ちんどん屋、京を練る
「さあ皆さん、ちんどん屋ですよ!」
三人組のリーダーと思われる、ちんどん太鼓を持った女性が威勢のいい声を張り上げた。
それを合図に、トランペットを持った男性が透き通った金管の音色を奏でだし、太鼓がコンチキコンと鳴りだす。
ちんどん屋を見るのは久しぶりだ。
この日、昼食の食いどころを探してぶらぶら散歩していた僕の耳に、どこからともなくトランペットの音が聞こえた。
もともと吹奏楽をかじっていたこともあって、その音色が素人のものでないことはすぐに分かった。
どこから聞こえてくるのだろう?
この時はそう思うだけだったが、気の向くまま歩いていくとどんどん音が大きくなってきた。どうやら無意識に音源の方へ足が向いていたらしい。
道の先を見ると、小さい人だかりができていた。皆一様に同じ方を向いてカメラやスマートフォンを向けている。
もしや、と思った。
さらに歩を進めていくと太鼓の音もトランペットに交じって聞こえてくる。
これは間違いないな。
この雰囲気は以前も感じたことがある。
群衆の視線の先を見ると、果たしてそこには優美なちんどん屋が出番を待っていた。
戦後の最盛期以降、ちんどん屋の数は減る一方で、昭和後期には数百人程度までその数を減らしたという。
明るい口上と淀みのない演奏の裏で、そんな哀愁を抱えながら彼らは行く。
しかし広告媒体が常にアップデートされていくこの世の中にあって、彼らのスタイル――派手な衣装やちぐはぐな楽器編成――はかえって「趣のある興行」として世に受け入れられている。
純粋な「興行」としての発信力は衰退しても、その在り方を「文化」へと昇華させることで生き残ることができている。
何ともたくましい話ではないか。
リーダーの背負いビラを見るに、このちんどん屋は現在開催中の「京都国際写真祭」の宣伝を行っているようだ。
これまでもポスターはあちこちで目にしていたが、「面白そうだし行ってみようかな」と僕に思わせたのはちんどん屋の功績に他ならない。
楽隊は行儀よく、縦に一列になって京都を練り歩き始めた。
この日は夏日。着物を着て演奏しつつ街を練り歩くのはさぞかし大変だろうと思ったが、道行く人の笑顔を見るにその心配は無用のようだ。
楽隊を見送り、僕も昼食探しに今日の街を再び練り歩きだすのだった。