2027年のビーンズショップ 第7話 <伊豆高原>


日産デイズは熱海を抜け伊東に着いた。
 
『この辺りでランチにしょうよ。』と私は言った。伊東の駅前の商店街に昔は良く来た飲食店が何軒もあった。今もあるかどうかどうか分からないが、何軒かはあるだろう。車を時間貸しの駐車場に置き、その商店街を歩き始めたが、もう昔の頃の賑わいはなかった。
 
日本全国、何処でも商店も商店街も減っていて町は静かになっている。
 
私は温泉街の中で伊東は良くしっている。子供の小さい頃、家族でも良く来たし、ここから下田へ続く伊豆の旅行には年に何回も来ていたからだ。子供が大きくなってからは一人旅も多かった。
 
商店街から少しそれた所に比較的大きな豚カツ屋があって、そこが美味しかったのを覚えていたので、行ってみたら無事営業していた。
 
2人で店へ入り、豚カツ定食を頼んだ。こういう町へきてイタリアンだのフレンチだのを探しても大抵失敗する。豚カツ屋や日本蕎麦屋や町中華が良いのだ。結構美味しい店がある。
 
食べ終わった後、コーヒーが飲みたくなったので、その商店街を進んで行き、その通りの2階にあるコーヒー屋に入った。ここはカフェとしては比較的まともな方だ。昔はその先の横丁に大きな看板のコーヒー店があり、店はゆったりとしていてコーヒーも美味しく、よく新聞を読んだり、本を読んだりしたものだ。
 
温泉宿に泊まり、その町の喫茶店でゆっくりした時間を過ごすのはとても良いものだ。今では余り来なくなった伊豆だが昔は年に何回も来ていたのだ。今は草津で時々それをやったりしているが、草津の<大滝の湯>という共同浴場に長い事浸かり、出た所にある大きな休憩所でヨーグルトドリンクを飲み、本を読み、帰りがけの道に昔からある雰囲気の良いカフェでコーヒーを飲み、トーストを食べながら再び本の続きを読むのだ。
 
何だか谷川さんの話したチェンライの話と似て来たが、人はいつだって、そうやって静かなかけがえの無い時間を作って来たのだ。だから今日車の中で聞いた谷川さんの話は私にはとても良く分かった。そしてコーヒーはそうした場所でとても大切な飲み物なのだ。
 
『それでは伊豆高原に行き、最初の物件を観てみましょう。』と私は言った。『分かりました、それでは真っすぐ物件に向かいます。一応調べてあるので、分かるとは思いますが、今日は不動産屋は呼んでいないので内見は出来ません。城ケ崎海岸という場所なんですが。』
 
『分かりました。城ケ崎海岸なら私も何度か行った事があります。吊り橋があったりする場所ですよね。』
 
車は真っすぐ城ケ崎海岸の物件に向かい、暫くすると景色が全く変わり、断崖絶壁の海岸の上に高級別荘が建ちならぶ別荘地へ出た。その中の一軒の別荘の前で車は止まった。結構大きな別荘だった。始めて物件を観た谷川さんも驚いた様だった。『結構大きいですね。立派だし。』
 
この先を下に降りたところに<ボラ納屋>という魚料理の店があるんだよ。昔一度、友達数人と来た事がある。』
 
二人で建物の周りをよく調べ、周りの別荘も外側から何軒んか観た後、谷川さんが言った。『何かイメージが違います。海は見えるけれど断崖絶壁だし、雰囲気も高級すぎる様な気がします。人の匂いの様な物が感じられないし。』
 
二つ目の物件は明日見る予定の西伊豆にあるので、私が提案した。
 
『それじゃあ近所の不動産屋でも観てみようよ。』
 
『はい。』
 
『大室山という所があり、伊豆高原のもう一つの別荘地の中心なんだけけれど、その辺りにも別荘は沢山あり雰囲気もちょっとちがうと思うよ。』
 
という事で、大室山迄の道を走りながら、不動産屋を探した。道沿いに大きな看板を出している不動産屋を見つけた。駐車場に車を止め店内に入ってみた。
 
係の男の人が『まあ、お座り下さい。』と言い、私達は革張りの応接セットのソファーに腰を下ろした。女の子がお茶を持ってきた。お土産用のセロハンに包まれたおせんべいもついて来た。係りの男の人が名刺を出し、私達二人に渡した。この人が社長らしかった。社長はタヌキに似ていた。生活に疲れたタヌキという感じだった。
 
