『日蓮宗』と『日蓮正宗』 ②「唯受一人血脈相承」

先の①「日蓮本仏論」との関わりについてで「日蓮本仏論はカルトの温床」と述べたが、日蓮正宗の教義には、この日蓮本仏論をベースにしていることに加えて、もう一つ見逃せない問題がある。

日蓮聖人が生前書き残した、とする二通の書を根拠にして、「日蓮正宗だけが宗祖以来の法灯を継承している、唯一正統な宗派である」と主張していることである。

その二通の書は、「二箇相承」と呼ばれるもので、簡単に言うと、

一、日蓮聖人の直弟子のうち、日興上人を自身の後継者として定めた旨を記したもの
二、日興上人を身延山久遠寺の貫首として指名したことを明記したもの

のことを指す。

上記一、二で言うところの日興上人とは、日蓮聖人が晩年に定めた本弟子6人(「六老僧」)の中の一人であり、後の日蓮正宗を含めた日興門流、富士門流の派祖のこと。

日蓮聖人亡き後、遺志を継ぐ教団は、この六老僧を中心として、布教活動と教線の拡大に励んでいたが、信仰上の問題に端を発した諍いを契機に、日興上人は、他の五人と袂を分かち、志を供にする弟子達を引き連れて、宗祖の祖廟がある身延を去った。

その身延は、国家諫暁を断念した日蓮聖人が新たな信仰活動の拠点とした場所であり、今は「日蓮宗」の総本山(久遠寺)となっている。

つまり、日蓮正宗側から見れば、今の「日蓮宗」は、(正統後継者である)日興上人と関係を絶たれた五老僧の系譜であり、宗祖の聖地を、その資格も無いのに不当に占拠している宗派、ということになる。

これが、日蓮正宗が「日蓮宗」を「邪宗」呼ばわりする理由の一つにもなっている。

この、「日興上人こそ、ただ一人宗祖の法灯(血脈)を継ぐものであり(「唯受一人血脈相承」)、日興上人からの法灯を守り繋いで来た我が宗門こそが、唯一正統な宗派」という主張は、先の「日蓮本仏論」とセットになっていて、言わば車の両輪のように、日蓮正宗の根幹をなすものとなっている。

だが、この主張は、「日蓮本仏論」に負けず劣らず、多くの問題を抱えている。

まず、日蓮聖人が、晩年に6人の本弟子を自身の後継者として選出したのは、確認できる事実である。ゆえに「日興上人だけを唯一の後継者として任命した」という主張は、その歴史的な事実と符合しない。

また、日興上人こそが優先的な正統後継者であり、身延久遠寺の貫首として任命されたのであれば、その身延の地を去らなければならなかったのは何故なのか、という疑問が残る。

更には、日興上人真筆の裏付けがある書物に「日蓮本仏論」の視点が明記されているものは確認されていない(つまり、日興上人が生前、宗祖を「本仏」として拝していた、ということを裏付ける真筆残存の資料は存在していない)

加えて、日興上人の門流は、日興上人亡き後に、分派を繰り返している。日蓮正宗は、その分派した諸宗派の中の一派に過ぎない。日興門流=日蓮正宗で無いのである。日興上人こそが唯一正統な後継者、と仮定した所で、ではその日興上人の法灯を正しく継いでいる宗派は何処なのか、という問題は依然として残存する。

何よりも致命的なのは、この「唯受一人血脈相承」の根拠である二つの書は、真筆の裏付けが無い。

このことについて、正宗側では、「かつては真筆も存在していたが、ある時期に賊が押し入り、強奪された」と説明している。いずれにしても、本人直筆のサインが入った「遺言状」は、現在この世に存在しない、ということである。

ただし、写本は存在しており、正宗や創価系の出版社から刊行されている御書全集等に収録されているので、外部の人間が目に触れられる形になっている。見れば判るが、片方の書は日付が空白になっている。

