見出し画像

江戸時代から続く技術を継承する気仙大工 中村養司氏

地域に必要不可欠だった気仙大工の技術

気仙大工とは何者か?

今回は前回に続き気仙大工職人の方に取材となります。
前回の佐々木氏は気仙大工がのちに分かれた木彫職人として技術を受け継いでいたが、もう一つの大工の技術を受け継ぐ職人。今回は富源堂の中村養司さんのもとを訪れた。これで気仙大工とは何者なのか?という答えもでるのかもしれない。

私:中村さんこんにちは。今日はお忙しいなかお時間をいただきありがとうございます。
中村氏:いえいえわざわざこんなところまでありがとうございます。
私:さっそくですが、中村さんは気仙大工の大工と木彫と今は分かれてしまっている大工のほうの職人さんですよね。
中村さん:そうですね。分がれているというよりは、一緒かな?と。昔は京都や奈良などにもここの地域の大工だちが出稼ぎにいってで、本当はただの大工の仕事だったんだげど、関西の一流の宮大工さんの仕事をみているうぢに、俺らでもでぎっかな?と。その技術の真似事をするようになったのが気仙大工だったんではねーがど思っでます。今は確かに分かれているように見えっけど、実際は今も一緒なんではねーがと。私の考えでは。そう思っでます。
私:そうなんですね、気仙大工の源流が見えた気がします。
普通の大工さんだけど見て覚えることができる器用な方たちだったので、宮大工や木彫もできるようになっていった。模写していく感じですね。
中村氏:そうですね。まねっこ大工が気仙大工ですねw器用というごともありますが、私の見解ではありますが、このエリアには何もながったから。出稼ぎから帰ってぎでも何もないがら、自分たちでなんとか作っでいくしかないというのが現実ではないでしょうか?
あ。少し寒さがきつくなってきましたね。

そういって中村氏は一風変わった暖房ストーブに薪を入れた。

中村氏工房の暖房器具

何もないエリア。だから作る。確かに佐々木氏も前回同じようなことをいっていた。それが気仙大工の源流なのかも。だから色々な技術を大工さんがもっていた。江戸時代という日本文化と三陸の当時の環境が生んだ職業だったのか…。
だとするとこの地域になんでも生み出してくれる技術を持つ気仙大工は当時のこの地域ではすごく誇れる職で地域にとっては絶対に欠かせない人たちだったことは間違いないだろう。

気仙大工の現状


中村氏:ただやぱりもう仕事がこのエリアにはだいぶ少なぐなっできてっからなw。
私:だから木彫が目立ってきちゃうってことですか?
中村氏:そうだな。みんな宮大工は木彫も必要な技術だしな。みんなどっちもできる方が多いのはでと。でも大工仕事はもうかなり減ってきていて。技術をもて余しているかもですね。時代ですね。私はそう思っております。
私:なるほど、仕事が減ったというのはやはり人口の減少が影響しているということでしょうか?
中村氏:人が減ったことは確かに一因としてあると思います。
震災の少し前くらいから、みんなあれ?なんかだいぶ仕事がなくなっだな?と思うことが多くなってぎて。震災で何もなくなっだがら、少し仕事がもどっできたんです。でも復興が終わってくると、どんどん現実に気が付くようになってきだ。ってのが本当のごとかな?と思います。
私:なるほど、その震災前から減っていて復興需要で仕事ができて。
今は落ち着いた。といった感じですね。
中村氏:そうですね。
私:一因というと。他にも何かあるんですか?考えられる要因が
中村氏:まあ家さ建でるときの気密性の基準ができだことだな。
私:家の気密性の基準がどう気仙大工に関係するんですか?
中村氏:寒さに対して気密性が家を建てるのに必要で。北海道やこの変だと2.0宮城は3.0が基準だ。そのためには断熱材が必要になっがらな。気仙大工の御殿は知ってか?

代表的な気仙大工の建てる御殿

私:はい。知ってます。城郭風の入母屋屋根や破風付きの玄関などの家。私の会社がある唐桑にもたくさんありますよ。
中村氏:唐桑が。そうだな。唐桑もたくさんあんな。唐桑から上はだいたい釜石手前ぐらいがな。気仙大工御殿があんのは。
私:あ。本当にエリアは限定的なんですね。この辺でみる御殿は。あ。気密性と気仙大工。僕まだ繋がってないです。
中村氏:気仙大工のつくる御殿に気密性を求めて断熱材なんがつがったら高くでしょうがねくなる。昔の縁側があるような家さ寒さ対策の気密性なんで、無理があんだがんな。やっぱ。でぎだとしても高ぐなりすぎっからな。
私:そういうことか。確かに。もう昔と家のあり方も変わったし。継がないというか。
中村氏:そうですね。おっしゃっるとおりで。
核家族ばがりになってがらな。そんなに家を立派に持つよりも今は安くで気密性がよぐてがみんな、よいがらな。自分たちが生きてるうちだけだがんな。家が必要なのは。

