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願わくば、この結末は私の不幸でありたくて



第一話 回帰


LINEで皆に集合をかけていた子、あんな顔やったっけ。名前もあやふやな子に、そんな感情を抱いた。同窓会の会場はあの頃のままの教室だった。



壁に描かれた落書きと相合い傘も、この広い教室に抱く一種の閉塞感も。きっと私は、10年ぶりに軽音部の集まりがこの後ある、と言われなければ、このクラスに2度と来ることはなかっただろう。


そこに集まった同級生に対する気持ちも、あの頃のままだった。



クラスメイトという他人同士の仲睦まじい姿を、ただ見てる。それに対して、マイナスな感情はない。とはいえプラスの感情もなかった。それがこの教室にあの頃から蔓延る閉塞感に繋がってるのかと言われれば、私に否定する意見など思いつきはしない。



指定された席に座って改めて辺りを見回す。



本当にいたか?みたいな人。
苦労したんだな、って伝わってくる人。

確か、仲の良かったあの二人組。しかしお互いのキャラ変についていけていない様子が滑稽だった。





「じゃあ同窓会の方初めていきます!!」




名前があやふやな子が仕切っている。確か、元生徒会長だ。私は机に突っ伏した。

この教室に来て5分。
私はいつ帰れるのかをもう考えていた。



「改めて、みんな久しぶり!!元気だった?」



生徒会長は、死ぬまで生徒会長なんだろうか。
なんでキャラ変しないんやろうか。

そんな文句も、全部飲み込んで。
私の意識は沼に引き込まれた。

















私がこの高校に入学した1年後の4月。

一つの部活が廃部になった。
なんてことのないただの軽音部だ。




理由は長年の人数不足と、突然強くなった野球部の予算増額のための犠牲。どうやら何かを変えるためには、何かを捨てなきゃいけないらしい。




要するに、これからの野球部の活躍による入学者の増加を得るために、部員2名の活動実態不明な軽音部を犠牲にした。ただそれだけ。


その尊い犠牲は、翌年野球部創部史上初の地区大会準優勝という結果になる。それが良かったことなのか悪いことなのかなんて、もうどうでもいい。




とにかく。




その尊い犠牲により、私は高2にして学校に来る意味を失った。軽音部に入り、なんかいい感じに青春して、文化祭でみんなにちやほやされるという、壮大で陳腐な夢しか持っていなかった1年前の自分を呪った。


もしこのことを知っていれば、私はきっと軽音部には入らなかったはずだ。
それを知っているんだったら、私は弾けもしないギターを入学式に持っていくことはなかった。




そうすれば、「ギターちゃん」なんてあだ名もつけられなかった。



今でも、ギターを弾き続ける事にもならなかった。






こんなにも、
自分で自分を呪うことにもならなかった。











「ギターちゃん、だよね?!」





入学式に弾けないギターを持って行った私は引っ込みがどうもつかなくて、毎日学校に律儀に持って行っていた。今思えば、ただ無駄な筋肉を付け、終わりのないメンタル強化期間をなぜ卒業しなかったのか不思議で仕方がない。


弾けもしないギターを毎朝丸めた背中に背負う私の姿は、十字架を背負ってどっかの丘を歩くどっかの教祖みたいだったと、そういえばこの前母に言われた。しかし、「高校デビューに失敗した奴」という烙印を押されないためには、そうせざるを得なかった、と信じている。




兎にも角にも。





私は高校に入学してわずか一か月で全校生徒に「ギターちゃん」という名を轟かせ、この先輩と出会うに至ったのだ。簡潔に言えば、1年後になくなる軽音部2年生の部長である。





「放課後空いてる?一緒にギター弾こうよ!」

「いえ。私ギターあんまり弾けないので…。」






よく言ったな、あの時の私。
正直と言うのは、やっぱり徳が多い。






「えー、私も!!
 なんなら弾けない!!部長なのに!!」



下校中にかいた恥が半分で済んだ。












「そういえば、遥香さんってなんで軽音部入ったんですか?」




あの声をかけられた日から、
私は念願の軽音部に入った。

部員は部長の遥香さんと私の二人。



ギター初心者が10分程度ギターを触れば、後はお菓子とジュースでガールズトークをするだけのお気楽な部活だった。顧問の先生なるものも存在はしていたらしいが、遥香さんですら1年は見ていないらしいので、1年生の私が当然知るはずもなかった。


