東大阪の変貌その1河内花園・瓢箪山周辺

東大阪市の住民だった頃


昭和61年〜62年


1986年(昭和61年)〜1987年の1年間、私は東大阪市の東地域に住んでいました。
37年経った今、11月4日の祝日振替日にブラっと久々に
近鉄瓢箪山駅〜東花園駅〜河内花園駅近辺を歩きました。

近鉄瓢箪山駅
瓢箪山駅を南側に出た所

瓢箪山の由来

瓢箪山という山なんてあるのかな?と思って調べると、
「山畑古墳群の52号古墳、双円墳が瓢箪に似ていた」
からだそうです。またその古墳の横が瓢箪山稲荷神社で、
日本三大稲荷神社(伏見稲荷、豊川稲荷など諸説あり)の一つらしいです。

大きい広告塔
瓢箪山稲荷神社
その神社の横にある「瓢箪山古墳」


現在は瓢箪山の商店街は賑わっていました。
今日が祝日だからかもしれません。

瓢箪山駅から南方面のアーケード商店街
瓢箪山駅から北方面のアーケード商店街
瓢箪のデザインが可愛いですね!!

東花園駅

さて、瓢箪山駅から東花園駅まで来ました。
東花園駅は、以前駅前に「近商ストア」があったのですが、
それが高架の下の部分におしゃれはスーパーマーケットになっていました。

近商ストアが下にある東花園駅


近商ストアです!

河内花園

奈良県出身の私は、当初この雑多な雰囲気に馴染めず、
落ち着かなかったのですが、活気さがあり、
少しずつ引き込まれていきました。
河内花園駅から徒歩7、8分のいわゆる
「文化住宅」で居住、ドアを開けるとすぐにキッチン
、一間の中古アパートでした。
それでも実家から独立したという気持ちがあり、気分はポジテイブでした。

以前(だいぶ前)の河内花園駅
現在の河内花園駅


まず気がついたのは線路が高架になって、
特に河内花園駅、東花園駅はすごくおしゃれになったことです。
また、河内花園駅も同様で、昔からの市場はなくなり、
その代わり、100円均一ショップのビルができたり、
北側は高層マンションになっていました。
昔の面影もありません。
河内花園駅の南側は現在大開発しています。

河内花園駅南側


この更地にこの立て看板がありました!


しかしその一部に、未だ「花園本町商店街」が残っているのです。

花園本町商店街は現在も少し残っています。

昔ながらの道幅が狭い商店街で、以前はアーケードあったのだと思いましたが、、、横の「花園商店街」にアーケードがあったのを思い出しました。

だいぶ前の花園商店街の写真、アーケードがありました!!


神社があり、公園があり、そうそう、パンの耳をもらいにいったパン屋さんもありました。

津原神社

花園という地名


「なんで花園なの?」というまたまた、基本的な疑問がでてきました。
調べると二つの説がでてきました。
一つはこの地域で花の栽培が盛んだったこと。
花園地域は、大坂夏の陣の激戦地であった
玉串で死者の霊を弔うため無縁仏に
花を捧げたのが始まりと言われています。
江戸時代に入ると再び花作りが盛んになり、
大正時代から夏菊、昭和時代に入ると切花が盛んになってきました。
ということと、
花園地域にある寺社付近で花の栽培が行われており、
市場を通じて生駒の寺社に供給されていたことから「花園」という地名がういたという説があります。
どちらもこの地域には花の栽培があったのですね。
 
高校ラグビーの「花園ラグビー場」近鉄ライナーズの本拠地です。

花園ラグビー場です!もうすぐシーズンですね!!


 おまけにラグビー場の看板がある居酒屋を発見!!

ラガーが集まりそうな居酒屋ですね!!

お読みくださりありがとうございます。 


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