塗料メーカーで働く 第六十九話 仮説
1月23日(土)午前7時頃 休日出社した川緑は 居室の机について これまでに得た実験データを見直していた。
机に広げたデータの中で 分光感度の分析結果に目を止めると 彼は 動きを止めて それの意味することを考えていた。
分光感度のデータは キセノンランプの光を 横軸に波長分散し縦軸に強度分散した矩形の露光面で硬化した面内のインクの硬化状態を分析して得られたものだった。
それは 面内のそれぞれの地点の分析結果を 0から1の間の硬化度に換算したデータで 硬化度を0.05刻みに取り 同じ値の地点を結んだ曲線は人の指紋のような形状をしていた。
彼は 硬化度が0.5の曲線に注目すると その値の意味を考えた。
その曲線は 各波長の光でインクを露光した時に それぞれの波長の光を それぞれの強度で 一定時間だけ露光した時の硬化度が0.5になることを示していた。
その地点では インクを構成する厚み方向の全ての体積素片の硬化度の平均値が 0.5になることを示していた。
川緑は 硬化度が0.5の曲線を解析するための仮説を立てた。
それは インクの硬化には 内在する光重合開始剤が吸収する光に対して 特有な係数 「真の分光感度」が関わっているというものだった。
もしそうなら 硬化度 0.5の地点について その厚み方向にある全ての体積素片の硬化は その係数が掛かる形で示されると考えられた。
それぞれの体積素片について 光重合開始剤の吸収する光の量と 体積素片の位置の影響と 酸素阻害の因子に加えて その係数 「真の分光感度」を硬化の式に盛り込み 得られる硬化度を積算し 平均値を取ると 0.5になるはずだと考えた。
この仮設に基づいて それぞれの光の波長λに対する 「真の分光感度」 K(λ)の計算を始めた。
まず 分光感度のデータを基に それぞれの波長に対する硬化度が0.5となる地点に照射された光の量を求めた。
次に 求めた光の照射量を基に それぞれの地点の厚み方向の全ての体積素片中の光重合開始剤が吸収する光の量を求めた。
また それぞれの体積素片について その位置による硬化性への影響の度合いと 酸素阻害の因子とを求めた。
最後に それぞれの因子を硬化の式に代入し 更に 任意の値 K(λ)を入力し それぞれの体積素片の硬化度を求め 全ての体積素片の数で割った値を求めた。
K(λ)には 1から1000までの正の整数を取り それぞれの数に対応する体積素片の硬化度の平均値を計算し その値が 0.5となった時の K(λ)を 求める K(λ)とした。
数値計算は パソコンで計算ソフトを作成して行い 分光照射実験を行った波長250nmから500nmの間の251の波長について行った。
全ての因子を入力し 計算ソフトを走らせると 1時間程で 251個の K(λ)が算出された。
川緑は 得られた K(λ)を パソコンのモニターにグラフにして表示させた。
横軸に波長λを取り縦軸に K(λ)を取り その中に K(λ)を表示させると そこには 奇妙な曲線が描き出された。
その曲線は 波長310nm付近と波長390nm付近に極大値を持つラクダのこぶのような形をしていて それ以外の波長範囲では0の値を示していた。
「真の分光感度」K(λ)は そのような因子があると仮定して求めた係数だったが 描かれたものは 何か 硬化性の本質に迫るものの様に思われた。
もし 得られた硬化の式を用いた計算結果と 実測値とが一致するなら K(λ)は インクに特有で 普遍的な因子として存在するものかもしれないと思った。