この日も私は、お菓子とジュースを持って部室にいた。
この質問は、ほんの話題作りのつもりだった。




「一緒に入ろ、って言ってくれた友達がいて。」

「その人は…?」

「…喧嘩して、去年退部しちゃった!」




勤めて明るく話す遥香さんは、
じゃがりこを食べながらこちらを見た。






「そうなん…ですね。」

「ごめんごめん。そんな暗くならんといて。」
「ちなみにその子はギターめっちゃ上手いよ。」

「あ、じゃあ、その人が教えながら、的な。」

「そうそう。」





暗くならないで、という言葉とは反対にどこか思いつめるようにチュッパチャプスの紙を剥がした遥香さんに、これ以上何かを話しかけることはできなかった。





「茉央ちゃんは、なんでギターを?」





そんな雰囲気を感じて、遥香さんは笑顔で続けた。





「友達のお姉さんがやってるの見て、って感じです。」



「いい感じに青春できるかなと思いました」なんて、
口が裂けても言うもんじゃない、と私はこの時心に誓った。










同年8月、夏休み。




私は相も変わらず部室で怠惰の限りを過ごしていた。クーラーの設定温度は高かった気もするが、慣れてしまえばなんてことはなかった。むしろ気がかりだったのは、遥香さんはあまり部活に来なくなったということと、







「あー、でも今遥香さんはおらんよ?」

「じゃあこのポーチ、かっきーに預けといてくれる?」

「おっけー。」

「頼んだでー。」




机の上に置かれたポーチの中身だ。



友達のお姉ちゃん、保乃ちゃんが持ってきたこのポーチの魔力は、口に入れていたチュッパチャップスをかみ砕いたのにしばらく気づかないほど強力だった。




手持ち無沙汰になった手でそれを抱えたり、同じ視点になってそれを眺めたり。あえてそれを無視しようとギターを軽く弾いても。




やっぱり取りつかれた好奇心には抗えなかった。




「ちょっとだけ。ちょっとだけやから。」




口だけで言い訳をして、私はギターを横に置いた。
チャックを開ける音をできるだけしないように、ただそんなことを思っているとは思えない程大きな音で、そのポーチを開いた。




「…!」





この行動が、私の最初の後悔だ。
そのポーチの中身を見てしまったこと。












「あ、それ私の!!」


周りを、ちゃんと確認しなかったこと。







第二話 転機





「あ、それ私の!!」



そう声のする方向を見ると、そこには口を開けたまま動かない遥香さんがいた。今思えば、少しクスッとなるほどの顔だった。



「あ、これ、さっき保乃ちゃんが……」



そう動揺しながら、チャックが開いているという事実を隠蔽する事も忘れて私は立ち尽くしていた。



「あ、保乃からね、ありがと」



そう言った遥香さんは間抜けにもポーチを抱えていた私の両手から、ポーチを少し荒く奪い取るようにして取った。



「ねぇ、茉央ちゃん」

「はい」

「中身、見た?」

「……見てない、です」


咄嗟に、嘘をついた。


「……そっか、預かってくれててありがと!」



そう言った遥香さんは肩にかけていたスクールバッグにポーチを必要以上に焦って入れていた。今思えば、あの嘘はバレていたんだろう、なんて思う。


「ごめん、用事あるから、また!」



遥香さんはそう言ってガタガタ音がするスライド式のドアを勢いよく、閉めた。部室に1人残された私は、さっき見たポーチの中身と、それが意味する事が理解できずに、しばらく呆然としていた。




同年9月。



夏休みが終わり、
学校が一気に文化祭モードになる頃。


クーラーを付ける事ができるほどには温度は高くないけど、付けないととても暑い。そんな最悪な気温に独り文句を垂れていた。



文化祭でみんなからちやほやされる、というなんとも軽薄な考えを持っていた私は、隣の部室でチアリーダー部がどこかで聞いたことのある音楽を流しながら練習してる様を横目に、さっき遥香さんに言われたことを思い返す。



「文化祭でライブ?無理やって、2人じゃ人数足りひんし」


正直、かなりショックだった。


部活に来ない遥香さんに聞くために、
緊張しながら2年生の階に行ったのが無駄になった事もそうだし。




なんのために軽音部に入ったのか、
なんのために今まで無駄な筋肉を鍛えて来たのか、
なんのために…



3つ目の理由を探した所で考えるのを辞めた。



クラスのみんなが出し物であるお化け屋敷を一生懸命準備している傍ら、戻るのもなんだか嫌だった。だからだろうか、つい最近まで使い方すら知らなかったカポタストを付けたり、外したりしていた。


