「シンポジウム報告論集 ケアと自己決定」を読んで

今から約20年も昔のことにはなりますが、2005年に東京大学医学部大講堂で行われたシンポジウムの発表及びディスカッション内容が収録された書籍になります。ここにおける「ケアと自己決定」については、主に高齢者介護や終末期の場面にフォーカスする形で深められています。このシンポジウムで特に興味深いのが、ケアや医療、介護が主なテーマになっているのにも関わらず、提題者・コメンテーターはいずれも社会学や倫理学の学者であり、医療系の学者が1人もいないという点です。自分が普段学んでいる「医療」とはまた異なる視点からケアについて考えるきっかけとなりました。


この中で私が印象に残った内容は以下の2点。

1点目は、ケアにおいてはコミュニケーションが必要不可欠であり、そこには様々な作用が起きうるという点。それは必ずしもポジティブな作用だけではなく、「ケアをする側・される側にとってのそれぞれの『最善』が異なる」ことによってのすれ違いが起きる可能性があります。この1つに「パターナリズム(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること)」というケアの概念があり、パターナリズムは「父権主義」と捉えることもできます。そこにはジェンダーといった社会固有の問題も絡んでおり、ケアにはあらゆる要素が絡んでいるのだと実感しました。自分が医療者として患者と関わる際、その関わりによってどのような作用が生じているか、またそれは患者にとって良い/悪いものであるかなど、俯瞰する習慣を是非とも持ちたいと考えました。

2点目は、「死期が迫った人間の『生』についての考え方」です。同じ「生きている人間」でも、意思を持って生き生きとしている状態と、思うように体を動かせない状態(本書では「微弱な生」と表現されている)では、捉え方・必要な関わり方もまた変わってくると思います。特に後者の状態にある患者の意思決定は難しく、ここに関わるディスカッションの流れを読み取るのも難しかったです……。ケアをする側が「生かしてあげたい」と思ってやったことが、ケアを受ける側にとってはパターナリズム的なものになることもあるなど、「正解」を簡単に出すことのできない問題だと改めて感じました。

以上を踏まえ、今後、看護学生として医療や看護学はもちろんのこと、それ以外の観点からもケアの現場について考えていけるようになりたいという点が、全体から得られた学びでした📖


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