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わたしとstay gold

こんにちは、らっくすとーんです。
突然ですが、Xのフォロワーの皆様はご存じのようにわたしのももクロでの最推し曲はstay goldです。
LUCKSTONEといえばstay gold、stay goldといえばLUCKSTONE、と自分で勝手に自分の代名詞にしています。
これまでのnoteやXでの投稿の中でもわたしはstay goldに対する熱い想いを伝えてきました。

でもわたしはもっと欲張りたい。もっと大きな声で主張したい。

15年の歴史の中で数多あるももクロの曲の中で、なぜこの曲がいちモノノフの中でのNo. 1なのか。
それを例えばこないだの15曲を紹介するnoteの中で100%出し切ることは不可能でした。
できれば15曲平等に語りたい。でも基準をstay goldにすると何万文字あっても足りやしない。
なので今回はstay goldに出会うまでのこと、出会った後のことを余すことなく語り尽くしていこうと思います。
そしてそれはわたしが他界しかけていたところから、一気にももクロワールドに引き戻された理由を紐解いていくことにもなります。

できるだけ多くのモノノフの皆様にこの記事が読まれることを願っていますし、モノノフじゃない人にも届けば儲けもんだと思っています。
でも、この記事を1番読んでほしいのは
「今、ももクロへの気持ちが切れかけているそこのあなた」なのです。
最近、平和だったももクロ界隈には珍しく殺伐とした空気が漂っています。
これまでの15年で開かれなかった新たな扉が堰を切ったようにバンバン開かれ始め、そしてそれにモノノフひとりひとりで思うことは全く異なります。
互いの意見が衝突し合う中で、その衝突や諍いに疲弊したり、
あるいはももクロに起こった「パルプンテ」についていけなかったりして、ももクロを推すモチベーションが下がっている…という人は少なくないと思います。
わたしも一時期モチベを落とした立場なので気持ちは大いに理解できます。
わたしたちは皆決して神様にはなれません。自分にとって快くないことが起これば、気持ちが落ちていくのは人間である以上仕方ないと思います。
それでも、こんなわたしだからこそ、失意の中にある同志に伝えたいことがあるのです。
熱意は必ず誰かに伝播する、そう信じて…

stay goldに出会うまで

わたしがももクロの沼にハマったのは2015年初頭でした。
そこからおよそ3年、楽しいことも辛いこともありましたが、わたしの中学・高校人生は常にももクロと結びついていました。
当時絶賛片思い中だったわたしは「走れ!」や「白い風」を聴いて、ひとりでいる時にはその思いに浸っていました。
力が欲しい時はDNA狂詩曲や勝手に君にを聴いていました。
そして時には灰ダイや白金の夜明けを聴いて感傷に浸ることもありました。
今だってそうなんですが、わたしにとって「ももクロ=青春」でした。
そんな熱い想いも冷め、ヒビが入った時があったのです。

そもそも、2017年の秋頃からわたしは別のアイドルグループに目移りするようになっていました。
以前のnoteやXの投稿でも少し話していますが、Berryz工房や°C-ute、カントリーガールズといったハロプロアイドルの方に少しずつ気が向き始めていました。
それでも多少はももクロの情報も追いかけていましたが、年を越した直後にわたしと多くのモノノフの心を折るイベントが待ち構えていました。
杏果の脱退発表です。
5年以上経った今でもたまに思い出す感情なのですが、色々な事情があったことを勘案しても、10周年を目前に、しかも発表から脱退までがあまりにも一瞬の出来事すぎて、これほど界隈にとって残酷な仕打ちがあるのか…と絶望しました。
そして脱退ライブもまあそれはそれは後味の悪いものでした。
杏果の自己肯定感の低さは元からうっすらと感じていましたが、最後の最後にその自己肯定感の低さが最悪の形で引き出されてしまった画を見てなんともやるせない気持ちになったのを今でも覚えています。
そらね、あんな太陽みたいな夏菜子ちゃんでも憔悴しますわ。
自分の望みとは裏腹に杏果は去り、その去り際に「わたしはいない方がいい」みたいなこと言われたらどんな鉄メンタルでも砕け散りますよ。
そして、夏菜子ちゃん以上にわたしの心もポッキリと折れてしまいました。

