
「え、、、?」
教室に置いてきた問題児、井上和はそこにいた。
「先輩にとって私は後ろめたい存在だと。」
「え、いや、あそこにいたことは誰にも言うなって。」
「言ってないですけど。」
「言ってないらしいぞ。」
井上はそう言って、美術室の後ろの棚へ歩いて行った。
「めんどくさいんじゃなかったのかい?」
井上の背中へ、僕は語りかけた。
「画材道具をなおしに来ただけですよ。」
「じゃあ、準備室にしな。
パレットは授業のとき持っていかれるぞ。」
「こんな汚れたパレット、誰が使うんですか?」
「色の記憶を消されるぞ、って意味だよ。」
そういうと井上は短い息を吐き、
しばらく考えてから、長い息を一つ吐いた。
「あんたの言うことを聞くのが癪なんだって。」
独特の引き笑いとともに、飛鳥は僕をバカにした。
「流石部長、なんでもお見通しですね!」
これが僕にできる精一杯の反抗だった。
⊿
また井上はいなくなって、
美術室は本当に2人だけになった。
「んで、聞けたの?例の件は。」
飛鳥は自分の描く絵に満足したのか、
ゆっくりとこちらを向いた。
ふと見えたキャンバスの中身に関しては、
もう触れないでおこうと思う。
「先輩は見る目がない、だそうで。」
「ハハッ、言えてるね。」
人の不幸を端から見て笑う飛鳥らしい返事だった。
「じゃあ手掛かりはなし、か。」
そもそも、この話題を持ち込んだのは飛鳥だった。
しかしなぜだか僕にその真相を探させたがる。
飛鳥も、
顧問と同じ栄養素でも摂取しているのだろうか。
「そろそろ自分で聞いてくれよ。」
「それじゃあ意味がないの。」
「どうして?」
疑問を投げかけたけど、帰ってくることはなかった。
窓から感じる西日の圧が、なんだか息苦しく感じた。
⊿
「そういえば、あの子何処出身だっけ。」
「知らんよ。」
太陽が沈んで、完全下校時刻が目前に迫る頃、
飛鳥は突如疑問を浮かべた。
「そっか、、、。」
どうにも釈然としない顔をした飛鳥は、
ぶつぶつと独り言を言いながら暗くなった窓を見た。
「急にどうした?」
「あの子、多分この辺の子じゃないよね?」
「なんでそう思った?」
僕は片付けの手を止めた。
「ちょっとだけ、関西弁みたいなのがあるんだ。」
「へぇ、気づかなかった。」
「そりゃあね。」
なんだかあきれたように窓から離れた飛鳥は、
すでに片付けを済ませていたリュックを持って
颯爽と美術室を出ていった。
さっきから答えをずっとはぐらかす飛鳥に、
少し心がざわついた。
「そりゃあ、あんたも関西弁が混じってるからだよ。」
もう暗くなった廊下に、私の声が反響した。
⊿
学校を出て、市立図書館を北に100m程行った角に
古き良き喫茶店がある。
一体何で生計を立てているのか全くわからない程閑散とした店内には、5年程前のヒットソングが心なしか流れている。
店内には人影というものが行方不明になっていて。
店主の姿形も、はっきり覚えてない。
そしておそらく、店員はいない。知らんけど。
しかし、味は無類だ。
何が美味しいかと聞かれれば、
私は食レポ能力が存在していないので
説明できないけれど、とにかく美味しい。
と、かくの如くこの店を評価する私
ー齋藤飛鳥ー は、いわゆる“常連”ではあるらしく。
というのも、
学校帰りに立ち寄る度、
頼んでもいないのにコーラフロートを置かれるからで。
それでも確証を得ないのは、
私が欲しいのはメロンフロートだから。
「あのぉ、、、。」
何度か呼びかけても、返事は返ってこない。
相も変わらず、店主の姿は見えない。
私はまた、コーラフロートに甘んじることにした。
店員を呼べない私には難易度が高すぎる。
⊿
古き良きこの喫茶店ですることは、多岐に渡る。
