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足元を見て暮らす

踏み出す一歩

頭の中で色々考えていた。
私っていつもそうだ。
頭デッカチ。

note でも同じ、考えたわりには自分が満足するようなものは書けていない気がする。
それでも書かないよりは、と書くけれどいつの間にか本当は何を書きたいのか忘れてしまう。

編み物でも同様。目的と糸は決まっているのにどんな風に編むのか、モチーフの配色はどれにするかなど悩むばかり。
今回は孫娘のためにベッドカバーを編む予定を立てた。色は薄紫がメインで白は確実、中心の色は?後もう一色入れたほうが良いか?で悩んでいたが、編み出してみてすんなり決まった。

ざっくり計算して300枚❗編める~?
イヤ編むのだ、糸が途中で足らなくなればどうする⁉️それならそれで大きめのブランケットにすれば良いではないか、と励ましながら編み始めた。

己れの怠慢さと闘いながらの挑戦である。(ちょっと大袈裟)。



 坂道を登るが如し

編み物と少し逸れるけれど、人生はよく坂道に例えられる。階段と言ってもよいかもしれない。
昨年韓国を訪れた。もちろん観光目的である。
何度か訪れているが、忘れている場所もある。

韓国は日本の奈良に似て寺社仏閣が多い。
それも奥深い山に建っている。
坂道と階段だらけ、それも奈良京都に似ている。少々うんざりしながら歩いていると、ガイドさんが「足元だけを見て登ってくださいね
。上を見てはいけませんよー!」と忠告。
「一つひとつ、一歩一歩を見ているといつの間にか頂上に着いているものですよ。」
なるほどそういうものか、と試しながら登って行った。

もう一つ、最近観た映画で「ブータン 山の学校」がある。
ヒマラヤの麓標高4500mの村に派遣された歌手志望の若者と約60人にも満たない村人達との数ヶ月の交流の物語。

実際ブータンは若者の海外流出に困っているそうだが、人の幸せとは?と考えさせられる映画であった。
若者が村人に出迎えられて行く道のり、道無き道を登る、登る。若者は登り坂はいつまで続くのか?と問うと、案内人はもうちょっと登れば後は下り坂です、と応える。
しかしいつまでも登り坂。
案内人が「ずっと登り坂です、と言えばイヤになるでしょう、だからちょっとしたウソです。」

私も編み物の大家になろうとは思っていない。
だからといってエッセイストになろうというわけではないけど、誰かに編んだ物を見てもらいたい、頑張って編んだねと認めてもらいたい欲求はあるし、書いた物を読んでもらいたいという欲求もある。
承認欲求、というほどまではないかもしれない。
残りの人生は長くはない。華々しい場所に立つことも無いだろうけど、自己満足でもよいからここに書き残したいと思っている。

 やっと本音で書けた。

本音というより、少し肩の力を抜いて書いたかな(笑)。
Facebookでは日常のつまらないことでも書いているのに、何でかnote に書くとなれば力が入る。
まだまだだけど、こんな調子で書いていってもよいだろう。

ベッドカバーの進歩具合は時々書いて行きますね。

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