そんな暇な時間に限って長く感じるもので、体感は3時間ぐらいなのに、まだ30分しか経っていなかった。




辺りが暗くなってくる頃。


そろそろ帰ろうか、なんて思いながらも相も変わらず怠惰な時間を過ごしていると、普段なら大きくガラガラっとしか音を立てないドアが、小さく音を鳴らして開いた。



「早く取って帰らなきゃ……」




そう辛うじて聞こえる声は
聞いたことのない声だった。


「あっ……」

「えーっと……」

「あ、え、いい天気、ですね?」



そんな会話の切り口をするやつは今どきいないだろう、それこそ高校デビューに失敗したやつぐらいだ。



「あっ、そうだね?」

「……」




自分から話を振ったくせに返されて黙るとは何事だろうか。あの頃の私に青柳ばりのインコースを抉るシンカーでデッドボールにしてやりたい。



「えーと、五百城茉央、です」

「遠藤さくらです」


沈黙。

この時間の気まずさは何かに例えれるものではないと、今でも思う。



「……ギターちゃん、だよね?」

「そう言われてるみたい、ですね」

「軽音部なの?」

「まぁ、そう、です」

「そう、なんだ」


「遠藤さんはどうしたんですか?」



「ちょっと、ね」


そう私に告げた遠藤さんは、部室の中を忘れ物を探すかのように見ていたのをよく覚えている。



「いや、やっぱりなんでもないや」
「じゃあね」




私が返事をする暇も与えず、遠藤さんは去って行った。
どこか引っかかったけど、いまいちピンと来なくて、考えるのを辞めた。

ギターにつけたカポタストは、1弦と2弦だけをおさえていた。







文化祭当日。



準備をサボっていたツケだろう。



午前中全部の時間帯に私の名前が組み込まれたシフト表を見た当時の私は、少しの絶望と、準備を手伝っておけば良かった、という後悔ではなく、ライブもできないし、なんで午前中全部シフトなんだ、という些か身勝手な感情を覚えていた。



同じ場所の担当である、一生キャラ変しなさそうな将来の生徒会長の"五百城さん、ここは……"という説明に"うん"という返事をまるでbotのように繰り返していた。



今思えば、生徒会長に悪かったと思う。


いざ文化祭が始まっても、説明を流し聞きしていたせいで、驚かすのを何回か忘れてしまい、生徒会長に"真面目にやって"と、真面目なトーンでさっき叱られた。


お化け屋敷に来るのは、大抵カップルか、恐らく仲の良い友達グループだった。


「ギターちゃん」なんてあだ名をつけられながらも回る相手一人すら見つけることができなかった当時の私は、嫉妬にも近い感情を覚えて、もはや自暴自棄にまでなっていた。


そんな当時の私が「サボりたい」と考えるのは流れとしてはごく自然で、黒い布で覆われた教室の窓の外を眺めて時間を潰すのも、妥当ではあった。


そんな、何を気取っているのか、なんて今になって思う行動をしていると、窓の外、人気が無い場所に、人が二人いた。


こちらに背を向けているのが誰なのかは分からなかった。



でも、その人と話しているのは遥香さんであることはすぐ分かった。普段の私なら友達と話している程度にしか考えないで、すぐ目を逸らしただろう。


しかし、当時の少し自暴自棄な状態と、遥香さんが最近ほとんど部活に来ない事に怒りを覚えずとも、気になっていたのが重なっていた私は、シフトを生徒会長に丸投げして、お化けに模したビニール袋を頭から被っている事も忘れて飛び出していた。







