見出し画像

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。〜世間知らずの夢の成就は、屋敷ではなく平民街で〜 第十一話

 元来俺は、他人に従うのが嫌いだ。
 誰も俺たちの人生に責任を負ったりしない。そんな相手の言葉を信じるだなんて、馬鹿がすることである。

 だから別に、あの女の言う事なんて聞かなくていい筈だ。それなのに。

「ったく、変な女。何で一々指図されなきゃならねぇんだよ」

 何故か今俺は、家の前の井戸から水を組み上げては、ノインと交互に体にザバァッとやっている。

 俺だって、別に好きで泥だらけになった訳じゃない。
 どちらにしても早い内に流したくはあったから、別にやりたくない事を無理やり他人の意思に従ってやらされている訳ではない。
 でも、こういうのは何かものすごく調子を崩される。振り回されてる感がすごい。どうにも痒くて落ち着かない。

「そんな事言いながら、結局従ってるわけだけどね、ディーダ」
「テメェもだろうが」
「まぁそうだけど」

 同じく隣でザバァ―ッとやっているノインに言葉を返してやれば、彼の方はサラリと己の現状を肯定する。

 それにしても、本当に意味が分かんねぇ。
 たとえばあいつがマメに掃除しているあの家の中を汚したくないっていうなら、まぁ言い分としては分からなくもない。けど、よりにもよって「俺たちの身の安全が何とか」? 大きなお世話だ。
 というか、俺たちが「こんなのはいつもの事だ」って言ってるんだからそうなんだよ。まるで聞く耳も持たずに、妙な焦り方をしやがって。

「少なくともあの女にとっては、泥だらけは普通じゃないんでしょ。そもそも食べ方とかも妙に上品な感じだし、俺たちとは相いれない環境で育ってきたんだろうし。多分『没落商人の娘』とかでしょ? 本人はまったく言わないけどさ」
「分からねぇぜ? 意外と犯罪者とかかも」

 肩の上からザバァッと水を掛け流しながら冗談交じりに言ってのければ、ノインが片眉を上げて少し俺をバカにしたような声色で聞いてくる。

「ねぇソレ本当に思ってる? もしアレが犯罪者だとしたら、被害者はかなりのポンコツだと思うけど」
「それは、まぁ」

 否定は全くできなかった。

 そもそもあいつは初っ端から変なやつだった。
 俺らみたいにペラッペラな服を着ている訳じゃないのに、何故か全身泥だらけ。生気のない顔をしながら、何故か金はたくさん持っている。
 話し方も、年下の俺たちに向ける感じじゃねぇだろうがアレ。まぁ前にそれを指摘したら「すみません、癖みたいなものなので」って言ってたから、これについては早々直せるようなものじゃないのかもしれないけど。
 これほど貧民街《ここ》で生きていくのが似合わない女も居ないだろう。

 そんなやつがこんな所に住み着いているだけでも意味が分かんねぇのに、今日もアレだ。意味分かんねぇところでまた泣くし、かと思ったら、急に強気になってくるし。
 なんかもう、全然分かんねぇわ、あいつの事。いやまぁ別に、知りたいとかではないけどな!

「未だに一度も名乗らないから、素性もまるで知れないしね」
「別にあいつがどこの誰だろうが関係ねぇ。お前も言ってただろ、俺たちはギブ&テイクの関係だ。それ以上は別にいらねぇ」
「その割にディーダって、他人のこと結構放っておけないよね。この、口だけ人間」
「あぁ?!」
「いやいや、これでも褒めてるんだよ? 目つきも態度も悪いのに、変なところで面倒見がいい。今日のこれだって、知らないガキが虐められてるのを見つけてわざわざ、考えなしに頭から突っ込んでっちゃったせいだしね?」

 からかうような目で言われて、思わずウグッと言葉に詰まった。
 事実なだけに、どうにも言い返す言葉がすぐには出てこない。

「それはその、あれだ。弱い者いじめなんてカッコ悪いだろ」
「だからといって、何もディーダが割って入る必要はないよね? どうせ妙な正義感にでもかられたんでしょ? 『見て見ぬふりも十分弱い者いじめだ』だっけ? あんな昔にバイグルフから言われた事、未だに守っちゃってさぁ」
「それはお前もだろ」
「キミが突っ込んでいったからね」

 仕方がなくだよ、と肩をすくめてみせたノインに、俺は白旗を上げる。
 こいつは無駄に口が達者なのだ。俺じゃいつも太刀打ちできない。思わず下唇だって出る。

「で? 俺らが参戦した事で逆弱い者いじめが発生しちゃった件については、ディーダはどう思ってるわけ?」
「それはあっちの自業自得だ。っていうか、お前だって結局参加しただろうが」
「そりゃぁまぁ、流石にあの人数相手に一人でやらせるのはどうかと思うでしょ」
「そういう所がお人好しってんだよ」
「ボクには一番似合わない言葉だね。でもまぁもしアレがそういう名前のものだとしても、ボクの懐は狭い。発揮する相手はこれでも一応選んでるつもりさ。……と、あー、やっぱりダメだねコレ」

