昭和の小学校4
兄の同級生には指とか欠損している子が何人もいたそうだ。
そのころのうちの地域では
家で小さな工場を営んでいる家庭が多く、
今と違い安全装置もほとんどない機械や道具などで
家の手伝い中や親のいない時に工場に入り込んで
事故に会う子も多かったらしい。
私のクラスには
巨漢の子や(みんなの体重が20キロ台のなか一人だけ40キロ超えていた)
お風呂にずっと入らない子や、
よくお漏らしする子はいた。
お風呂に入らない子はそばにいるとすごく臭うばかりか
鉛筆とか、消しゴムも持っていないことが多く
席が隣になると、毎日毎日
「鉛筆かして」「消しゴムかして」というので嫌だった。
貸すのが嫌だったのではなく、
その子が触るとすぐに匂いが移るのが嫌だったのだ
貸したものはすぐに返してくれるので問題はないが
鉛筆とかは1時間くらい、消しゴムに至っては
その子が触ったところから、一日中臭い匂いがするので本当に嫌だった。
その子の指はうっすら土が全体にまぶされている感じで
返ってきた鉛筆や消しゴムの触った場所がわかるくらい臭かった。
だが、「貸して」とねだるその子は
性格はよく明るく笑う子で、毎回ちゃんと「貸して」と言い
使用後はすぐに「ありがとう」と言って返す子だったので
文句も嫌ということもできず、本当に本当に嫌で
毎日毎日毎月の席替えの日を心待ちにしていた。
(当時うちの学校では毎月の席替えが恒例になっていた)