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心の碇(いかり)

「いかり」って知ってますか?
いかりとは船が港などに停泊しているとき、流されていかないように鎖につないで海中に沈めておく「おもり」のことです。


マキちゃんは小学校3年生の女の子。ちょっぴり恥ずかしがり屋さんで、
泣き虫さんですが、花や動物が大好きなやさしい女の子です。
日頃から知らない人がおうちに来るとお母さんの陰に隠れてしまったり、
学校であてられるとドキドキしてしまって、分かっているのに上手に答えられなかったりするので、お母さんからは「もっとテキパキとハキハキしなさい!」と怒られてしまう毎日です。

ある梅雨の日の朝、ちょっぴり寝坊してしまったマキちゃんは大急ぎで
朝ご飯をすますと、ランドセルを背負って「ママ、行ってきまーす。」と
あいさつもそこそこに走り出しました。
外は昨日の夕方からの雨がまだしとしとと降り続き、うっとうしい梅雨空です。ちょっと大きめの長靴までが急いで走ろうとするマキちゃんを笑うかのようにパカパカとなります。
やっとの思いでみんなと待ち合わせている角の空地までたどり着いたそのときです。「クーン・・・」とか細い声がするではありませんか。
いつも一緒に学校に行くあやちゃんとななみちゃんが小さな段ボール箱の前にしゃがみこんで中をのぞき込んでいます。

「・・・どうしたの?」
走ったおかげでまだ、整っていない息の下マキちゃんがたずねると
「子犬が捨てられているんだよ」とあやちゃん。
「雨に濡れてかわいそう。ぶるぶる震えてるよ。」
ななみちゃんも横から言いました。


のぞき込むと、真っ黒な鼻の頭をクンクンさせながら茶色の子犬が見上げているではありませんか。マキちゃんは自分の服が濡れるのもかまわず子犬を抱き上げました。

雨に濡れてぶるぶる震えていた子犬はしばらくすると温まってきたのか震えは止まりマキちゃんの名前札のあたりにしきりに鼻をこすり付けて甘えます。

そのうちみんなは「早く行かないと学校に遅れちゃうよ。」といい歩き出してしまい・・・けど、かわいそうに思ったマキちゃんは子犬を下に置くことができません。
みんなに「待って」ということもできず、ただただ、子犬を抱えて途方に暮れるばかり。
「このままおうちに帰ったらお母さん怒るだろうなあ・・・。」
そう思うとすぐそこのおうちにも帰ることができず、悲しくなって涙が出てきそうになったそのときです。

「おや、マキちゃんじゃないの。どうしたんだい、こんな雨の中で。学校に行かなくていいのかい?」
振り向くとお隣のおばあちゃんが心配そうな顔をして立っています。

隣のおばあちゃんはマキちゃんが小さい頃からよく可愛がってくれる優しいおばあちゃんで、本当のおばあちゃんのおうちが遠いマキちゃんにとっては本当のおばあちゃんと変わらないくらい大好きなおばあちゃんなのです。
おうちで怒られたり、お友達にいじめられたり、学校でいやなことがあった時など、訪ねて行くといつも優しく「おやつでも食べていくかい?」と迎え入れてくれるのでした。

おばあちゃんの顔を見て緊張の糸が切れてしまったマキちゃんは堰を切ったように泣き出しおばあちゃんに言いました。
「子犬がね・・・ぶるぶる震えてて、かわいそうだけど、学校に遅れちゃうし、みんな行っちゃうし・・・あのね、それでね・・・」
なかなかうまく言えないマキちゃんの言いたいことを察してくれたおばあちゃんはにっこり笑って言いました。
「そうだったのかい。かわいそうにね。どれ、その子犬はばあちゃんが預かってもらい手を当たってあげるから、マキちゃんは早く学校へお行き。
マキちゃんは本当にやさしい子だねえ。ばあちゃん、そんなマキちゃんが大好きだよ。」
マキちゃんはほっとしておばあちゃんに子犬を渡すと、「ありがとう」といって走り出しました。