靴を履き替えるのも忘れてスリッパで外に出ると、
遥香さんが一人立ち尽くしていた。


「遥香さん?」

「あぁ、茉央ちゃん、どうしたん?」

「いや、窓から遥香さんが見えたので……」

「あぁ…そういうことね」

「あの、」


そう、遥香さんに話しかけようとしたところで、話を遮られる。



「茉央ちゃん、シフト抜けてきたやろ?」


「ほら、お化けのままやで」と、
誰もが見ても作り笑いと分かる程に酷い笑顔で言われる。



「はよシフト戻りな、それじゃ」




遥香さんは私の方を見ないで、
横を走り抜けて行った。


これが、私の二つ目の後悔。



あの時、無理矢理にでも遥香さんに付いて行かなかったこと。






第三話 廃部





机に突っ伏したまま見た夢はそこで終わった。
元生徒会長は、もう私を起こすこともせずに帰ったようだ。
黒板には白と黄色の粉が中央付近にだけ伸びていた。


教室には西日とほこりが舞っていた。
私はその景色を机の視点から見ている。
放課後の、私しか知らない景色はあの頃のまま。


生暖かくなった机から離れ、教室から出る。最上階にある部室までエレベーターを使ってみた。2階から5階まで階段を使うほどの体力がもう無いし、OGになって合法的にエレベーターに乗れるいい機会だったからだ。



生徒は使用禁止だったけど、当時からそんなものを守る生徒はいなくて、放課後先生のいない時間を見てエレベーターをドキドキしながら使っていたことを思い出した。もう怒られるような年齢でもなくなった今でも、まだ少しドキドキしながら上向きのボタンを押した。


中のローターが動いた音と、ロープが上がっていくのを確認して、スマホを確認した。メッセージは二件。いずれも仕事場からだった。



「来るわけないよな。」



そんな言葉を、エレベーターに乗る前に吐き捨てた。




5階につくとそこは、別世界だった。



部室の配置も、そこに飾ってあるポスターも。全て見覚えがなかった。当たり前といえばそれまでだけど、もうそこに、私たちがいた痕跡は残っていなかった。

いつからそこにあったかもわからない教科書の山も、私が零したカルピスの痕も、部室の扉に貼ってあったスライムのマグネットも、破れかけのカーテンも。全部全部綺麗に整頓されていて、居心地は良いものではなかった。


5階の奥から3番目の部室。今はもう何の部活のものでもない部屋のドアノブを掴むと、その部屋に鍵はかかっていなかった。息を二度三度吐く。

ジャンバーのポケットに入っているチュッパチャプスを右手でギュッと握って、私はその部屋を左手でゆっくりと開けた。








5階は私のための世界だ。



いつからそこにあるかわからない教科書の山。破れかけのカーテン。部室の扉に貼ってあるスライムのマグネット。先生に干渉されないその世界は、自由だった。


文化祭が終わって一カ月が経とうとしているのに、まだ5階には文化祭の名残があって。誰も使っていない椅子から覗く提灯お化けがかわいい。


私は煩雑に崩されたスライムのマグネットを正しく並べ直し、私がカルピスを零した痕を何度か制服の袖で拭き扉を開けると、保乃ちゃんと遥香さんが机に対面する形で座っていた。



