将来なりたいもの
私は 義母 夫 息子と同居
近所の 内科(ペインクリニック も含む)で看護師として働いております
看護師のお仕事
かかわっている 方々はどう思われているかはわからないけれど
私は このお仕事にかかわることができて
よかった!
自分ながら よく 資格を取れて
続けてこれたなぁって おもっている
昨年 看護学校の同窓会があり
よく芸能人が 結婚式の披露宴などで使われる
会場であったのだが
歴代の同窓生がみえ
もちろん 同期の友人も10人近く
やっぱり同窓会に来る方々は
みな それなりに 社会で活躍をされている方が
見えるのだろうと思うが
(私は その点は まったく活躍しているとは思わないよ
単純にその同窓会のゲストに さだまさしさんが来られるというから
例え参加費+年間の同窓会費が かかっても 魅力的だった)
十数年ぶりにあった仲間は
卒業して看護師をずっとしている人もいれば
そこからステップアップして
大学の先生になっていたり 医療系の企業をしていたり
卒業した大学の 病院の看護師のトップになっていたり
皆キラキラしていた
卒業後 数年働いたのち寿退職 結婚し 育児
子育てが落ち着いてきたころ 今働く職場に出会い
21年働かせてもらっている私には
キラキラ輝く みんなとは ちょっと
数歩下がっても足りないほど の状況ではあったけれど
とりあえず 勤続しているということで
同窓会の席にいることを 理由付けしていた
同窓会の席では
学校の歴史の話や この学校が発展するにあたって
ご尽力くださった学長先生のお話を聞くにつけ
あぁ
わたし この道に進めたこと本当にありがたかったなぁ
わたしが幼稚園生だった頃
父方の わたしとはかなり年齢の離れた従姉が 某大学病院の看護師として
働くために長野から上京した姿を見たときに
そのお姉さんに憧れ そして 看護婦さんになりたい!と思った
それ以降 将来の夢は看護婦になることだった
(このころは まだ看護師という言葉はなかった)
中学3年生になって 高校選びをするときに
看護科もある高校を探した時もあったが
両親は もし看護婦にならないことにしたら
普通科とは違うから選択肢の幅が狭まるし
高校でその科に行ったら 准看護婦からのスタ-トにもなるし
近いようでいて遠回りになるという情報をくれた
結果 普通科の高校に入学
そして
無事に看護学校にも入学ができた
看護学校は ハードで私の頭では
人一倍努力しないと
追いついてゆけない
かなり無理をしたのだろう 体調を崩し
単位を落とし 一年留年となってしまった
その際 副校長には もう難しいのでは?
と言われ
母はもう無理なのでは?と
確かに体は悲鳴を上げていたのだと思うが
今ここでやめてしまったら
今まで積み上げてきたものはどうなるのだろう
もう一度やってまたダメだったらどうしよう
自信もない
そんな葛藤の中
もう一度 自分の足元
土台を組みなおしてみよう
そして 4月より
下の学年の仲間と はじめ
無事に 卒業 看護師資格もとれ
付属の大学病院で働くこともできた
あの時に
看護師の夢をあきらめないという選択ができたこと
本当に良かったと思う
嫁いでから同居の義父が末期がんでいたときに
義父の願いで 在宅医療となった時にお手伝いができたこと
今まで認めてもらえなかった義母より
貴方がいなかったらお父さんの面倒は誰も見れなかった
と認めてもらえたこと
クリニックで 患者さんから こないだ診察に来たら
貴方がいなかったからさみしかったわと言ってもらえた
友人から 家族の病気の相談をされる
地域活動で救護班としてお声をかけてもらえる
日常のなかで 家族に貢献できていることができてよかった
毎日の何気ないところに
選択を迫られることが色々あるけれど
自分で選んでいくことはたいせつなんだなぁ