逆風の時
人生には順風の時もあれば、逆風の時もある。
順風である時は、ただ単に風に任せて、順風であることに感謝して、幸福が長く続くことを願っていればいいだろうが、逆風の時は感謝を忘れ、世間や神を恨み、身の不幸を嘆いてもがいているばかりだ。
必然的に愚痴っぽくなり、怒り易くなる。
公と不幸がかわりばんこにやってくるなら不幸は軽減されるだろうが、不幸ばかりが何年も何十年も続くことがある。
逆風になると日々の小さな出来事さえ憎らしく、それに呼応するように皮肉なこと不条理なことが実際にも起こって、心の持ち様だけでは単純に解決するものでもない。
一旦、逆風になるとなかなか抜け出せず、自分だけで解決することも難しいような問題も起こる。
日々の小さな問題を少しづつ片付けていって、新たな希望の種を未来へ向けて蒔いておくことも必要になる。
その種が芽吹かなくても、一時的な希望であっても、逆風の中の一時的な癒しになってくれる。
問題を先送りせずに一日一日を丁寧に少しづつ解決の道を探り、大きな夢を持ちながらも小さな目標に一歩づつ歩を進めていくことがいいだろう。
逆風が急に収まると思わずに、長いスパンで考えて日々を暮らしていくことが大切だと思う。
急がば回れの精神で、すぐに結果を求めず、逆風の中で焦りや怒りがあるだろうが、逆風を急には収まらず、凪のと共にに収まるものと考えた方がいい。
心構えに救いを求める気持ちも分かるが、心構えではなく日々の行為の中に答えがあると思った方がいい。
思っているだけ祈っているだけでは現状は変化しない。
思っていることを外に出すことによって、現状は変わってくる。
だから、一度だけのトライで諦めず、何度も何十度もトライを重ねるだけの挫けない心を持っていなければならない。
押しても駄目なら引いてみな、それでも駄目なら角度を変えたり強弱を変えたり、何度も同じ行為だけではなく変化をつけながらたらいすればいい。
人の人生はこの世の時間の過渡期にあるので、結果に満足せずに過程に喜びを感じることが大切だと思う。