「あ、お疲れー。」



先に口を開いたのは保乃ちゃんだった。
次に遥香さんが私に向かって微笑んだ。



「珍しいですね、二人とも揃うなんて。」

「最初で最後やけどな。」



保乃ちゃんはそう言って、私を隣に座らせた。対面した遥香さんの頬は少しだけこけていて、シャツに前よりも余裕があることが見て取れた。



「茉央ちゃん。軽音部さ、無くなるんだ。」



微笑みの表情を崩すことなくそう言った後、一つ息を深く呑み込んだ遥香さんは私のことを見つめた。


「へ?」

「まーそうなるよな。」


保乃ちゃんは遥香さんの後ろにあるカレンダーをぼんやりと眺めながら、私の発言を飲み込んだ。


「……え、え、え?え、なんでですか?」

「昨日の職員会議で決まったの。
 ここ2年なんの成果も出していない軽音学部には予算が出せないって。」



遥香さんはそう言った。


「そもそも部員が私とかっきーの二人だけやのに
 バンド活動もできひんしな。」



保乃ちゃんは、そう加えた。



「保乃ちゃんと遥香さんだけ?私は?どういうこと?」

「ちゃんと言いよかっきー。」

「遥香さん……?」





「ごめんな茉央ちゃん。私から誘ったのに。」
「……もう茉央ちゃんは気づいてると思うけど、
 保乃が、私を軽音部に誘った子。」




「それだけちゃうやろ。」





「全部言ってくださいよ、遥香さん!!」






「……軽音部は!!元々今年までで終わる予定やったんよ……。」
「だから茉央ちゃん……、入部届書いてへんやろ?」





私が、遥香さんと交わした最後の言葉だった。




無機質な扉を開けるとそこには遠藤さんが座っていた。私は右手に強く握りしめたチュッパチャプスの袋を破り、口に咥えた。コーラ味を持ってきたはずがソーダ味だった。



「久しぶりだね。五百城ちゃん。」

「お久しぶりです。遠藤さん。」



今遠藤さんが座る席の対面、あの頃遥香さんが座っていた場所に私はゆっくりと歩みを進めた。座面がもう剥げてしまったその椅子は、キャスターが常にガタガタと揺れていた。その椅子にゆっくりと腰かけ、遠藤さんの方へと目を向ける。前髪が測ったかのように揃った遠藤さんは、口角が少しだけ上がっていた。


「わざわざごめんね。軽音部に集まってもらって。」

「いえ。ていうか私、軽音部でもなかったですけどね。」

「まーまー。そんなこと言わずに。」



なおす必要のない前髪を2,3度揃えた後遠藤さんは、自分のカバンからポーチを取り出した。私があの時部室で開けたポーチで間違いなかった。



「遥香さんのポーチ……。」

「そうだね。でも、これは元々私のポーチなんだ。」
「中身、見たことある?」


遠藤さんは長い髪を耳にかけて、ポーチのチャックを開けた。


「一回だけ……ですけど。」

「何入ってた?」

「クラリネットのリード、だったような。」

「おーよく知ってるね。吹奏楽やってた?」



今目の前にあるポーチから中身を取り出して、私の前に置いた。
あの頃に見た少し古くなった箱ではなく、真新しい箱だった。



「やったことはないです。
 けど、うち音楽一家だったんで、見たことあったんです。」



私はチュッパチャプスを口から出して、その真新しい箱を眺めた。



「なんでかっきーがこれを持ってたのか、知りたい?」



真新しい箱に両手を添えた遠藤さんを見ると、左の口角だけをあげて私を見ていた。あまり気分がいいものではなかった。



「いや、いいです別に。」

「ほんとに?」

「はい。どうせ私には関係のないことなんで。」

「どうしてそう思うの?」


私はまたチュッパチャプスを口に戻し、外を眺めた。どうしてそう思ったのか、自分がまともに説明できる理由を持ち合わせていないことに愕然とした。



「あの時ポーチを見なきゃ、私は遥香さんともっと仲良くいれた気がするからです。あの時中身を見たって正直に言っていれば、もしかしたら、どうにかなってたかもって思うんです。」



「ふーん。」



遠藤さんは至極つまらなさそうに返事をした。
私にはそれがとても腹立たしかった。



「今日、私が茉央ちゃんを呼んだのはね。」
「軽音部のこと、ちゃんと知って欲しいから。」



遠藤さんはもうすっかり日が暮れた空を見ていた。



「遠藤さんは軽音部じゃないじゃないですか。」



「うん。そうだね。」
「けど私も、無関係じゃないから。」



「ていうか、”ちゃんと”って、
 そもそも私は軽音部に入れてもらえてなくて

「じゃあ少しだけ、昔話をしてあげよう。」




遠藤さんは得意そうにあの頃のことを語りだした。

私は、チュッパチャプスを噛み砕いた。
奥歯に張り付いた飴が、とても気持ち悪くて、邪魔だった。









第四話 回帰



「私とかっきーが最初に出会ったのはね、中学の吹奏楽部だったんだ。」







「ねぇ、めっちゃ先輩怖くない?」



これが私とかっきーの最初の会話だった。先輩後輩分け隔てなく接しあえるいい部活だという紹介文につられてはいったのが運のつきだったんだ。体験入部期間はべったり甘かった先輩たちは皆、本入部をすれば変わってしまって。



「うん。怖いね。」




同じクラリネットパートで、その中でも特に怒られていた私たち二人が仲良くなるのは花が散るように自然の摂理のようなものだった。その後半年ぐらいして、私達二人の関係性に保乃も入ってきた。保乃は担当パートがトランペットだったから仲良くなるには少し時間がかかった。けど保乃も、トランペットパートの1年生の中で一番怒られてた子だった。

似た者同士だったんだ、私達。




「ほんまなんなん、私悪なくない?」

「それな?先輩の伝言ミスやって!」

「もう嫌ーーーー。」




私たちはそれからずっと3年間、何をするにも一緒だった。先輩の愚痴を言いあって、後輩に対する接し方を相談して、テスト勉強も、恋愛相談も、帰り道の英単語テストも、買い食いも、遠回りも。ぜんぶぜんぶ。