学校の宿題に塾の課題、英検の勉強に、読書。
一般的に人が1人で喫茶店に行く際にすることの概ねは、この喫茶店で全て終わらせるようにしていた。
そしてもう一つ。
「部長、またメロンフロート頼めなかったんですか?」
この生意気な後輩、井上和のことを知るためだ。
「うるさいなぁ。
店員さんがいないんだからしょうがないだろ。」
「いや、でもコーラフロートはあります。」
「いつ置かれたのかわかんないんだよ。」
「それ、危なくないですか、、、?」
怪訝な顔をする井上のおでこに、
無言でデコピンをお見舞いしてやった。
「そうだ。井上、あんた何処出身?」
「そろそろパワハラで訴えますよ、、、?」
「ごめんごめん。で、何処出身?」
「神奈川です。」
私のコーラフロートをただのコーラにしながら、
井上はこちらも見ずに答えた。
「そ、、、っか。じゃあ関西にいたことは?」
「あぁ、、、一年だけ。
両親の仕事の関係でいました。」
「やーっぱりね。」
合点のいった私は、
水のお替りを持ってきてくれた店員さんに
メロンフロートとナポリタンを頼んだ。
「でも、よくわかりましたね。
私が関西にいたこと。」
「なおす。」
「へ?」
井上は少しあっけにとられたような顔をした。
「仕舞うことを、なおす、って時々言うのよ。
あんた。」
「え、、、嘘。」
「ほんと。」
口をそっと押えた井上は、目を見開いた。
「それは、あいつもそう。」
「あいつ?あーあ、あの人。」
少しつまらなそうな、
しかし心が落ち着かないような様子の井上は
一気にコーラを飲み干した。
「あいつも同じ癖があるのよ。」
「へぇ、、、。」
「そんなとこが気になるなんて、
好きなんですか?あの人のこと。」
少しにやけた井上はそう続けた。
「それを言いたいのはこっちのセリフなんだけどな。」
「どういうことですか?」
「だって、あんたさ、
「”井上和”名義で作品ださずに、
あいつの名前で作品だしてるじゃん。」
「失礼しまーす。」
完全下校時刻を知らせる少し長いチャイムが鳴る中、
1階の職員室の扉を開けた。
少しコーヒー臭い教員室に入ると、
普段授業をしている顔とは少し違う先生ばかりがいる。
この瞬間、いつもなぜだか少しだけ嬉しくなる。
でもやっぱりコーヒー臭いから
そんなに楽しみではない。
「おお。やっと来たか。」
十分に蓄えられた白い髭を触りながら、
顧問はこちらを向いた。
「活動日誌でーす。」
「ほい。ありがとうよ。」
少し気だるげに返事をすると、
これでも食べろと、ハッピーターンを投げてよこした。
「どうだ最近の絵の調子は?」
「あー、、、まぁまぁですね。」
嘘である。全くと言っていいほど書いていない。
調子もへったくれもない。
「そーか、そーか。」
それでもなぜかこの老人はうれしそうに
ハッピーターンとコーヒーを交互に口に入れる。
なんだか、少し気持ちが悪かった。
「どうしたんです?
いつもなら、井上のことをよく聞くのに。」
ここで何か一つ、
うまいことを言えない自分は少し嫌いだった。
「あーあ、井上な。
まー、出たくないのなら、出なくてもいい。」
存外、寛容だったうちの顧問を少し見直した。
回転式の椅子でくるくると遊びながら
顧問はまた続けた。
「お前がコンテストに出てると知れたからな。」
そういって、椅子を回転させるのをやめ
二部の新聞紙をこちらに出した。
うちの区の、区民新聞と、都民新聞だった。
「早く言ってくれよ。まさか、
コンテストにもう出品していたとは知らなかった。
今まで急かして、すまんかったな。」
その新聞の2ページ目の隅、
半年ほど前の絵画コンテストには僕の名前が
金賞のところにしっかりと刻まれていた。
もう一つの新聞も同じく、だ。
「あー!そ、そうなんですよ!