案の定、マキちゃんは学校に遅刻してしまい、先生に怒られてしまいました。
「マキちゃん、だめじゃないきちんと早起きして遅れないように来ないと。夜更かしでもしちゃったの?なぜ遅れたか言ってごらんなさい。」
先生に面と向かって言われただけでマキちゃんはもうドキドキ。顔を真っ赤にしながら言おうとするのですが、なかなかうまくしゃべることができません。
ついにしびれを切らした先生は、「もういいわ。仕方ないから明日までに、反省文を書いていらっしゃい。」といって、職員室に行ってしまいました。

学校が終わると雨があがったくもり空の下、水たまりの水がはねるのも気にせず、マキちゃんは一目散に走って帰り、ランドセルもおかずに隣のおばあちゃんのおうちに駆け込みました。「おばあちゃん!子犬は?」
すると、温めた牛乳を入れたお湯呑を持ったおばあちゃんが奥から出てきて言いました。
「おや、マキちゃんおかえり。お腹をすかせているようだから、牛乳でもやってみようかと思っていたんだよ。マキちゃんがあげてみるかい?」
奥のお部屋で段ボール箱に古いタオルを敷き詰めた寝床に気持ちよさそうに寝転がっている子犬を見て、マキちゃんは一安心。牛乳の入ったお湯呑をそっと置くと、鼻の頭を突っ込んでぴちゃぴちゃと飲み始めました。
微笑みながらのぞき込むマキちゃんの後ろからおばあちゃんは言いました。「本当にマキちゃんはやさしいいい子だよ。みんなが置いて行ったって子犬を見捨てなかったんだもんねえ。ばあちゃんはそんなマキちゃんが大好きだよ・・・」

その晩、連絡帳でマキちゃんが遅刻したことを知ったお母さんは、マキちゃんのことを叱りました。でも、なんとか事情を説明できましたし、先生に怒られたときほどマキちゃんは落ち込みませんでした。
マキちゃんは、おばあちゃんの言葉が自分の心を強くしてくれたんだ、と思いました。


あれから10年、マキちゃんは動物の美容師さんの学校に通っています。
まだちょっぴり泣き虫さんではありますが、自分の気持ちを伝えることも
少しづづ上手になり、同じ学校に通っている動物好きのお友達もでき楽しく過ごしています。
今でも、辛いことや悲しいこと、いやなことがあって落ち込んだ時には、
おばあちゃんの言葉を思い出します。そして自分のことを大好きだと言ってくれた言葉を思い出すと、不思議に力が湧いてきて、元気になれるのです。

ある日、大きくなったマキちゃんは10歳年をとってすこし小さくなったお隣のおばあちゃんと並んで縁側に腰かけてお茶を飲んでいました。
庭先には小さな犬小屋があり、ちょっぴり年をとった茶色の犬がうとうとしています。
「おばあちゃん、おばあちゃんはいっつも私の心の応援団でいてくれたよね。おかげで私は私のこと大好きでいられたんだよ。ありがとう。
私もだれかの心の応援団になれるような大人になれるといいな。」


(ちょっと一言)
私たちは、つらい時やかなしい時、落ち込んだ時など、昔の幸せな思い出や、嬉しかった一言を思い出すことで心が軽くなったり、またがんばっていこうという気持ちがわいてくることがあります。
そのような思い出や、大切なひと言のことを「心の碇(アンカー)」と言います。このお話はその「アンカー」のお話です。違うことばで言えば
「心のよりどころ」といった感じでしょうか。

これは、カウンセリングでも活用されます。カウンセラーがかけたひと言や、その時に分けてもらったちょっとした物(ボールペンでも何でもでもいいのです)を思い出したり、見たりすることで、ネガティブで自己否定的な気持ちに入り込んでしまっている心がまた、元の位置にもどってくるきっかけとすることができます。
心のメンテナンスにぜひ取り入れてみて下さいね。

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