【エッセイ】救急病棟24時
昨日、救急病棟に足を運んだ
ここ数日、うちの母が「動悸がして体が重い」と繰り返し言うので休日出勤を欠勤にして、かかりつけの個人病院に連れて行った
軽い検査の結果、心臓に不整脈が出ているという事で近くの日赤病院に先生が紹介状を書くから、すぐに救急で診てもらうようにと打診された
向かう車の中で、母が苦いコーヒーを一口飲みたいと言うので、このまま入院となれば、しばらく好きなものも口に入れられなくかも知れないと、病院の手前のコンビニに寄り、ペットボトル型の温かいブラックコーヒーを買ってあげた
その後で母が車の中で一口、二口だけ飲んで心の準備を整えて、救急病棟に連れて行った
薄暗い待合室で母が残したぬるいコーヒーを口に含みながら、最悪を想定しつつ、誰に連絡をしたらいいのか、費用はどれくらいかかるのか…考えれば考えるだけ不安になってゆく
救急室の開閉扉から職員の方や患者さんが出てくる度に何十回も顔を上げ、しばらく、やり場のない緊張の中で待っていたら、1人連想ゲームの中に、ふっと新しいエッセイのテーマを思いついた
母の病気の事とは全く関係ない取るに足らないどこにでもある話だ
そして、不謹慎ではあるかも知れないけれど、スマホで長い文章を綴り始めた
脚本家の北川悦吏子の本に、母が入院してる病室のベッドの横で、大ヒットドラマ『愛してると言ってくれ』を書いたと記してあった
イラストレーターのリリー・フランキーの映画『東京タワー〜おかんとボクと、時々、おとん〜』では、母のお通夜の祭壇の前にあぐらをかいて、原稿を書く姿があった
何かオレ、今…プロのライターっぽくね
こんな時でも己を俯瞰で見れる自分にも少し呆れた
母は元気になって病棟から出てきた
特にすぐに健康を害するような異常な不整脈ではなく、加齢から来る一種の疲れからのものだろうという事で、入院もせず、薬も出されず無事にその日のうちに家に帰って来る事が出来た
救急病棟の待合室で不安と緊張の渦の中で書き上げたストーリー
もしまた掲載が決まったら、読む人はそんな事を何も知らずに、文字の上の世界の中に淡い異空間を見出すのだろう