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老いても実験し続けたモネってすごい…【展覧会の感想】モネ 睡蓮のとき 編
こんにちは。
「モネ 睡蓮のとき」に行ってきました。
モネの晩年の作品を集めた展覧会です。
以前「100%モネ」を謳った展覧会がありましたが、こちらも「100%モネ」。
「正直言って、モネの作品は晩年よりも少し前の方が…」
なんて思っていたのですが、行ってみたら面白かった。
理解が深まったら面白かった。
そんな感じです。
あらかじめ情報はあった方が受け入れやすいと思います。
よろしければこちらもご参考ください。
展覧会概要
国立西洋美術館
会期:〜2025年2月11日
京セラ美術館
会期:2025年3月7日〜6月8日
豊田市美術館
会期:2025年6月21日〜9月15日
混雑してます
私が行ったのは平日の午前10時頃だったのですが、チケットをもっている人の入場待ちの行列がすでにできていました。
中も平日午前中とは思えない混雑でした。
ベンチが少し空いたところで休憩をすることもできなくはなかったので、それは良かったです。
できればチケットはオンラインで購入した方がいいかもしれません。
企画展用のミュージアムショップに入るにも行列ができています。
20-30分くらい待ちました。
音声ガイドがおすすめ
石田ゆり子さんがアンバサダー。
【予習におすすめコンテンツ】でご紹介した石田ゆり子が印象派の巨匠・モネの世界にひたるフランス旅…でも触れられているとおり、石田さん本当にモネがお好きみたいですね。
俳優さんだからこその技量もあるとは思いますが、石田さんの声からもモネへの愛着や尊敬の念が溢れていたと思います。
入場口はもしかして
入場口には、メインビジュアルとタペストリー。
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視線を下に移すと
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メインビジュアルが床に反射していました。
もはや床が水面に見えてきました。
狙った効果なのか、それとも私が勘ぐりすぎなのか。
なお写真撮影は入場口と第3章のみ可能です。
第1章セーヌ河から睡蓮の池へ
《睡蓮、夕暮れの効果》1897年、マルモッタン・モネ美術館
作品紹介のno.3にある絵です。
有名な絵ですね。
私はほんのりピンクの花だと思っていたのですが、白い睡蓮が夕暮れの光でほんのりピンクになっているそうです。
確かに葉の縁も少し赤っぽく色づいています。
第2章水と花々の装飾
オランジュリー美術館にあるモネの大装飾画。
もともとはモネの敬愛するオーギュスト・ロダンの美術館があるオテル・ビロンに展示館が建設される予定だったそうです。
展示館を新設することは財政上難しく、現在の形になったそう。
そこに至るまでの装飾画の数々が第2章。
《藤》1919-1920年、マルモッタン・モネ美術館
作品紹介no.6にある作品。
オテル・ビロンの計画では睡蓮の壁画の上部に帯状装飾として飾られる予定だったそうです。
睡蓮の壁画の上に藤……そうだったら、すごく豪華ですよね。
今回の展示では、ベンチで座って見るのにちょうどいい高さに展示されています。(山田五郎さん、担当研究員さん談「ぶらぶら美術館」にて)
実際に見て見るとこの藤は何色の藤だったのだろう……と思いました。
いわゆる藤色だと思いきや、近くで見ると白い藤の花のようにも見えました。
《アガパンサス》1914-1917年、マルモッタン・モネ美術館
作品紹介no.8の作品。
関連する習作が他に2点あり、並べて展示されています。
こちらのサイトで展示風景は見られます。
この3点、1つの風景を切り分けて描いているような感じです。
担当研究員さんが推しの展示だとおっしゃっていました。(「ぶらぶら美術館」より)
オランジュリー美術館の大装飾画とは
展示館がオテル・ビロンの敷地から、現在のオランジュリー美術館へと計画が変わる過程でなのか、《藤》のモチーフは断念され、《アガパンサス》も消えました。
実際オランジュリー美術館はどんな感じなのか。
公式サイトのリンクを貼りますので、気になる方はチェックしてみてください。
第3章大装飾画への道
「睡蓮の間」を彷彿とさせる展示室です。
ここだけは写真撮影が可能。
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《睡蓮》1916年、国立西洋美術館
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国立西洋美術館所蔵の《睡蓮》。
常設展でも会えることがあります。
かなり濃いピンクの花、ピンク色で縁取りされた葉。
大胆なタッチ。
改めてよく見ると、抽象的な表現の睡蓮ですね。
《睡蓮、柳の反映》1916年、国立西洋美術館
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以前常設展か何かで見たけれど、上部は欠損なのか、欠損だとしたらなぜそのままにしてあるのか、イマイチよくわからなかった作品。
