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解説 信じる者に義(第一説教集3章1部) #12

原題:A Sermon of the Salvation of Mankind, by only Christ our Saviour, from Sin and Death everlasting.  (救い主キリストによる罪と永遠の死からの救いについて)

第一説教集第3章は3部構成です。この説教については八代崇先生のご翻訳が1984年に教文館から出されています。

章全体を通じて、大きくは人類の救いがキリストのみによるということが繰り返し説かれます。第1部のテーマを聖句で言えばこれだと思います。

キリストは律法の終わりであり、信じる者すべてに義をもたらしてくださるのです。(ローマの信徒への手紙 10章4節)

第1部のポイントは次の4つです。
①人間の罪には贖いが必要である
②贖いはキリストにより価なくもたらされる
③人間の義認に必要な3つのもの
④信仰は神の御業である

第1部はこう始まります。

人間はすべて神に対する罪人で反逆者であり、なおかつ神の律法の破壊者です。

したがって人間は滅びに定められるのですが、当然ながら人間には自身を救う能力も手立てもありません。しかし神はこのような人間たちを憐れみ、御子をこの世に遣わされました。救いのありようについて、囚人と身代金の喩えによる問が立てられて話が進められます。

わたしたちの贖いのために身代金が支払われるとして、それは無償で与えられるものなのでしょうか。身代金を払った囚人は牢の外に出ても全く自由であるというわけではありません。返済すべき身代金があったのでは全く自由であるとは言えないからです。

神はわたしたちに身代金を用意してくださりました。その身代金こそが神がいたく大切にされている愛すべき御子イエス・キリストの極めて貴い血と肉体でした。キリストは身代金となられることに加え、われわれのために律法を完全に満たしてくださりました。こうして神の義と御慈悲が合わさり、わたしたちの贖いという神秘がもたらされました。

この上で、人間が義とされるにあたって必要なものが3つあると説かれます。第一に神については御慈悲と御恵みを示されること、第二にキリストについてはその血と肉で人間が贖われるということ、そして第三にとして、次のように説かれます。

三つ目としてわたしたち人間についてはイエス・キリストの功績による真にして生ける信仰です。これはそもそもわたしたちの中にないものですが、神の御業によってわたしたちの中にあるようになります。

人間は自らの力で信仰を持つこともできません。信仰を持つことそれ自体が神の御業であり、キリストを通して与えられると説かれています。そして人間はいかに無力であり、キリストによらなければ救われないということがあらためて説かれて第1部は終わります。

わたしたちが為しうる善き行いはすべて不完全なものであり、したがってわたしたちはそれをもって義とはされえません。わたしたちの義認はただ神の御慈悲により、そのとても大きく無辺の御慈悲により価なしにもたらされるものです。

キリストはキリストを心から信じるすべての人々の義であるのです。キリストは死によって人間のための身代金を支払われました。人間のためにその命によって神の律法を全うされました。

今回は第一説教集第3章第1部の解説でした。次回はこの第1部の試訳をお届けします。

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