そんな日々が変わったのは、高校生になってしばらくしてから。
かっきーが、野球部の1年生エースと付き合ったんだ。
あ、1年生って言っても茉央ちゃんの一個上の人ね。




茉央ちゃんもなんとなく知ってると思うけどさ、うちの野球部って私達の代ぐらいから突然強くなったの。その先頭にいたのが、例のエース。そんな注目を浴びてる野球部のエースと、吹奏楽部のメンバーとの色恋沙汰が校内で話題にならないわけがなかった。



その辺ぐらいかな、かっきーが吹奏楽部をサボって軽音部に入り浸るようになったのは。軽音部といっても部員は保乃一人で、保乃がただ気ままにギターをかき鳴らしたり、部室で昼休みに昼寝をする理由作りのための部活だったけど。そんな矢先、一つの事件が起こったんだ。






期待されてたうちの野球部が、あっさりと負けたの。無名校に。
夏、甲子園いけなかったみたい。






期待の1年生エース、かっきーの彼氏があんまり調子良くなかったみたい。私はあんまり野球に詳しくないから、どう良くなかったのかとかはあんまりよくわからないんだけど。とにかく、ダメだったみたい。




それがきっかけでかっきーは、吹奏楽部をやめることになった。
理由は、居場所がなくなったから。



もちろんエース君の不調とかっきーは関係ないよ。けどね、雰囲気とそれに準じた根も葉もない噂が、かっきーを悪者にしたんだ。

私は親友としてちゃんと動いたよ。
そんな根も葉もないこと言うなって。

だけど私の声を聴いてくれる他の吹奏楽部員も、クラスの子もいなかった。きっと、かっきーと保乃と一緒にいすぎたせいだね。


それを後悔したことはないけど、
私達は親友を噂から守れなかったんだっていう力不足を痛感した。









「まぁそんなこんなで、
 かっきーは廃部間近の軽音部に入部したってわけだね。」



空が暗くなり、部室の電気をつけて30分。遠藤さんはそこまで話したところで椅子から立ち上がり、部室の窓から暗くなったこの町を見下ろした。



「ちょっと待ってください、遥香さんは部長でもなかったんですか?というか、遥香さんがリードを持ってたのはなんでだったんですか。」



遥香さんが部長か部長でないかなんて本当はどちらでもよかったけど、今の私が感情を心にとどめておくことなんてできるはずもなく、全て口からでてしまっていた。そんなとまらない言葉の中でも、特に気になったのはやはりポーチのことだった。


もうやめてしまったなら、居場所がなくなってしまったのなら。
きっとその楽器なんて見たくないだろうに。




「私が預けたリードっていうのもあったかもだけど。」
「理由なんて、茉央ちゃんが一番わかってるでしょ。」




遠藤さんは私の方を向いて目を丸くした。
そして、笑った。




「そんなんで嫌いになれないでしょ、好きなものは。」





暗くなった町を見ていた遠藤さんは、私の隣へと座った。




「ここまでで質問は?」


「リードが入ったポーチを、
 保乃ちゃんが持ってたのはどうしてなんですか?」



「いい質問だね。」
「けどそれは、次の話でちゃんと話すから聞いててね。」



私たちの目線の先にある右側の角しか止まっていないポスターを、遠藤さんは目を細めじっと眺めた。遥香さんがリードをずっと大事に持っていたのかの理由はわからなかったけど、そのポスターをまるで我が子のように見つめる理由は少しわかったような気がした。






「保乃な、かっきーと喧嘩してもうた。」



冬ぐらいだったかな。
トイレの鏡前、私達の会議室で保乃はそう言った。
お互いセーターのほつれを直してた時だったよ。



「なんで?」

「軽音辞め、って言ってん。」

「そりゃ怒るよ。」



最初は冗談かと思った。
けど保乃は口をぎゅっと一つに結んで、セーターのいとのほつれを直してた。あぁ冗談じゃないんだな、ってすぐに気づいた。



「なんでそんなこと言ったの?」

「……軽音部、閉じなあかんねん。」

「え?」

「そらいつまでも、二人しかおらん部活に予算出せへんもんな。」



勤めて明るく話す保乃に私は心がぎゅーっとなった。部をなくしたくない気持ちも、なくさなきゃいけない事情も理解できたから。私も軽音部に入ろうかなんて提案もした。私が入れば、また3人で仲良くすることができる。3人でなんでも立ち向かえる。そう思ったんだ。