 言いながら、ノインは自分の腹の辺りを見ながら両手でシャツを引っ張ってみせる。

 泥は大方落ちていた。が、ベージュ色の服には泥のシミがくっきりと付いて、汚れる前までには無かったまだら模様ができている。そしてそれは俺も同じだ。

「ねぇこれさ、あの女にまた何か言われるんじゃない?」

 そうかもしれない。
 そもそもあいつは俺たちがいつも通り生活してるだけで、やれ「洗濯していないのですか?!」、やれ「一週間も着っぱなしなんて……」と一々驚いたり落ち込んだり忙しかった。
 その上取れない汚れを服に付けたとなれば、またあの困り顔でオロオロとするに決まっている。

 あー、めんどくせぇ。マジでめんどくせぇ。

「知らねぇよ。ついちまったもんは仕方がねぇだろうが。そもそも服に付いた泥なんて、普通綺麗に取れねぇだろ」
「その普通が、あの女には通用しないって話だよ」

 ノインの懸念は、ちょっと腹が立つくらい一々的確だ。
 つっても、じゃぁどうすりゃいいんだよ。全然分かんねぇ。

「これだけでバイグルフに服の替えを要求するっつうのは、流石に無理だろうしな」

 服と聞いて真っ先に思いつく頼り先はバイグルフだが、服がまだ着れる状態の限り、あいつは「それ着てりゃぁいいだろうが」と一蹴するだろう。

 俺たちみたいなのは、この街で上手く生きていくために幾つかの暗黙のルールを守っている。
 たとえば、人から物をくすねて食べる時は、高いものには手を付けない。安物や傷物、値切り済みのものを狙う事。店を荒らして営業妨害しない事。
 どちらにしろ見つかれば怒られるとしても、これを守るだけでかなり違う。
 具体的には、憲兵を呼ばれずに済む。追いかけるのも早々に諦めてくれる、という感じで、俺たちの生活に密接に関わるルールである。

 バイグルフから服を貰うのは『着るものがなくなった時だけ』というのも、それらのルールの内の一つだ。

 今着てる服は、たしかに今日ので所々破れたものの、これでもまだまだ着られる部類だ。この状態で服の要求をすれば、間違いなく「甘えんな」と言われるだろう。

「そういえば、あの女『泥を落としたらちょっと外で待ってて』とか言ってたね。まだ昼間だし、服乾かさなきゃいけないから、まぁ言われなくても乾くまでは外に居るつもりだったけど」

 そうだったな。って事は、今すぐ苦言を呈される事はない。
 若干の猶予を手に入れて、無意識のうちに安堵のため息が漏れた。住処の庭まで歩いていって、横たえられている太い丸太にドカッと座る。

 足を前に投げ出し、横に手をついた。
 空を見上げてなんとなく「空が青いなぁ」とか「鳥が鳴いているなぁ」とか、そんな事を考える。

 ノインも無言で同じように腰を掛けた。
 お互いに、無理に話すような事はしない。たとえ「服を乾かす」という目的が加わっても、結局いつもの暇つぶしとやること自体は変わりないのだ。

 それから一体どれくらいの時間が流れたのだろう。

 まだ日が落ち始める前、服がまだわずかに生乾きの状態にである頃に、家の扉がガチャリと開き、中から見知った顔が覗いた。

「えーっと……あっ、二人ともちょっとこちらに来てくれませんか?」

 キョロキョロと辺りを見回した彼女が、俺たちに気がついて手招きをしてきた。

 どうせ暇なのだ。呼ばれた理由に興味をそそられた事もあり、とりあえず従ってみる気になった。
 寄ってみると、あいつが何かを持っている。何だ? ……布?

「まだ仮縫いですから、あくまでも形だけですが」

 俺とノインそれぞれに、それを手渡してくる。戸惑い混じりに受け取って試しに広げてみて驚いた。
 布は二枚。薄ベージュのと、赤いのと。隣を見れば、同じように布を広げたノインが居る。こっちのは、薄ベージュのと紺色のだ。

「とりあえず服の体裁は保てていると思いますので、二人ともこちらに着替えてください。今着ているのはちゃんと洗って干しておきますから」

 頭の上からそんな言葉がかけられたが、正直言ってあまり良く聞いていなかった。
 思わず手元を凝視する。
 服、服だ。ちゃんと服の形をしている。

 頭が色々と追いつかない。
 もしかしてさっきの今でもう服を作ったのかよ、とか。これ俺のやつなのかよ、とか。
 俺たちがいない間にこいつはどんな顔をして生地を選んで、どんな事を思いながら縫ったのか、とか。色んな疑問や思考が頭を駆け巡る。