谷川さんが説明した。『カフェ付のミニホテルをやりたいと思っているんですが、何かそうした物件はありますか。』
 
『いろいろありますが、価格もいろいろなんで、何坪位の物件をお探しですか。』
 
谷川さんが答えた。『客室が3つか4つ。それに少し大きめのカフェ、後、私達が暮らすスタッフルームも必要となりますので、50坪前後は必要になると思います。』
 
『分かりました。それでは暫くお待ち下さい。』
 
と言いながら、ファイルを選別し始めた。10分ほどしてこちらへ戻ってくると。
 
『今ある物件で、お客様の要望に近い物件です。これとこれとこれ。三件です。』
 
と言いファイルをテーブルの上に置いた。
 
『物件を実際にご覧になりますか。ご覧になるのなら今この娘に案内させます。私は先約がありますので、出かけられないのですが。』
 
『それでは物件を見せて貰います。』と谷川さんが言い、女の子は直ぐに物件の鍵を探し、車に向かった。車はベンツだった。社長のベンツなのだろうが、仕事で使っているのかも知れない。私達は二人でベンツの後部座席に座り、何となく黙っていた。
 
『ベンツか。』と私は思った。『やはり不動産屋だ。儲かるんだろうな。』と声を出さずに呟いた。
 
最初の物件は平屋だった。もとペンションだったという事だった。入り口に続いて、フロント、リビング、ダイニングがありそれなりに広い。その先に進むと個室のドアが4つ並び、その先にスタッフ用の部屋があるという作りだった。
 
『なかなか素敵だね。』と私は谷川さんに言った。谷川さんは『ハア。』と答えたが、そのハアは何となく違うという事を良く表していた。
最初のフロントとリビング、ダイニングを潰せば、それなりの広さのカフェが作れそうだったが、谷川さんは余り気乗りがしないようだった。
 
二つ目の物件は二階建てだった。『こちらは元ある会社の保養所です。』とウサギに似た可愛い女の子は言った。こちらは定番の作りで、一回にフロント、リビング、ダイニングが並び、広い階段を上がっていくと部屋が六部屋あった。聞いてみると従業員用の部屋は一階の奥にあるという結構広い作りだった。
 
『どう。』と私は谷川さんに聞いた。谷川さんは『ハア。』と再び気の無い返事をした。余り気に行っていないのだ。
 
三つ目の物件は少し小さかったが、それなりに綺麗な物件だった。その物件も谷川さんは『ハア。』で済ませてしまった。谷川さんは女の子に『よく考えて、欲しい物件があったらご連絡します。このファイルの中身は頂いていってよいですか。』
 
再び、二人でベンツの後部座席に乗り、不動産屋に戻ると本当に客が来ていた。私達は不動産屋の社長に挨拶して日産デイズに乗った。
 
車に乗った後、私は聞いてみた。『もう少し探してみる。』と私は聞いたが、谷川さんは『今日は少し疲れましたので、もうホテルへ行きましょう。』と言った。
 
確かに、もう時間は四時半を過ぎていた。朝、東京を出発し、物件を何軒か見ただけだが、私もかなり疲れていた。
 
『さっきの不動産屋の女の子、ウサギに似ていてかわいかったね。社長の愛人かな。』と言ってみた。谷川さんは『どうですか。』と言ったまま黙ってしまった。
 
事態が上手く行かない時、詰まらない冗談を言うのが私の癖だが、それで事態が好転する事は無く、ますます悪化するだけなのに、それが分かっていながら、なかなか止められない。それは私の一種の病気なのだ(笑い。)
 
ホテルへ着いてそれぞれの部屋へ入ってから、直ぐにお風呂に入った。ここは大浴場は無く、昔の温泉旅館で言う<家族風呂>が幾つもあり、気に入ったお風呂が空いていれば、中へ入って鍵を閉めれば貸きりになるというシステムだ。
 
谷川さんとは7時半にダイニングで会う約束になっていた。お風呂にゆっくり入り、部屋へ戻り、一時間半程眠った。

第7話 終わり 第8話へ続く


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