「かっきーは多分、まだクラリネットが好きやねん。」
「さくには、かっきーの居場所を残しててほしいんよ。」
「だから絶対、吹奏楽部をやめんとって欲しい。」
「それは、保乃にはできひんことやから。」



そう言われてしまったら、そう動くしかないじゃん。
私だって、かっきーのクラリネットを演奏する姿を見ていたかったから。




だから、私のリードをあのポーチに入れてかっき―に渡した。
保乃は吹奏楽部に戻るよう促すために、軽音部にはいかなくなった。
これが、一年生の頃の出来事。



でもここまでの困難なんて序ノ口に過ぎなかった。
二年生になってから事態は、どんどん最悪に向かっていった。







第五話 退部



2年生の春、かっきーから新入部員を勧誘したことを聞いた。
すごくいい子だって、喜んでた。それと同時に、悩んでいた。

保乃しか顧問を知らないから、茉央ちゃんを部活に入れることが出来ないんだ、って。そもそも終わることが決まってる部活に入れるのは如何なものなの?って。けど可愛い後輩だからなんとかしたいって。


私は一緒に努力したよ。保乃も裏で動いてくれた。




けど顧問の先生は入部届を受理しようとしなかった。文化祭で成果を発表するといっても無理だった。軽音部は活動すること自体、必要とされる存在じゃなかった。野球部が強くなってしまった今、軽音部が必要じゃない今、もうこの状況は動かせる段階にはいなかった。

吹奏楽部に移ってもらうことも考えた。でも野球部が強くなったせいで人気が増えちゃった。もう初心者が入部できる環境じゃなかった。



あともう一つ、かっきーには悩みの種があった。
彼氏のエース君のこと。



一年生の夏に負けて以降、エース君はこれまで以上に野球にのめりこむようになった。それ自体、悪い事でもなんでもない。悪くないはずなんだけどけど、その熱量は異常だった。全てを野球に捧げるようになった、見ているこっちが苦しくなってしまうぐらい。


とっくに悲鳴を上げている体の声なんて、周りが落ち着けと言い聞かせる声なんて、かっきーの想いなんて、全てイヤホンでかき消してのめりこんだ。

もう誰の声も、エース君には届かなかった。

2年生の春、野球部は準決勝まで行った。
エース君は途中まで無失点。素人目にもわかる無双っぷりだったんじゃないかな。けど最後、点をとられた。サヨナラ負けだった。

エースはマウンドから立ち上がることができなかった。試合終わり、球場の外で、私達吹奏楽部の横でミーティングをしていた野球部のみんな、泣いてた。けれどあれだけ泣いていたエース君は泣いていなかった。



この日から、エース君との今まで届かなかった距離が、もっと遠くなった。
この日から、かっきーとの距離がこれまでより遠くなった。


するとかっきーが、軽音部よりエース君を優先するようになった。かっきーが、私達よりもエース君を優先するようになった。それが悪いとか嫌だとかではなくて、ただかっきーはそっちを選んだっていうだけで。少なくともその選択に、当時の私はなんの違和感もなかった。違和感を持たなかった。



