大阪市南部「新世界」の歩みと今と発展
皆様、寒くなりましたね。
先日、久々に大阪天王寺近辺「新世界」を訪れました。-日曜日と祝日が重なり、翌日も休みの日だったのか、人でごった返していました。
インバウンドの影響が大で、半数以上は外国人でしょうか、串カツ、寿司、お好み焼きなどの有名店はどれも行列でした。
ふと頭に(新世界って言うけど、何で?由来は?)と好奇心が湧きました。以前はこんなにも観光地化していなかったのではないかな?
とも思いました。受け売りですが、
この大阪浪速区・天王寺区界隈は1903年の
「第五回内国勧業博覧会」によって発展した地域なのです。
ざっくり言えば、現在の新世界や天王寺公園一帯に内国勧業博覧会が1903年に開催されたのです。内国と言っていますが、
カナダ館もあり、性格は「万国博」に似たものだったような。
また、その時、大林組によって「通天閣」のルーツとなる「大林高塔」が建設されました。東京スカイツリーも大林組の建設ですから、「親戚」になるかもしれません。
この博覧会は明治政府が殖産興業政策の一環として開催した博覧会で、日本の産業技術の開発・普及に大きく貢献しました。
その跡地に1912年、新世界ルナパークや通天閣が建設されて、現在のUSJに劣らないくらいのレジャーゾーンが作られたわけです。この時代に繁華街「新世界」が形作られていったのです。
ロープーウェイも作られ、画期的な遊園地だったらしいです。しかし、万事上手くいきません。それも不景気で閉鎖となり、
第二次世界大戦に突入、戦争の戦火に会い、
通天閣の近くの映画館が炎上、金属の需要によって通天閣は解体、鉄の供給源として姿を消しました。
戦争が終わり、経済が徐々に上向きになってきた昭和30年代、1956年、地元のリクエストもあり、二代目通天閣が再建されました。
通天閣の守護神:ビリケンさん
まあ、これが新世界形成の略史ですが、現在もその性格は引き継がれていて、特に飲食街が、特に串カツが有名ですね!
寿司屋たくさんあります。焼き鳥もあります
また、この前は「串カツ、お好み、焼きそば、たこ焼き」と大阪グルメのこれでもか、というくらいのお店に行きました。
そこで気が付いたのですが、お店の従業員、
ウエイトレスさんたちが「インバウンド」なのです。つまり東南アジア系の女性が多かったのです。だからこちらが早口に行っても、キョトンとしてました。
「注文はこちらで」とQRコードを指さしていました。
訪れる人も外国客が多く、そして受け入れる人も外国人が多い、観光地の実態であります。
博覧会で日本の将来の産業の発展を目論み、その後は娯楽の街に変貌した新世界、その娯楽は現在も残っています。大衆娯楽:
そして、他では見られない弓道場がありました。
とまあ、大衆の街「新世界」、魅力の一つに飲食が安い!
(最近はしらんけど!インバウンドが釣り上げているのかもしれないですが)
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。関西圏の方はもちろん、日本、世界を問わず、ぜひ「新世界」古くても「新世界」をお訪ねください!おもしろいですよ〜〜〜〜〜!!!
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