言うのを忘れちゃって!」
「それに、三年前まで大きな絵画コンテストでも
賞を総なめにしていたらしいじゃないか。」
「は、恥ずかしくて、、、。」
”それ、あげる”と新聞紙をこちらによこした顧問は
コーヒーのお替りを取りに行った。
〈消えた天才、完全復活〉の文字を握り潰した。
⊿
「あれ、飛鳥じゃん。」
まだ少しコーヒー臭の残る体に少しの嫌悪感を覚えながら、校門の前を通りがかる飛鳥に声をかけた。
「え、まだ帰ってなかったの?」
「誰かさんが活動日誌を出さないから、
代わりに出してきたんだよ。」
「ごめんごめん、だからコーヒー臭いのね。」
また独特な引き笑いをしながら、飛鳥は僕を笑った。
「井上の絵、見た?」
少し歩いて、飛鳥は尋ねてきた。
「見たよ。いい絵だった。」
「どうやって?」
「どうやって?って普通に見たんだけど。」
「どこで?」
「え、普通に教室で書いてるのを見たんだけど。」
「ふーん。あっそ。」
飛鳥はそう言うと、またはぐらかして足早になった。
「なぁ飛鳥。どうしたんだよ。」
「今日なんかおかしいぞ?」
背中に向かってそう言うと、
飛鳥はクルリとその場でこっちに向いた。
「そっちこそ、
私たちに話さなきゃいけないことが
あるんじゃない?」
「私たち?」
「私もってことです。」
背後から聞こえてきたのは、井上の声だった。
先輩に少し詰め寄った日、から3日がたった。
「じゃあ、じっくり聞こうか。」
いつも喫茶店、いつもの席で、
飛鳥さんと私は先輩に正対した。
「、、、今更だけど、逃げるのは?」
「なしだね。」
⊿
「これ、見て。」
飛鳥さんは一部の新聞紙のコピーを先輩に見せた。
「僕の名前が入ってるやつ?」
「そう。でもこの正体は?」
「井上和、だな。」
「私、ですね。」
ゴトっと三人分のフロートが置かれた。
「じゃあ次に、これを見て。」
そう言って飛鳥さんが差し出したのは、
三年前の神戸新聞の記事だった。
「これも、見覚えあるよね。」
「ここにも、あんたの名前がある。」
「、、、。」
先輩はその記事をジトっと眺めた。
「この名前の正体は?」
「、、、。」
「井上?」
飛鳥さんはこちらを向いた。
「いえ。」
短くそう答えた。
「おい、そろそろ返事しろよ。」
飛鳥さんは少し語気を強めて、そう言った。
「うん。俺だね。」
「どういうこと?」
飛鳥さんはそう言って、
席の背もたれにもたれた。
「んー。どの辺から話せばいいのかな。」
先輩は、その記事を少し懐かしむように見ながら
首を少しだけ、傾げた。
「まず、あんたは何処出身なの?」
飛鳥さんは尋ねた。
「関西、だね。」
「井上と初めて会ったのは?」
「中学の時、美術部で。」
覚えていてくれていた、その喜びが舞った。
「その時から仲は良かったの?」
「いや、ろくに話したことはなかったな。
なんせ部員が大勢いたから。」
「それはどうして?」
「、、、、。」
少し、先輩は黙った。
「先輩が天才、だったからです。」
私は、代わりにそう答えた。
「じゃあ、いつから中身が変わったの?」
「、、、中3の時俺は絵を描くをやめたよ。
飛鳥が持ってきた、
三年前の新聞のコンクールが最後だ。」
「いつから、変わったの。」
飛鳥さんはまた語気を強めた。
「そのコンクールの結果が知らされた日、かな。」
先輩は静かに答えた。
「どうして、やめたの。」
「んー。難しいな。」
「どうでも、よくなった。」
「適当に書いても、みんな褒めてくれる。」
「そいつらの顔が、気持ち悪く見えたその日から
