旅の「記憶」Ⅱ.運河に流れる メロディー
アムステルダムは、氷雨模様の晩秋でした。
列車の到着後真っ先に、電話で幾つかのホテルに当たり、その夜の宿泊先を確保しました。
予約しましたのは、運河に面する市街地の住宅を改造した小さなホテルでした。
電話での交渉は、相手の表情が見えず、声も聞き取りづらく、しばしば難儀しがちですが、電話口のクラークは丁寧、快活で、スムーズに予約ができて、安堵の胸をなでおろすことができました。
ホテルのチェックイン時、件のフロントマンがひどく沈み込んでいることに気付き、声を掛けてみました。
今しがた、彼の母国エジプトから、入院中のママが亡くなったとの一報を受けたばかりとのことでした。
お悔やみを申し上げるのにふさわしい言葉を懸命に探しましたが、語学力の至らなさから申し上げるべき言葉が思いつかず、
“I‘m very,very,sorry.”と、せめての気持ちだけを伝えました。
彼は、微笑みを返してはくれましたが、溢れる涙を懸命にこらえているようでした。
ホテルのオーナーである老婦人がフロントに表れて、日本人かと問いかけてきましました。
私の返事を聞くと、彼女は唇を震わせて、「今すぐに出ていけ」と大変な剣幕で叫んだのでした。
「愛する一人息子が、大戦で日本軍によって殺された。だから、日本人は絶対に泊めさせはしない」との、ほとばしる激しい口調に圧倒されました。
フロントマンは、私をジェントルマンだと懸命に取りなしてくれましたが、聞く耳は持ってはおられませんでした。
私は、夕闇が迫る氷雨の中に、その夜のホテルの当てもないまま放り出されて、運河の水面を見つめて嘆息をつくばかりでした。
気が付けば、街頭のラウドスピーカーからは、「コンドルは飛んでいく」のメロディーが流れていました。
突然、戦士と病死という二つの死に接して、私自身の気持ちの整理 もつかぬ、唯やるせない胸の内を物語るかのような、哀愁に満ちた調べの流れる氷雨のアムステルダムの運河でした
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