 くれるってんなら貰うけど、ただそれだけだ。別に嬉しくなんてない。
 別に、心の奥からジワリと滲む妙な温かさに戸惑ったりなんてしていないし、名前も分からない感情に無性に胸をギュッと鷲掴まれてどうしていいか分からないなんて、そんな気持ちでも、もちろん無い。

「代わりと言っては何ですが、私が洗濯をしている間に二人で先程の布屋さんに晩御飯の材料を取りにいってきて欲しいのですが……」

 お願いしてもいいですか? そう伺いを立ててくる女は何故かひどく弱気だった。

 俺たちの服の汚れなんて気にしてこんなものを渡してきたりするくせに、さっき俺たちを触って汚れた手を拭った自分の服には、擦り付けたような泥の跡がくっきりと付いている。

 どうせ心配するんなら、まず自分の心配をしろよ。
 ……いやまぁこいつじゃ、言ったところで意味がないかもしれないが。

 はぁ、まったくもう。頭を掻かずにはいられない。
 ホント、何なんだこいつは。

 観念した。
 裾を腹からめくり上げて、服を脱ぐ。

 別に他意なんてない。
 ただ単に、借りを作ったままっていうのも何だかちょっと落ち着かないし、そもそも飯の材料を置き去りにしたのは俺らだし。何より早く飯を食いたい。
 だから仕方がなく、本当に仕方がなくだ。

 慌てた声で「中で着替えてください!」と言われたので、仕方なく住処の中に入った。さっと服にそでを通せば少しだけブカッとしていたが、着るには十分だろう。

 着替えた後、さっきの店までノインと二人無言で向かった。

 店のドアをまたカランカランと鳴らす。
 奥に引っ込んでたバイグルフがまた奥からドスドスと出てきて、俺たちを見て目を丸くした。

「え、お前らそれ、さっき買った布じゃねぇのか……?」
「知らねぇよ」
「気がついたら出来てて『着ろ』って言われたから着ただけだし」

 素っ気なく言いながら、店の入り口に置きっぱなしだった荷物をヨイショと持ちあげる。が、何だかものすごく視線が痛い。

「おいコラ見んなや」
「いやぁだってなぁお前、この短い時間で服一式を二人分って。まだ精々四時間だぞ。それを手縫いで。……あれ、でも布が一色足りねぇな」
「なんか『仮縫い』って、言ってたぞ。何の事かは知らねぇけど」
「このクオリティーで仮縫い……いやでも確かに言われてみれば、所々作りが甘いしサイズ感も……いやでもこの色合い、さっき言ってた通り……」

 バイグルフが、顎に手を当て何やらブツブツブツブツと言い始めた。
 服の良し悪しとか俺にはまったく分かんねぇけど、なんかちょっとムッとする。何がって、ちょっと物欲しそうな目をしてるのが気にくわない。

「これは俺のだからな!」

 睨みつけながら、バイグルフの言葉を突っぱねる。と、あいつは片眉を上げてから、まるで何かに気がついたかのように「取らねぇよ」と言ってきた。
 なんか口元に手の甲を当てながら、面白そうな顔でこっちを見てくる。どう見てもバカにしてきている。
 言い返してやろうかと思ったが、その前にバイグルフが「あ、ちょっと待ってろ」と言って一度店の奥へと引っ込んだ。

 逃げたなあのヤロウ……と思ったんだが、出てきた時の手元を見て、納得する。

「あの嬢ちゃんにちゃんと言っとけ。こんな大金、おいそれと他人に預けるなってな」

 呆れ気味な声と共に差し出されたのは、泥を拭った跡が僅かに残る革袋だ。

 あー、そうだった。あの時はあまりの剣幕に口を挟む余裕が無かったけど、あの女、財布ごと全部この店に置いてきやがったんだ。

 警戒心がガバガバかよ。ったく、帰ったらすぐに説教だ。
 俺はそう心に決めて、革袋をひっつかんだ。

【各話リンク先】
第一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n02b3af7df971
第二話:https://note.com/rich_curlew460/n/nc5a6a501aa1c
第三話:https://note.com/rich_curlew460/n/nf657217e33a7
第四話:https://note.com/rich_curlew460/n/n0bcd36a46767
第五話:https://note.com/rich_curlew460/n/n76ef05998ecb
第六話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1da0c89af729
第七話:https://note.com/rich_curlew460/n/nd2f55ce8792d
第八話:https://note.com/rich_curlew460/n/n5b17d5a00e7f
第九話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1d1b17ac74db
第十話:https://note.com/rich_curlew460/n/n508f3f9cf98a
第十一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n68142bd1a7f9(←Now!!)
第十二話:https://note.com/rich_curlew460/n/n20fe7909dbbb


いいなと思ったら応援しよう!