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解説 彼らは私の安息に入らない(第一説教集8章1部) #38

原題: A Sermon How dangerous a thing it is to fall from God. (神から離れることはいかに危ういものであるかについて)

第一説教集第8章の解説をします。この章は二部構成です。まずは第1部ですが、テーマを聖句で言えばこれでしょう。

彼らは決して私の安息に入ることはない。(ヘブライ人への手紙 3章11節)

第1部のポイントは次の3点です。
①人間は高慢によって神から離れる
②高慢によって神から離れた者たち
③神が人を喜ばれないときの二つの姿

冒頭でこのような訴えかけがあります。

かの賢者はわたしたちが神から離れるのは高慢によってであると言いました。

ここでいう「かの賢者」とはソロモンを指すと思われます。聖書にはこのような言葉があります。

「主を畏れることは知識の初め。無知な者は知恵も諭しも侮る(箴1・7)。」

人間は神を畏れなければなりません。そうしないで高慢であると神は人間を遠ざけられます。人間が神に心を向けず、己の力を過信することの戒めと、それによる傲慢のあまりに隣人への愛を失うことへの戒めが、聖書からの引用で述べられます。

「災いあれ、助けを求めてエジプトに下り、馬を頼みとする者に。彼らは、戦車の数が多く騎兵が強力であることに頼り、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めようともしない(イザ31・1)。」

「万軍の主はこう言われる。真実の裁きを行い、互いに慈しみ、憐れみ合え。寡婦、孤児、寄留者、貧しい者を虐げてはならない。互いに悪を心にたくらんではならない(ゼカ7・9~10)。」

人間の傲慢には底がなく、思い上がりが激しいことに御言葉を守らず、神を喜ばせられると勝手に思い込んで行動し、結果的に神に罰せられた者の例として旧約聖書からサウル王の喩えが引き合いにだされます。神は彼にこのように命じられました。

「さあ、行って、アマレクを討ち、アマレクに属するものはすべて滅ぼし尽くしなさい。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺しなさい(サム上15・3)。」

果たして彼はアマレク人を破るのですが、彼なりの憐憫の情や神への服従のありかたからそのとおりにしなかったので神の怒りを招き、王位から退けられました。神の正義は人間の正義を大きく超えるものであり、ときとして人間の理解を超えるものになります。人間はそれに従うことに迷いを持つことがありますが、人間に求められているのは神に従うことです。人間が神に従わず自分勝手に行動することが人間の傲慢です。そのように人間が神から離れるとき、神が人間に示されるお姿が二つあるということが説かれます。

神がわたしたちを喜ばれない時のことについては、聖書のなかで二通りのことが明らかにされています。一つは神がわたしたちに恐ろしい表情をお見せになるということであり、もう一つはわたしたちに御顔を向けられず、むしろお隠しになるということです。恐ろしい表情をお見せになる時というのは神が大いにお怒りになっている時です。しかし御顔をわたしたちに向けられずにお隠しになるという時は、いわば神がわたしたちをお見捨てになり、わたしたちを諦められた時です。

人間は罪深く浅はかであり、神に喜ばれようと身勝手なことを行い、その上でこの世にあって富や自由を謳歌することを神の御恵みであると勘違いをすることがあります。そのような愚かさについてこの説教ではこう述べられます。

わたしたちを自分たちの意志の力という身勝手な知性に任せるままとされている時というのは、神がわたしたちをお見捨てになろうとされている時です。

神がひとり子を世に遣わされ、世の罪を負わせられたことに鑑み、人間は神の子となるべく、神の教えを守らなければならない。それをしない者が救われることはないとして、第1部は聖書のこの引用で締めくくられます。

「彼らは決して私の安息に入ることはない(へブ3・11)。」


今回は第一説教集第8章「神から離れることはいかに危ういものであるかについて」の第1部「彼らは私の安息に入らない」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。

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