何もかも、どうでもよくなったんだ。」
「じゃあ、なんで後釜に和を指名したの。」
「一番やる気が満ち溢れてる部員だったから。」
⊿
「井上、絵は好きか?」
「はい!」
憧れの先輩に、そう話しかけられた。
「俺みたいに、なりたいか?」
「はい!先輩みたいに、
いっぱい賞とかとりたいです!」
「そっか。じゃあ、
「今日から俺の名前で作品を描け。
井上、今日から君が、俺だ。」
⊿
「真っ直ぐで汚れを知らない井上だったから。」
「せっかく手に入れた名声を、
井上ならうまく使えると思ったから。」
先輩は私の目を見て、そう答えた。
「和、そう言われてどうだった?」
飛鳥さんも、私の方を向いた。
「びっくり、でしかなかったです。
理解もできませんでした。」
「それで、なってみてどうだった?」
私はコーラを深く吸い込んだ。
「だから一生懸命、先輩の絵を勉強したんです。」
「それで、出してみたんです。」
「先輩に、なれるって思ったから。」
「先輩がまた、帰ってきてくれると思ったから。」
「、、、それで?」
飛鳥さんはそう言った。
「そうしたら、案の定、否定されましたよ。」
「最初だけは。」
「途中ぐらいから、
”書き方を変えた”っていう風に評価され始めて。」
「怖いですよ。みんな、手を返すんですから。」
「怖い、だけ?」
飛鳥さんは言った。
「わかんなくなりました。」
「、、、。」
「、、、。」
「これは、盗作なのか、創作なのか。」
「私は、一体何を褒められてるのか。」
「みんなは、何を見てるのか。」
「そんなもんだよ。そこの線引きなんて。」
先輩はそう言った。
「俺も、そうなったんだ。」
「俺が俺の絵をどれだけ否定しても、気持ち悪いぐらいに他の奴らは俺と俺の”作品”を肯定するんだ。」
「俺が最後に書いたのは、
ピカソとフェルメールの盗作だ。」
「オマージュ、なのかもしれない。」
「それで?」
飛鳥さんは先輩の方を向いてそう言った。
「独創的な、作品だってさ。」
「それで気づいたんだよ。
こいつらは俺を評価してるんじゃないんだ、って。」
「俺を評価できる、
というのをステータスにしたいんだ、って。」
「だから逃げた、俺は、俺から逃げた。」
「やる気が満ち溢れ、未来の明るい井上を盾にして。」
「ごめん、井上。」
「もう、井上があこがれてる俺はいなくなったんだ。」
「今いるのは、弱い、ただの18歳だ。」
居てもたってもいられなくなった私は、
その場から逃げ出した。
「なんで、和だったの。」
私はもう一度、こいつに尋ねた。
「なんでだろうな。」
「最後に、これだけ聞かせて。」
「なんで、また、美術部に入ったの?」
「なんでだろうな。」
私は机に両手をついて、立ち上がった。
「ただただ、絵が好きなんでしょ?」
「どうしようもなく、絵が大好きなんでしょ。」
「簡単に手放せるわけ、ないんでしょ。」
「そんなわけないよ。」
こいつは言った。
「黒だね。そんなわかりきった嘘はやめなよ。」
「今からでも遅くない、とは言わない。」
「和に憧れたあの頃、絵が好きだった頃に戻りなよ!」
「もう、井上に俺に対する憧れなんかないよ。」
「いいや!和はアンタに憧れてる。」
「それに、あんたと同じ美術部にいるのがその、、、
「飛鳥。」
「時間がたてば、黒は白にできちゃうんだよ。」
「中身が変わったことにすら気付かないこの世界は。」
こいつはそう言って、
手を付けていなかったコーラフロートに手を伸ばした。
コーラフロートは、アイスが溶けて、白くなっていた。
終