ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。〜世間知らずの夢の成就は、屋敷ではなく平民街で〜 第十話
手の届かない所にある布は、彼に声をかけ取ってもらった。すると彼に「もう選んだのか?」と驚かれる。
「自分で作ろうって場合、普通はもうちょっと悩むもんなんだがなぁ」
「そうなのですか?」
「まぁ誰だって生地を無駄にはしたくないだろうし。特に色は、ああでもないこうでもないって大体いくつも手に取って悩む」
きっとそれが、彼の経験則という事なのだろう。
そうしたい気持ちは少し分かる。もし自分のための物ならば、私もきっと少なからず色々な布に目移りしてしまっていただろう。
「もしかしたら、二人に似合いそうな色を基準にしたからでしょうか。横に立ってもらって色合わせをしたり、好きな色を聞いたりできればもう少し悩んだと思いますが、あの通り出て行ってしまいましたから」
「俺はこういう店をやってるが、裁縫技術はそれなりに習得できても、色使い云々方面はどうにも苦手みたいでな。そうやってサッと選べるのはある種の才能だ、羨ましいぜ」
「そうでしょうか」
感心したように言われてしまい、少しだけくすぐったい。
が、どんな事であったとしても褒めてもらえるのは嬉しい。「実際に彼らに似合うかどうかは、着てみてもらわないと分からないですが」と言いながらも、必然的に口元は綻ぶ。
糸は生地と同じ色の糸にして、他に針と裁断用のハサミも手に取った。
会計カウンターに持って行けば、ちょうどバイグルフさんが、私がお願いした分の布を裁断すべく手元に手を落としたところだ。
その手元を何と無しに眺めていると、不意に彼がこんな事を言ってきた。
「なぁ、あんた。その……あいつらと、いつまで一緒にいてやるつもりだ?」
「いつまで、ですか……?」
聞き返しながら、彼を見る。
依然として視線を手元に落としたままのバイグルフは、まっさらな布にシャキリとハサミを入れる。
「さっきも言ったが、あんたみたいなのは貴重なんだよ。特に身寄りのない俺達みたいなやつらにとっては。だからその分、記憶にも残る」
シャキリ、シャキリ、シャキリ。布にハサミが入る音が、静かな室内に響く。
まっさらな新雪を踏むかのような作業を丁寧な手つきで行う彼からは、二人と当初話していた時のような粗野な印象はまったく受けない。目の前の手つきはもちろんの事、言葉選びにも私への配慮が見て取れる。
「だから、もし気まぐれの優しさであいつらに関わるんなら、これほど酷な話もない。あんたがたとえ善意でやったとしても、一度人のぬくもりを知ってしまえば知らなかった頃には戻れない」
彼が一体、私に何を言いたいのか。何となく分かったような気がした。
彼は、暗に私に「責任を取る気が無いのなら、あんまり世話を焼いてくれるな」と言っているのだろう。それはある種、私に対する拒絶である。
しかし私は、彼の言葉を嬉しく思った。
「よかった。あの子たちにはちゃんと、心配して、見守ってくれる人たちがいるのですね」
少しだけ、二人の事を羨ましく思った。
自分を気にかけてくれる存在がどれだけ尊いものか。その存在に血の濃さなんて全く関係ない事を、私はとてもよく知っている。
それでも彼らに嫉妬する気にはならないのは、きっと目の前の彼のように私もまた、少なからず二人を知っているからだろう。
私も、彼らを少しでも守りたい。少なくとも、彼らを傷つけたくはない。
それはきっと、目の前の彼と共有できる気持ちの筈だ。
「……分かっています。彼らが私を拒絶しない限り、私が自ら彼らの元を去ることはありません」
二人から「居てもいい」と言われたあの夜から、今初めて二人と離れる事について考えた。そして自覚する。
私は過去に人のぬくもりを悉く失った。しかし今、二人と一緒に居て過去のぬくもりとよく似た何かを、この胸に抱くようになっている。
言われるまでもない。私自身が、彼らと離れがたく思っている。
先程彼が言った通り、一度知ってしまったら知る前には戻れない。それは私にも言える事だ。
私の場合、特に一度無くしている。であれば猶の事、せっかく再び巡り合えた手の中のものを、私はもう手放せない。
依存ではない、と思う。
依存にはしたくない、と思う。
だからこそ、彼らが私を何かと気遣ってくれるように、私もまた彼らに何かを返していきたい。
ノインの言葉を借りるのならば、ギブ&テイクだ。
まぁ私が彼らにできる事なんて、精々が服を作ったり自炊や掃除をする事くらいの事だけれど。
「……そうか。すまん。その、妙な事を勘ぐったみたいだな」
「いえそんな。貴方のような方が二人の側に居てくれる事は、喜ばしい事です。貴方の言葉には確かに二人への愛が感じられます」
彼の謝罪に、思わず笑ってしまいながら言葉を返す。すると、せっかく私の方に上げてくれた顔がフイッと逸らしてしまった。
「な、何なんだ、あんたは。調子狂う」
顔は見えなくなってしまったが、見えている耳はほんのりと赤い。どうやら彼もまた、あまり二人の不器用さを言えないタイプの人なのだろう。
思わずクスクスと笑ってしまうと、彼は罰が悪そうにポリポリと額を指で掻いた。
と、その時だ。
「ったくアイツら、こんなに泥ぶつけやがって」
「何言ってんの、ディーダだってこの数倍ぶつけてたでしょ。お陰で相手は泥まみれ。っていうかさぁ、巻き込まれただけのボクに対する謝罪は無いわけ?」
「お前だって、途中から喜々としてやり返してたろ」
バイグルフさんが「何だぁ?」と、騒がしさに片眉を上げた。
やいやいと、悪態をつき合う少年たちの声が外から近づいてくる。
しかし謎はすぐに解ける。
「しかも、あんな泥溜めに突き落とすとか。お前の方が俺よりよっぽど鬼畜だわ」