キャプションがなかったのか、見過ごしてしまったのか……。
今回はキャプションがついていたので、作品背景がわかりました。
・モネが生前に唯一売却した、大装飾画関連作品の装飾パネル。
・1923年に関東大震災の被災者のためにパリで開かれた展覧会に出品されると、モネが抗議し作品は撤去されることに。
・第2次世界大戦を経て所在不明に。
・2016年に上部が欠損した状態で、ルーヴル美術館にて発見された。
調べて見ると、欠損部分がそのままの理由もあるようです。
担当された国立西洋美術館研究員・邊牟木(へむき)尚美さんは、このように発表されたようです。
「歴史的資料としての価値を重視して修復し、現状を維持しました。ですから欠失部分の補填は行っていません」
描かれているもの、画家だけでなく、作品そのものが辿った運命のこともしることができました。
《睡蓮》1916-1919年、マルモッタン・モネ美術館
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メインビジュアルだったこの作品。
青みのあるピンク、水面?空?の青、木々や葉の緑、雲の白があらためて綺麗。
キャプションにある「水面の上で天地が一体となったかのような効果」「木と水と空が混然一体と描かれ、一つの小宇宙をかたちづくっています」という表現になるほどと思いました。
キャプションの表現が綺麗です。
第4章交響する色彩
1918年以降から最晩年の作品が紹介されています。
主題となっているのは、ジヴェルニーにある自宅。
公式サイトで見るとイメージ湧きやすいです。
バーチャルツアーが楽しいです。
こちらは2015年の真夏にモネの家と庭に行った時の写真です。
花が咲き乱れる時期は終わっていた……と思いますが。
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《ばらの庭のから見た家》1922-1924年、マルモッタン・モネ美術館
モネは1912年に白内障と診断され、1923年には手術を受けたそうです。
若干視力は回復したもの、色付きのメガネでの調整が必要だったり、日によっては赤っぽく見えたり、青っぽく見えたりしたそうです。
《ばらの庭のから見た家》は4点置かれていますが、赤っぽく描かれている作品も、青っぽく描かれている作品もあります。
モネの家の色はピンクなのに。
それでもモネは描くことを止めなかった。
止められなかった。
「経験から培われた色彩感覚に基づく実験精神」と展覧会公式サイトでは表現されています。
そしてこの実験があったからこそ、晩年のモネの作品は抽象表現主義の先駆けとしての評価もある。
「諦めない」「現状維持を続ける」だけでなく、老いても体が思うようにならなくても、実験を続けることが素晴らしいと感じました。
モネの人としての魅力も感じました。
エピローグさかさまの世界
《枝垂れ柳と睡蓮の池》と《睡蓮》1916-1919年ごろ、マルモッタン・モネ美術館
《枝垂れ柳と睡蓮の池》は作品紹介のno.20、《睡蓮》はno.21の作品です。
オランジュリー美術館の第装飾画のための習作だそうで、no.20の枝垂れ柳が描かれた場所から画面奥の岸辺まで近づき、水面へと視線を移したものがno.21の睡蓮なんだそうです。
この2作について展覧会公式サイトはこのように説明しています。
1918年に休戦を迎えると、時の首相にして旧友のジョルジュ・クレマンソーに対し、戦勝記念として大装飾画の一部を国家へ寄贈することを申し出ます。その画面に描かれた枝垂れ柳の木は、涙を流すかのような姿から、悲しみや服喪を象徴するモティーフでもありました。
モネがこの装飾画の構想において当初から意図していたのは、始まりも終わりもない無限の水の広がりに鑑賞者が包まれ、安らかに瞑想することができる空間でした。
枝垂れ柳で悲しみ・服喪を表現されているそうですが、私は睡蓮の花があることで傷を癒そうとする温かみみたいなのを感じました。
解釈ではなく、個人的な感想です。
モネの晩年にじっくり触れてみて
「晩年のモネは白内障で、作品はその影響を受けている」
「モネの晩年の作品は、抽象表現主義の先駆けとされる」
という知識だけはありました。
今回晩年の作品を中心に触れてみて、
「画家にとって大切な目が悪くなり、辛かっただろうな……。」
「白内障ってこんな風に見えるの?」
「これ日常生活も辛くない……?」
と不憫に感じた一方で、
モネはそんな逆境の中でも実験し、自分の表現を探究し続けたのか!すごいな!と思いました。
月並みの言い方ですが、高齢になっても実験し続けるってすごいと思います。
しかもモネの表現は「印象派」でなく、「抽象表現主義」の先駆けという別の評価を得た。
ここから自分の話をします。
私自身はWebデザインやグラフィックデザインを学んでいて、キャリアチェンジや副業を目指しています。
今までの私のキャリアから考えると、全くと言っていいほど関連しない分野です。
ですが今回、高齢になっても大事な目を患っても、実験し続けたモネに感銘を受けました。
チャレンジ精神って何歳でも持ってよいもので、大切なんだなと思えた展覧会でした。
私も「もうアラフォーだ……」なんて思わずにチャレンジ精神大切にしようと思いました。