一筆書き1000 卒業
あのねぇ、そうやって今だけをじっと見つめるんじゃあない。明るい未来を見つめなさい。お前の心のタフネスが無くなってしまう前に。私は目前のイベントを畏怖し、目後の失敗をまた嫌厭する。畏怖嫌厭という訳である。ここまでが、中学二年生までの話で、ここからが、高校一年生からの話。これぐらいの歳になると、いくらか失敗をしても、また、適当にことをこなしても結局どうにかなってる。あと、今幸せだし。ということに気づき始める。思えば、夏休みの宿題はほとんど、答えを写していたし、冬休みの宿題はほとんどやっていなかった。ジャネーの法則ではないだろうが、経験浅い弱冠には、一つ一つの失敗が一大事に見えてしまうのだ。思い出した、ツァイガルニク効果。それらが成熟とともにちっぽけなものへと変わっていく。お前は何を当たり前のことをさも発見したかのように言っているのだ?と言いたいであろう。しかし、これは15歳の少年がたったさっき気が付いたことなのである。なら凄い?ハッとしたよ。今までなんて小さなことでクヨクヨしていたんだ。宿題は答えを移せばいいし、テストは赤点さえとらなければ大丈夫なんだ。滑稽滑稽国慶節。結局、その事に気がついても何一つ行動は変わらないのである。いつも通りの姑息療法。変わったのは事後のマインドだけである。少年はまだ、赤点は取らまいとしているだけ立派、救いはあるが。でも、今幸せだし。どれだけ出来なくても、失敗しようとも、未来は今と同じように幸せなはずに違いない。それに社会に出て、お金を稼いだら好きなものを好きなだけ買える。今よりももっと幸せに違いない。誠にハッピーである。もしあなたが未来という仮想をでっち上げて現実逃避しているであれば、歯医者さんに行った方がいいです。このあっさい文字列、いわゆる卒業文集を見て脳漿が紫色のジェリゲリに液化しそうな人のために告げておこう。この卒業文集がナンセンス文学のそれでは無いという証をここに記そう。冒頭の未来云々の話はかの太宰治の未完の遺作『グッド・バイ』の一節である。真偽を確かめたければ、手に取ってその眼で探してみると良い。未完のくせに泥臭い愛憎痴話が千頁に差し迫る勢いでつらつらつらつらと認められており、読んでいる途中でFPSをやりたくなること間違いなしである。治には感謝している。彼の純粋文学はどこをどう評価すれば良いのか分からないが、こと駄々文々のカモフラージュに関してはとても優秀であると思っている。ねぇ、君は今幸せ?