「あそこまで全身くまなく泥だらけになれば、汚れてる場所とかもう気にならなくなるでしょ。温情だよ、温情。それにディーダだって、あれ見てちょっとスカッとしたでしょ?」
扉が開き、カランカランとドアベルが鳴ったのと、二人の姿が見えたのが同時。そして私が思わず目を剥いたのもその時だった。
「それはまぁ――」
「どっ、どうしたんですかっ二人とも!」
ビックリしたような顔で二人が私を見てくるけれど、ビックリしたのは私の方だ。
二人は全身泥だらけ。しかも、服が所々破れている。
どうしてそんな事になったのかとか、どうして平然としているのかとか、そんな事はどうでもよかった。
もしかしたら、ケガをしているかもしれない。そう考えるに相応しい惨状を前に、心臓がドクリと嫌な音を立てる。
バイグルフさんは「おいコラ入るな、泥が上がる」と悠長な様子で言ったけれど、何故そんなに平然としているのか。淑女としての振る舞いも忘れ、私は大股で二人に駆け寄った。
「二人とも、痛いところは?!」
彼らの事だ、たとえ怪我をしていてもちょっとしたことなら申告しない可能性が高い。言葉で聞くよりも自分で確認する方が確実だと、辛うじて冷静さを残していた思考の一部が私にそう判断させた。
近かった方――ディーダの両肩に手を置いて、服の上から腕、お腹周りに足と順に、ペタペタと触って怪我の有無を確認する。
「は? って、ちょっ、止めろコノヤロ! そもそも別にこのくらい、いつもの事で――」
「もしばい菌が入ったらどうするんですかっ!」
「いやいやお前、あんまり慌てるから俺らの泥が服に跳ねてるし――」
「そんな事より身の安全です!!」
まずは、痛がる様子を見せないディーダにひと安心。
しかし、問題児はもう一人居る。ノインも逃がすつもりはない。彼が私から逃げるより早く、同じようにペタペタと全身チェックしていく。
「ボクも別に怪我は無いし」
ノインは、ディーダのように声を荒げたりはしなかったけれど、抗議はきちんとするらしい。
しかし全く説得力というものがない。呆れ交じりのその顔にしっかり泥を飛ばしている程のやんちゃぶりなのだから、彼もディーダと同様に信用には値しない。
「っていうか、地味にくすぐったいから触らないで欲しいんだけど」
「そんな事より身の安全です!」
ディーダの時と同じ言葉で彼の要求を跳ねのけて、私は私の中の優先順位に従う。
彼を睨んでみせたのなんて、きっと今日が初めてだ。その勢いに驚いたのか、頑なさに呆れたのか。大人しくなってくれたので良しだ。
とりあえず二人に異常が無さそうだと分かったのは、それからすぐの事だった。迷惑顔のまま痛みに反応しなかった彼に、ほんの一瞬ホッとする。
が、もちろん安心はできない。
「もしかしたら小さな傷から泥が入って、化膿するかもしれません! 店主さん!」
「お、おぉ」
「その品物、全て買います! お会計は、とりあえずこれで。足りなければ後で必ず清算しに来ますから」
レジにつかつかと歩きながら、懐を探り革袋を取り出した。手についていた泥で服も革袋も汚れたけれど、今は気にする時間さえ惜しい。
革袋を少し乱暴にカウンターへと置けば、ジャラリと鈍い音が鳴った。
バイグルフさんが戸惑いの表情で「お、おい」と私を呼び止めてくるけれど、もちろん聞いている暇は無い。
一刻も早く家に帰って、彼らの泥を落とさなければならない。
「ではすみません、急ぎますので!」
ちょうど購入した品物たちは、彼の手によって紙袋に詰められていた。
布たちが汚れないように手をスカートの裾で拭いてから抱え、再び店内を、今度は出口に向かって歩き出す。
この子達に、もし何かあったらどうしよう。
困惑の表情のまま出入り口に立ちっぱなしの二人を視界に収めた瞬間、視界が涙でにじみ始めた。
まるで自身を脅かされているかのようだ。突如として沸いた不安を振り払うように速足で二人の間を通り抜け、扉を開けて後ろに言う。
「行きますよ二人とも、ほら早く!」
「あ、あぁ……」
「うん……」
私の言葉に促されるままに、二人は返事を返してくれた。困惑しながらも私の後ろを黙ってついて来てくれたのは、正直言って助かった。
なんせ今私は、両手に二人の着替えを作るための大切な布や道具を抱えているのである。二人を引っ張って帰るには、二本ほど手が足りなかった。
【各話リンク先】
第一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n02b3af7df971
第二話:https://note.com/rich_curlew460/n/nc5a6a501aa1c
第三話:https://note.com/rich_curlew460/n/nf657217e33a7
第四話:https://note.com/rich_curlew460/n/n0bcd36a46767
第五話:https://note.com/rich_curlew460/n/n76ef05998ecb
第六話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1da0c89af729
第七話:https://note.com/rich_curlew460/n/nd2f55ce8792d
第八話:https://note.com/rich_curlew460/n/n5b17d5a00e7f
第九話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1d1b17ac74db
第十話:https://note.com/rich_curlew460/n/n508f3f9cf98a(←Now!!)
第十一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n68142bd1a7f9