たすけて〜! 築百年の町家はゴミの山
封印されていた下家(シタヤ)
恥ずかしながら、通り土間の向こうに広がる裏庭ばかりに目がいっていた私は、庭に降りる階段脇の蔦や板の向こうにシタヤがあることに気づけていませんでした。
義母宛に届いていた固定資産税の通知書で初めて3階建てと知り現地へ向かうと、階下には何やら得体の知れないものがぎゅうぎゅうと詰まった空間があったのです。
下家(シタヤ)とは
懸け造り(山や崖に持たせかけたり、谷や川の上に突き出したりして建てること)の家の下の部屋をシタヤと呼びます。まさかこの家にシタヤがあったとは。
小上がりの床を撤去して1階を全て土間空間にしようと考えていた私の計画は仕切り直すしかありません。裏庭から入って行くシタヤの奥行きや幅がどのくらいあるのか?これを調べないとリプランのしようがないという現実に突き当たりました。
地形と歴史と勿体ない精神が生んだ場所
94の義母(キミちゃん)が青春時代を過ごした中柳町は旧武家地(幕政用地)。小駄良川沿いの平坦な職人町・鍛冶屋町とは異なり、郡上八幡城へ向かう傾斜地に等高線上に通りが並びます。
「郡上八幡まちなみ交流館」の資料によると
中柳町は、大正8年の大火からの復興で通りに面して町家群が高密度で建てられた場所。間口が狭く奥に長い敷地を有効活用するために、敷地の段差を利用した地下室やシタヤのある家が多いそうです。
余談ですが、このまちなみ交流館のトイレはとても綺麗です。トイレ横にはちょっとした休憩場やコインロッカーもあって郡上を訪れるたびに利用していたのですが、残念ながら私の公休日でもある水曜日は展示ルームも休館日で拝観していなかったんです。
話は戻って、いったいこのシタヤに何が詰まっているのか?
キミちゃんのお父さんは木こりを生業とし、晩年は古物商も営んでいたそうです。住む人もなく50年ほど経つこの家は、その後キミちゃんの旦那さん(セイイチさん)が亡くなるまで管理をしていました。
セイイチさんは八人兄弟の末っ子。とても苦労して育ったそうです。実直で、ちょっとお茶目なところもある優しい義父でしたが、無類の始末屋さんで、もったいない精神の塊のような人。よそ様からはゴミにしか思えないものも大切に保管し、不用品をありがたくもらってくる人だったと聞いています。そのセイイチさんが管理していたとなると…
とにかくモノが詰まり入ることもできないシタヤを片付けなければすすみません。自力での片付けは諦めて、業者さんにお願いすることにしました。
次回は「築100年 町家の片付け」です。
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