しかもまた運の悪いことに、わたしはここから地獄の受験期に突入していきます。
実はわたしはここまでに人生で、センター試験まで自力で受験を乗り切ったことはありませんでした。
受験らしい受験は小学校受験と大学受験、これっきりです。
おまけに高校3年生の5月まで週5で部活をするという、医学部受験をなめ腐っているともとられかねないムーブをしていた自分にとって、医学部受験はとてつもないハンデを背負った状態からのスタートでした。
あの時は文字通り日常のほとんど全てを勉強に捧げていました。
朝起きて朝食を済ませればすぐ予備校に赴き、夜中の22時まで講座受講や問題演習、模試があればその復習と「できることは全部やる」生活を過ごしていました。
もっともそれでも一度は受験に失敗して、なかば「妥協策」として故郷を離れざるを得なかったですし、医学部に実際に入ったら、わたしの何倍もの時間を受験に費やした人たちにたくさん出会いました。大学受験とは本当に残酷な概念だ思います。
もちろんささやかな息抜きもしていましたが、それもそれで、既に完成されており、既に見聞きしたことのあるコンテンツに触れるだけのルーチンと化していました。
これだけ切り詰めた生活の中で、ももクロの新しい情報を追う精神的な余裕は当然なかったです。

わたしが帰省するたびに訪れる大阪・京橋のバー「全力少女」のマスターがある時こんなことを言っていました。
「本当に心が沈んでいる人にももクロは刺さらない」
本当に言い得て妙だなあと思いました。
ももクロって基本的にはとてもポジティブな概念で、常に未来を見据えている色が強いですが、すべてのモノノフがいつだって前を向けるわけではありません。
前を「向けない」、ポジティブな気持ちに「なれない」人たちにとって、時にその前向きさ、明るさが「重圧」となってしまうこともあると思います。
わたしが思う、常に未来志向のももクロの唯一にして最大の弱点は
「その前向きさゆえに一度置いてけぼりをくらったオタクにはリカバリーがとても難しい」
ことです。
置いてけぼりをくらうシチュエーションは千差万別です。
極めて個人的な危機に直面してその対処に精一杯だったり、あるいはどこかでももクロの指針との噛み合わなさを感じてしまったり…。
わたしの場合、受験という人生の一大事と、ももクロの方向性とのすれ違いが運悪く同時に降り掛かってきたがために、ある時とうとうついていけなくなりました。
誤解を恐れずに言うと、その虚さを紛らわすために、また受験以外に割くリソースが極端に少なくなった自分の戯れのためには、ももクロの情報を追うよりも、コンテンツとして既に時が止まっているBerryz工房を見ている方が遥かに楽でした。

そうして受験期は過ぎ去りましたが、次は新天地での生活が待ち構えていました。
宮崎には本当に縁もゆかりもありませんでした。予備校で提示されたいくつかの受験校の案の中に、たまたま得意教科だけで勝負できる大学があり、それが宮崎だったというだけの話です。
それゆえ、宮崎には当然知り合いなど誰一人いませんでした。文字通り裸一貫、ゼロからのスタートでした。
ゼロから人間関係を築くこと、そして親元を離れ金銭面以外は自立した生活を成立させることには、受験以上のエネルギーが必要でした。
それゆえ大学に入った当時はももクロどころかさしたる趣味も持たず、惰性でハロプロの見たことのある動画を永遠に見たり、あるいはスマホ片手にキャンパス内を彷徨ってポケモンを狩ったりして時間を過ごしていました。
心のどこかに虚無を飼っている自分自身を欺くために、大して美味くもないジャンクフードを食べ漁ったりもしました。
受験期を終えて体重は減るどころか5kg以上増えました。
この怠惰な習慣の後遺症は大変重いもので、標準的な体型を手に入れるまでに3年半も費やしました。
ももクロ熱が再燃する前に、暇な時何をしてたかあまり記憶がないんです。
きっとそれだけ無為な時間を過ごしていたのでしょう。
大学1年生の冬までは…。