代表的な気仙大工の屋根

だいぶ私の中で気仙大工という職人たちの本来の姿が見えてきた。伝承館でみたようなただ出稼ぎ大工として生まれて様々な工芸に携わり、この地域の英雄ではなく、出稼ぎで覚えた知識をもとに何もない気仙地域で様々な文化を作り上げた器用な集団であり、時代が気仙大工を作り上げたように、時代とともに家のあり方と基準や国の貧しさ、人口減少などの変化とともに減り続ける集団だ。

富源工房中

ふと気がつくと工房の中はだいぶ暖かくなっていてコートもいらないくらいに暖かくなっていた。工房を見渡すと工房内はずいぶんときれいで中村氏がどんなものをつくっているか?は全然みえてこない。

気仙大工が残した建築

数々の作品も納得がいかない


私:少し作品を観てもよいでしょうか?
中村氏:はい。ただ基本的には私の仕事は納品すっがら写真ですが。

寺院
御輿
気仙大工の御殿
御輿

私:なるほど。数々の建築を残されてきたんですね。気仙大工らしいというのか。小屋根扇垂木の素晴らしいさ。腕の器用さをすごく感じます

中村氏:そうですね。ただ私の仕事は。何というか。全然納得でぎるものではなく。いつもまだよくできだのではねーがな。と思っでたりです。
私:そうなんですね。どの辺がです?
中村氏:預かっだ予算もあるんだが。本当はもっと完成度を突き詰めてできないがと。ずっとずっと何十年も考えてやってきたんだが。どんなに求めても100%作れだって思ったこどが一度もないです。
私:なるほど作り手の思いというか。拘りというか。僕もデザインを何もないとこらから使って納品するので。作る身としては少し分かります。
中村氏:デザインもそうですか。

今も納得のいく作品への挑戦は続いている

中村氏は工房の奥にいくと何やら固く施錠をされている箱を開けだした。
何か今手掛けている作品があるのだろうか?
箱の中には立派な神輿があった。
なんとも繊細な木の組み方と鮮やかな色か。
これぞ気仙大工と言わんばかりの技術の込められた神輿だ。

工房に保管されている神輿

私:これは収めたわけではないのでしょうか?
中村氏:これは私が一人でつくっている神輿なんです。まだ納得がいっていないので、いまだに作り続けている感じです。
私:なるほど、ご自分作品ですね。このあたりの木の組み方とか、なんとも美しい。こうも繊細なものを作られるんですね。
中村氏:いや。まだまだ私は勉強中の身なので
私:え。今はおいくつなのでしょうか?
中村氏:今年で70歳です

組み木の部分

私:なるほどーもう40年くらい大工を続けてなおもなんですね。
やはり大工としての仕事と宮大工としての融合させたものが気仙大工の建築物なんですね。ちなみにどこがまだ気に入らいないのでしょうか?

中村氏:この屋根の金具の部分はまだまだ再現性が遠いなーと思っています
私;金具部分?これって鉄を削るのは、大工の仕事ではないのでは?
中村氏:ただ、だからといって、この辺りでは誰かがやっでくれるものでもないので。もっと京都など宮大工として高い技術の人たちが多いところでは分業もできるかと思いますが、ここでは自分でやらなくてはいけない。
そうでないと完成できないので。
私:だからって金属加工まで…
中村氏:それが楽しいんですよね。まだまだ覚えることがたくさんあってワクワクしますw。100%満足がいがないです。だからまだまだそれを目指して日々勉強。私はそう思っでおります。

神輿屋根の紋章の金具

中村氏は嬉しそうに笑った。

気仙大工 中村養司氏

中村氏:この暖房器具も私が自分で作っだんですね。
私:え?これも?

実は中村氏作、暖房器具

私:え。どおりで…見たことない暖房器具。
中村氏:そうです。

誰もやる人とがいない。なので自分でやる。まるで昔の気仙大工のよう。見て盗んで自分の技術の幅を広げる。これが気仙大工なんだ。何か心底納得をした気分だった。
そして70歳の中村氏は今でもさらに納得のいくものを作り上げようとしている。これが気仙大工という技の中で生涯を費やしてきた人間の強さだ。

私:今日はありがとうございました。気仙大工が何者なのか?すごくよくわかりました。また遊びにきます。
中村氏:私もこの素敵な出会いに感謝します。

そういうと中村氏は
30も歳が下な違う私に深々と頭をさげた。
なんともまっすぐな人だ。だからこそ技術を継承してこれた人。
人としての器の大きさも感じた瞬間だった。

気仙大工の技術もどんな人達なのか?なども色々知ることは今回できたが、やはり中村氏も今の時代の重要とと気仙大工の技術があわないために、実際は生活が困難だそうで、弟子を考える気もないそうで。
前回の佐々木氏も今回の中村氏も結構なお歳。
これから更にどんどん技術の継承はなくなっていくのだろう。

ただまだ私自身が その現状に対して何か答えを持ってていない。ただなくなるのが悲しいとか寂しいとかではない。現代の時代における気仙大工の生き方。しばらく僕の頭にはこの課題がすみつくことになりそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?