「エンド・オブ・ライフ(佐々涼子 著)」を読んで
今回は「エンド・オブ・ライフ(佐々涼子 著)」を読んだ感想になります。
こちらは、今まで200人以上もの患者を看取ってきたという訪問看護師・森山のノンフィクションストーリーになります。
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森山は訪問看護師として多くの患者・家族に向き合ってきましたが、その中で彼は多くの葛藤に向き合うことになります。患者の”命”と”やりたいこと”、どちらを優先させるか悩みながらも、必死に患者・家族に寄り添いながら、その人の最期に向き合うこともありました。
そんな温かい看護師像が印象的な森山ですが、ある時体調の悪い日が続き、検査を受けたところ膵臓がんのステージⅣ(手術による治療も不可能)と判明。本書では、がんになる前の森山と、がんの診断を受けてから最期を迎えるまでの、終末期患者としての森山の姿のパートが交互に描写されています。
終末期看護に興味があるということでこの本を手に取った私ですが、患者が望む最期を迎えるというのは非常に難しいことである、というのが素直な感想です。
特にこの物語の舞台は終末期の中でも在宅看護。患者や家族に寄り添った看護がより求められる場所になります。森山自身も、最期は自らの希望により、自宅で家族や仲の良い人たちと共にゆったりとした時間を過ごし、亡くなりました。
さて、本書の中で何よりも印象に残った点が、がんになった前後の森山の医療・看護に対する価値観の変化です。がんになる前、訪問看護師としてバリバリ活躍していた頃の森山は、看護師として必要なケアなども行い、患者・家族の希望を叶えるべく真摯に向き合っていました。ところが森山がステージⅣの膵臓がんと診断され、看護の現場から離れてしばらく経つと、森山の心境に変化が現れます。彼は代替医療や自然、神社巡りなど、西洋医学よりもスピリチュアルなものに興味を示すようになったのです。本書には、以下のような文章がありました。
”病を得ると、人はその困難に何かしらの意味を求めてしまう。自分の痛みの意味、苦しみの意味。人は意味のないことに耐えることができない。だからこそ、自分の生き方を見直してみたくなる。…(中略)… そして、心も身体もすべて委ねる大いなる存在が欲しくなり、それにすがりたくなる。”
学校で学んだ終末期看護の「全人的苦痛」の中に、「スピリチュアルペイン」なるものがありますが、これもその1つなのかなと考えざるを得ませんでした。自分が将来看護師として終末期の段階にある患者を受け持った時、そんな患者の思いや苦痛に果たして向き合えるのか……。患者の健康や安全安楽を支えつつも、その人の内にある思いを引き出し、最大限叶えられるような、そんな看護師を目指したい。読み終わる時には、そんな風に感じた1冊でした。
最後まで読んでくださってありがとうございました。