そして、「最推し曲」と出会う

はい、ここからが本題です。
前振りが死ぬほど冗長なのが、物書きとしてよくないところだと分かってはいるんですけどね…つい楽しくなって色々書いちゃうんですよ…。

とまあ、前章の通りほぼ完全にももクロと離れた生活を過ごしていた大学1年生の冬に、突如として転機が訪れます。

わたしも実際に医学部に入るまで想像していなかった世界ですが、医学部はまさに「部活社会」です。
コミュニティの狭い田舎の中でもさらにコミュニティが狭い医学部という空間の中で「どの部活に所属するか」ということの持つ意味は絶大です。
実習で班が一緒になったり、たまたま出席番号が近かったりというケースを除いて、医学部における人間関係の大半は部活を基軸に築かれていきます。
部活の違う友人もできはしますが、その出会いも新歓だったりするので本当に部活で色々左右されます。
つまり何が言いたいかというと、
部活での人間関係の運用を間違えると医学部での生活は一瞬で地獄と化す
ということです。
大学1年生の冬、わたしの所属する部活で、学年の枠を超えた大きな人間トラブルが起こりました。
関係する方々の名誉のため、ここではそのトラブルの詳細まで書くことはしませんが、本当に部にとって一大事であり、多くの部員がそれが原因で部活を去りました。そして、トラブルがあったという悪評はその数年にわたって新歓などに影響を及ぼすものでした。現在は復興しましたが、一時期はあわや廃部、という重い空気が漂っていました。
そのようなトラブルでは往々にして、集団の分裂と相反する2つの派閥の思想が衝突することで起こっていきます。
わたしたちも例外なくそのような流れに巻き込まれ、部活という小さな社会で対立構造が生じました。
わたしはその対立構造にまさに板挟みとなったのです。
わたしは共に部活に入った同期と考えを違えることになり、そこでの衝突に悩まされていました。
(誤解なきよう弁明しておくと、今はその同級生たちとは和解し、その後もさまざまな困難を共に乗り越えてきました。)
赤の他人ならいざ知らず、自分の前に対立している相手として存在しているのは、これからも大切にしなければならない同級生で、でもそんな同級生の考えには首を縦に振りかねる…
この状況で次第に自分が正しいという自信を削がれつつある、そんな時にstay goldを初めて聴いたのです。

Why did you cheat?さえ聞けなかった
笑顔の裏影潜んでた
昨日の仲間が敵に変わる Nowadays
見極めるには痛みが伴うんだ Fate

昨日まで仲間だと思っていた人たちとある日突然立場を違えるは、まさにこの状況。
そして、このトラブルの渦中にも結局誰が本当にこれからも自分と共に歩んでいけるのかは見極められませんでした。
自分も、周りの人たちもあまりにも多くの代償を払ったにも関わらず。
そして、「見極めるには痛みが伴う」ことはこれ以降もたくさん人間関係の上で発生しました。
本当の意味で自分の仲間と呼べる存在に出会うには、自分のことを大切にしてくれない人を判別するには、必ずと言っていいほど心が痛くなる経験が必要ですし、あまりにしんどすぎて全部放棄してしまいたいとさえ思うこともありました。

stay gold 君は間違ってなんかない
乱れたこの時代 生きろ生きろ
stay gold 君を諦めるんじゃない
微かに残った希望 今解き放とう
思うままにゆけ

まるで自分の今の状況を全て見透かされているかのようなAメロに続けてこのサビですよ。
このサビの歌詞が当時、そしてそれ以降の苦しい時間においてどれほど励みになったか。
「君は間違ってなんかいない」「君を諦めるんじゃない」というストレートな言葉が一番当時の僕には必要だった。それをくれたのはももクロでした。
この曲がリリースされて数ヶ月後、コロナウイルスの流行が始まり、世界が色んな意味においてまさに混沌とし始めました。その混沌は今も収束するどころかさらに拡大するばかりです。「乱れたこの時代」とは本当によく言ったものです。
でも「乱れたこの時代」でもももクロから貰ったこの言葉たちと勇気を忘れさえしなければ、わたしは自分を貫いて生きていける気がするんです。
最後のサビでも同じ歌詞が繰り返されますが、この時に歌割りの順番が最初と真逆なのも聴覚的にとても訴えるものがありました。
こうなることで、4人全員に背中を押してもらっている感がより強く感じられます。
わたしは人として誰を尊敬するかと訊かれたら「ももいろクローバーZの佐々木彩夏さん(とMリーガーの小林剛さん)」と答えます。
そんなあーりんに「君を諦めるんじゃない」と言ってもらえることがどれほど力になるか。

