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東京一番町〜半蔵門:身近な面白い歴史

千代田区一番町


Google マップを開きます。「東京一番町」と打ちます。
出てきました、駐日英国大使館、半蔵門付近、
ダイヤモンドホテルなど、日本テレビ番町スタジオなんかもあります。
また国民公園皇居外苑半蔵門園地があります。


国民公園皇居外苑半蔵門園地1


現在整備中ですが、、、
国民公園3


千代田区一番町の由来は、江戸時代の武家地割に関連しています。
もともとこの地域は、江戸城の外堀沿いに位置し、
江戸幕府の重臣や旗本の屋敷が置かれていました。
〇〇丁目が付かない、単独の町名とも聞きました。

「一番町」という地名の由来


江戸時代にこの辺りは、幕府の組織である「番町」
(現在の千代田区の九段・麹町・番町エリア)
に属しており、江戸城を守る「大番組」(将軍直属の警備部隊)
の武士たちが住む武家地でした。
番町には一番町から六番町までの区画があり、
それぞれ番号が振られていました。
そのうち最も東側、つまり江戸城に近い地域が
「一番町」となったのです。
現在の一番町は、明治維新後に武家地が整理され、
住宅地や官庁街へと変遷を遂げました。
現在では出版会社や大使館などが多く立地、
千代田区の中でも格式の高いエリアとして知られています。
 

宝島社


出版会社の「宝島社」「ぶんか社」などもあります。

ぶんか社

 

一番町の特徴


その街を歩いていたら、自分が住んでいる地方の地域(奈良)と
「あれ?」と異なる部分がかなりありました。

その1:土が見えない。

当たり前かもしれませんが、都心では「土」が見える地面(おかしな日本語?)が極端に少ないです。植木の周りや道路の中央分離帯にある花壇あたりには少し土が見えていますが、ほとんどアスファルト、ブロック、タイル張の通路、道路、広場です。

その2:お店が小さい(コンパクト)

この東京都千代田区一番町はビル街で石造りの歴史を
感じさせるビルから、前面ガラスの、スキーのゴーグルのような
反射をもつ近代的ビルなどあり、コンビニ、スーパー、薬局などは
それらのビルの一階の一角にあるのがほとんど。
したがって面積は小さく、小さいので売られている商品数も少なく、
よって種類も少ないのです。

ビルに入っている「ファミマ」


けれども、裏を返せば、そのくらいで人間生活、
核家族なら暮らせていけるのでしょう。
人間生活の必需品の最大公約種を揃えておけば
なんとかなるのですね。

その3:警察が多い(安全性が高い地域)


半蔵門の入り口には屯所があり、この近辺は「皇居」や、英国大使館、南アフリカ共和国大使館などの駐日大使館がある地域なので、警察の警備が、他の地域よりも厳しいと感じました。

半蔵門の前の警備


英国大使館


人もビジネスマンが多く(東京は人口が多いので当然でしょうか?)行き来をしていて、皆、労働している感をだしているような気がします。

半蔵門の歴史:


半蔵門


半蔵門(はんぞうもん)の名前の由来は、
徳川家康に仕えた忍者・武将である服部半蔵正成
(はっとり はんぞう まさなり)に由来しています。

現代風服部半蔵

服部半蔵の家康に対しての忠誠逸話


本能寺の編で信長が明智光秀に倒されたとき、
堺に家康は光秀の追手を恐れて、家康は伊賀の山を超え、
伊勢へ出て、船で岡崎へと向かう最短ルートでの逃亡を試みます。
この時、伊賀越えの際の警護に当たったのが
服部半蔵率いる伊賀者とされています。
また、家康が三河(現在の愛知県東部)から江戸に移る際、
伊賀忍者たちを護衛として同行させたことがきっかけで、
彼らが江戸城の警護にも関わるようになりました。


現在の半蔵門

江戸城の門の一つである現在の半蔵門周辺には、
伊賀者(伊賀忍者)の住居が多く置かれ、
彼らが門の警備を担当していたことから、「半蔵門」と呼ばれるようになったとされています。(注:他の説あり)


半蔵濠

何気なくいつも通る地域にも興味ある歴史があるんですね。

四谷にある半蔵のお墓

中南米に出発する前にこの土地(一番町)の今と歴史を
整理してみました。身近なところにも興味ある歴史
があるのです。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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