解説 良いぶどう畑となる(第一説教集8章2部) #40
原題: A Sermon How dangerous a thing it is to fall from God. (神から離れることはいかに危ういものであるかについて)
第2部の解説をします。テーマを聖句で言えばこれでしょう。
私たちは神の協力者、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。(コリントの信徒への手紙一 3章9節)
第2部のポイントは次の6点です。
①第1部の振り返り
②信仰の実としての葡萄畑のたとえ
③畑に手入れをするしないの違い
④肉的な自由と真の自由とのとりちがえ
⑤神から離れてしまう二つの生き方への戒め
⑥まとめと結びの祈り
まず第1部で述べたことの要点が確認されます。
神は慈悲深く、人間が道を外れそうなときに人間を正そうとさまざまなことを為されますが、それでも人間が神の教えに従わないときに災厄をもたらされます。『イザヤ書』のぶどう畑の喩えが引用されます。人間が神の期待に応えずに良い実をつけないでいると、神はいよいよぶどう畑を荒れるに任されます。
神は人間に対して怒ってこのようにするというのに、当の人間はかえって自分たちの自由に事を運べているととらえてしまいます。ますます悪い方へと進んでいきます。
なぜ神がぶどう畑に手を加えられないでいるのか。それを神が自由を与えておられるのだと考えてはならない。この世で実際に人間がぶどう畑に手を加えることの理由に照らしてこのように考えるべきであると説かれます。
つまり、神から何の罰も受けていない、窘められていない、これを信頼されて自由を得ていると勘違いしてはならないということになります。神と人間との関係のみならず、いつの世にも通じる言葉です。このようにわかりやすい喩えで神の道を生きることが説かれたあと、神から離れる二つの誤った生き方が戒められます。
一方は自暴自棄であり、もう一方は僭越なものです。この二つの生き方についてはそれぞれに聖書からの引用によってこう戒められます。
自暴自棄になって神を信じないのも、神を軽んじる高慢から僭越になるのも、ともに戒められます。特に後者については、こう付け加えられ、そのあとに結びの祈りが唱えられて第2部は、つまり第8章は終わります。
今回は第一説教集第8章「神から離れることはいかに危ういものであるかについて」の第2部「良いぶどう畑となる」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。
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