正直者が泣きを見る世界 疼く傷跡
何度負けても痛みを信じて smile again


この世の不条理への哀愁が漂う歌詞に、共感が止まりません。
本当にね、真っ直ぐ生きている人間ほどこの世界では損をするし、曲がった生き方やcheatを選んだ人が分不相応な得をするようになっているんですわ。
それでも、「心の奥の正義に忠誠を誓って」生きることをいつまでも忘れないでいたい、逃げ傷ではなく自分の正義のために負った傷で胸を張っていたいとこの歌詞を聴く度に思います。

Take a chance 奇跡よりも軌跡を
まだ見ぬ楽園を探せ 探せ
Take a chance 遥か先を描いてけ
あのとき願った未来 まだ遅くはない

このサビを初めて聴いた時、真っ先に思い出されたのは高校の部活でした。
高校で所属していた部活はまさに自分がずっと願い続けていたものでした。心を通じ合わせて艱難辛苦を共に乗り越えた同級生、自分の指標となった先輩たち、そして時に不甲斐ない自分を心の底から慕ってくれた後輩たち、そんな人たちに囲まれていた日々はわたしにとってかけがえのない心の財産です。
高校の部活の同期とは卒業後4年半経った今でもたまに飲みに行ったりします。これほどの存在に人生であと何回出会えるでしょう。
でもここで決して折れてはならない、自分が願い続けた世界を掴み取るまで膝をつくことは許されない、いつまででも、今ここにある関係の最善の収束点を、そして自分にとって最も望ましい結果を求め続けよう
ここまでstay goldを聴いた自分に決心が生まれました。

誰かを頼る自分にトドメさせ 明日を撃て

…そう、他の誰かに任せていては決して自分に望むものは得られないんですよ。だから決してここで心を折れたままにしておけない。
何度壁に直面しようが自分が動かなければ決して良い未来にはならない、立ち上がる理由はそれだけでいいんです。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん。
stay goldは聴覚的にも視覚的にも自分を奮い立たせてくれるものでした。
「自分のドッペルゲンガー(=弱い自分、打破しなければいけない自分の弱さ)と立ち向かい、超克を成し遂げる」という歌詞にマッチした物語が展開されており、自分もまた、「自分を貫けない、信じられない」自分の弱さに打ち勝つ必要があると感じさせられました。
見たままのビジュアル以上に、美しい映像だと思います。

個人的にあーりんの裏拳が好きすぎる

全てを見終えた時、現状で足掻く覚悟が決まったのと同時に、およそ一年半、心の隅に追いやられていた感情がついに息を吹き返しました。

そうだ、俺はモノノフなんだ。
思い返せば、神戸にいた時心を支えてくれたのはももクロだった。
そしてももクロにこれからも支えられることがおそらく自分のアイデンティティなのだ。

「ももクロ」に還ろう。

希望

もともとアイドルを推す、なんて性分じゃなかった自分が、ももクロだけはクリティカルヒットだった理由、「結婚」を通してアイドルの常識をまるっとひっくり返されても気持ちが変わることがなかった理由はもしかしたら
ももクロは自分にとって「希望の象徴」だからなのかもしれません。
象徴は象徴のままでいいから、7年在宅でもこの気持ちを切らさないでいれるのかなって思います。
きっとももクロ側にはわたしのことは1ミリ認知されていないでしょう。ももクロにとってわたしは有象無象の1人、でもわたしにとってももクロは「希望」の概念を人間化したに等しい存在だからそれでいいんです。
stay gold以外にも希望や勇気をもらったももクロの曲はたくさんあります。コントラ、DNA狂詩曲、一味同心、白い風などなど…。
そして1番大事な場面で希望を与えてくれた曲がstay goldだから、最推し曲になったのでしょう。
事実、人生の正念場でこの曲に何度も力をもらってきました。人間関係で苦悩した夜、試験の日の朝にはとても力になりました。
この曲に出会わなければきっとわたしの人生はまるで違ったものになっていたでしょう。
もしかしたら人間関係に押しつぶされて腐って燻ったままだったかもしれません。
少なくとも一国立大学の医学部の主席なんて到底不可能だったと思います。
そしてこれからも、きっとstay goldに、ももクロに心を救われ続けるんです。

3分半の楽曲込められた想いを7000字超の文章におこせるなんて我ながら驚いてます笑
この熱量がなるべく多くのオタクに伝わりますように。

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