情けない話だよね。





夏、エース君の肘が爆発した。もう野球どころの騒ぎではなくなった。
エース君は学校に来なくなった。


かっきーは、私が預けたポーチを部室のごみ箱に捨ててたらしい。
見つけた保乃がそう言ってた。



保乃がポーチを持っていたのはそういう理由だよ。

多分かっきーは全てを諦めてしまった。

軽音部を存続させること。
エース君と一緒に過ごすこと。
私達と一緒に過ごすこと。

それがなんでかなんて、私の知る由もない。







「だからきっと、あのポーチを受け取らなくても、あのポーチの中身を見たと正直に言っても、多分なにかが変わることはなかったよ。」


遠藤さんはそう言って、ぎこちなく私の頭に手を伸ばしてきた。


「それでも、そうだとしても。」


私はその手を拒否することなく受け入れた。遠藤さんの手は冷たかった。


「私はもっと遥香さんと関わっていたかった。」
「もしもあれ以上関われないのなら、関わらないほうがよかった。」


私の声は部屋にこだました。すぐに訪れた静寂が私に重く伸し掛かる。遠藤さんが私の頭に乗せた手の平に、私は頼りきりになった。



「じゃああの文化祭の時も、そう思った?」
「かっきーを追いかけていれば、って今でも思ってる?」



私は静かにうなずいて、遠藤さんの次の言葉を待った。遠藤さんはそっと笑って、そのまま目尻を下げた。言葉を選んでいる様子が見て取れた。


「もし、それが出来ていたとしても、
 きっと今と状況は何ら変わらなかったよ。」

「どうして年度終わりでもない10月に、軽音部が終わったと思う?あの時、かっきーは何処に行ったと思う?」




あくまで優しい声で、ただ芯の通った声で、遠藤さんは私のことを諭した。私は正直限界だった。もう遠藤さんの手の平も、私を押しつぶす文鎮となっていた。



「文化祭の日。」

「いろんなプレッシャーに耐えられなくなったエース君は、10月の整備されていない学校のプールに飛び込んだ。」

「そのまま顔だけを水中から出して、動かなかった。」

私は一つ一つその言葉に向き合った。その場から離れてしまいたくなる衝動を遠藤さんの手の平の重みで抑えて、そのまま私は徐々に息を吸うことを覚えた。


「保乃と私がその様子を目撃して、私がかっきーにそれを伝えた。」

「保乃はエース君を引っ張り上げるためにプールに飛び込んだ。」

「私とかっきーがプールに戻った時、引き上げはまだできてなくて。」


遠藤さんの手の平の重みが、だんだんと消えてきたことに私はこの時気付いた。そうして私たちは向き合った。もう私に逃げてしまいたいという感情は消えていた。


「次にかっきーが飛び込んだ。」

「私はプールの外で必死に彼を引き上げた。」

「抵抗はしないけど、水中から出ようとしないエース君に腹が立った。」


私は遠藤さんの手の平を握った。
握り返された手はとても軽い。


「その後すぐに見回りの先生が来て、濡れたかっきーと保乃、そしてエース君に呆れた顔で文句を言った。もう叱られもしなかった。」

「その後すぐ、私達4人には3日間の部活動停止処分が言い渡された。」


遠藤さんは私と目を合わせて、言った。


「多分あの時に五百城ちゃんが来てたら、五百城ちゃんにもきっと同じ処分が下されてた。」


「別に私は…!」


「ダメだよ。」


「え?」


「五百城ちゃんまで、
 処分を受けちゃダメなんだよ。」

「不幸になるべきなのは、
 私であるべきなんだよ。」


「私達で、あるべきだったんだんだよ。」


「それが、かっきーの願いだったんだ。」


どうして、私も処分を受けてはいけなかったのか。
それを聞こうとしたその時、誰かが部室の戸をたたいた。

私が一番扉に近いので、扉を開けてみるとそこにいたのは守衛さんだった。どうやら私たちは居てはいけない時間まで話し込んでいたらしい。



「じゃあ帰ろっか。」

遠藤さんは私と遠藤さんの分の荷物を持って出て行ってしまった。


私は急いで廊下を駆けていった。もう置いて行かれないように、もう後悔しないように。5階という別世界を、もう思い出せないように。










第六話 無題






「レコーディング以上になります!」
「お疲れさまでした!」


拍手と感嘆の声が、狭いレコーディング室に無数に空いた穴という穴に吸い込まれていった。


「五百城さん!」


ベースを持った後輩ちゃんがポニーテールを揺らしてやってきた。


「どうした?」

「これ、ずっと言いたかったんですけど。」

「ん?」

「茉央さん、って呼んでもいいですか?」


後輩ちゃんは上目づかいで真剣な、
クスッとなる顔でそう言った。


「そんな許可なんていらんで。」


そう返すと、「やったー!」という後輩ちゃんの頭を思わず撫でてしまった。


「そんな嬉しい?」


「はい!だって、名前呼びは許されるってなんか距離近い感じしません?」










__五百城ちゃん



__茉央ちゃん



__茉央ちゃん


__さく



__さく



__遠藤さん




__保乃


__保乃


___保乃ちゃん







__かっきー


__かっきー


__遥香さん






「そうだね。」
「下の名前で呼ぶって、いいね。」



私はそう言って、口に入れていたチュッパチャプスを噛み砕いた。奥歯に張り付いた飴が、とても気持ち悪くて、邪魔だった。



『願わくば、この結末は私の不幸でありたくて。』


FIN






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