直筆のサインや実印の無い遺言状などは、そもそもからして無効であろうが、複写物には日付が記載されて無いという。これについては、当初は日付が記載されていたのであるが、外部からその矛盾を指摘され日付を伏せ字にしたという指摘もある。

……以上述べてきた通り、数多くの問題を抱えている主張なのである。

実のところ、日興上人の姿勢……断腸の思いで宗祖の聖地を去ってまでして自身の信念を貫こうとした、その姿勢自体に対しては、正宗系ではない「日蓮宗」でも、少なからずシンパシーを覚える人もいるようである。

ただし、発端となった信仰上の問題については、今でも意見が分かれるところであり、容易に白黒付けられる問題ではない。

ここで言う信仰上の問題とは、神祇の拝不拝を巡るもの。宗門に身延の地を寄進した信徒の波木井実長は、日蓮聖人亡き後も、神社参拝を継続しており、その行為を問題視する日興上人と激しく対立することとなった。
(六老僧の一人であり、波木井氏と懇意だった日向上人は、波木井氏を支持。結果的には他の六老僧も波木井・日向側を支持する形となる)

神社参拝や神祇への信仰は、「法華専修」を旨とする宗祖の意に背くもの、というのが日興上人の立場であった。だが日蓮聖人自身が神祇そのものの不拝を主張していたかどうかについては、現代でも意見の分かれる問題である。

布教先の地に根付いた土着の神々については、仏教の側から見ると、正法を守護する守護神として位置付けられる。確かに仏教徒の立場からすれば、信仰の根本的な拠り処である釈迦牟尼如来を頭越しにして、神祇への祈願を優先させるのであれば、その行為は戒められるのは事実であるが、神祇への祈願そのものが仏への不敬に当たる、と考えるのはどうであろうか。少なくとも、神祇への祈願という行為それ自体について、無条件に誡められるものなのか、条件次第で許容されるものなのか、日蓮聖人の真筆の裏付けある遺文からその結論を導き出す試みを現時点で成功させた者はいない。

有り体に言ってしまえば、この問題に決着を付けることはほぼ不可能ではないかと思われる。

敢えて言うなら、日興上人と他の五老僧の系譜である宗派がその後、どういう道を辿っていったのか、その行状を鑑みて、どちらの言い分により誠実性が認められるか、どちらの言い分に理があったのかを、各人が判断するより他は無いであろう。

逆に言えば、自らの行状を正す不断の努力こそが、他者を納得させる為に門下が取り得る唯一の手段であったと言うことでもある。

日蓮正宗では、神祇の拝・神社参拝は固く禁じられている。神祇に限らず、日蓮正宗以外の宗教団体や宗教的施設に接近すること自体が戒められている。それが日興上人以来の法灯を守ることであり、正宗なりの、自身の行状を正していく行為と言うことなのかもしれない。

しかしながら、自宗の教義に関して言えば、誠実で緻密なロジックを積み重ねて客観性を担保する道を放棄し、一次資料に決して成り得ない、出自の怪しげな書を持ち出して、自宗の正当性を主張する道を選択してしまった。

自身の正当性の根拠を、既にこの世には存在していない遺言状のようなもの託すのであれば、真実性を永遠に立証出来ない反面、虚偽であることも永遠に立証されずに済む。そういう世界に逃げ込んでしまった訳である。

そういう宗派が、自宗以外の宗教団体を「邪宗」と呼び、「折伏」の対象とする。自宗の熱心な信徒に、その「折伏」を働きかける。それは、何を意味するであろうか。

常に他者に対して臨戦態勢にありながら、他者を永遠に認めない。他者と融通していく道を未来永劫閉ざしてしまう。

創価学会や顕正会のような宗教団体がこの宗派から生まれ出たのは、決して偶然ではないように思えてならない。

(因みに、創価や顕正会は、正宗と袂を分かった現在でも、「日興上人の主張支持・波木井氏及び五老僧は邪義」の見解は撤回していない。)

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