2027年のビーンズショップ    夢の途中  第6話 伊豆へ



 
その朝は快晴だった。30代の男と70代の男2人のドライブ旅行の始まりにはもったいない様な天気だった。二人とも暇な為、行く日は直ぐに決まったが、何しろ何から何まで始めてなので、待ち合わせの場所を決めるのも大変で、どうにか吉祥寺の駅前ロータリーで八時に待ち合わせる事になった。ロータリーの銀行の横で待っていると谷川さんが来た。
 
『おはようございます。車はこっちです。』という事で少し離れた場所に置いてある白い車の所に案内した。谷川さんが言った『恵子も来たそうだったんですが、まあ、今回は何が何処にあるのか全く分からない為、二人だけでという事にしました。』
 
私は谷川さんがどんな車で来るのだろうと思っていたら、白い普通の乗用車だった。後で、聞いたら日産のデイズと言う車だったので安心した。これがベンツだったりしたら少し嫌な気がしたかも知れない。
 
『良い車だね。』と私は言ってみた。『普通の車です。それに中古で安いのを買いました。』
 
中古の日産のデイズは吉祥寺駅前のロータリーを無事出発した。今日はまず伊豆高原を目指す事になっていた。私は、車は運転しないので道は分からない。
 
うちは私も奥さんも娘も、今は無き父と母も誰も車の運転はしないので、友達に『お前の家は江戸時代だな。』と言われた事もあった。確かに今時珍しいかも知れない。理由は良くは分からない、昔、先祖が馬車にでもひかれた事があったのかも知れない。人生は不思議な物だ。
 
『お昼はどうしますか。』と谷川さんに聞かれ、『伊豆高原についてからにしましょう。そんなに遅くならないとは思うから。』と答えた。
日産デイズは快調に伊豆高原に向かって進んでいた。スマホで調べると二時間半位と出ているが、まあ、少し道が混んでいても、一時間は余分を見れば着くのではないかと思う。そうするとお昼前後に着く予定だが、本当はどうか分からない。学校はまだ夏休み前だし平日でもあるので、そんなに道が混んでいるとは思えないがどうだろう。
 
夏の海水浴シーズンが始まると、伊豆の東海岸の道路は混雑するのが普通だ。毎日渋滞が続く、車の多いわりに道は少なく狭いのだ。
 
伊豆高原は伊東市に属するが、所謂、伊東温泉と全く違う場所に位置している。伊豆急が開発した大規模リゾート地で、一時期は、観光客は多かったが、今はそのブームも終わり、静かな別荘地になっている。
 
今日はまず伊豆高原で一泊することになっている。宿泊施設は、今回は私が任されていて、今日は以前一度泊まった事のある<ホテル&スパ アンダリゾート伊豆高原>という宿をとっておいた。
 
伊豆のバリという可笑しなコンセプトのホテルだが、気が張らなくて丁度良いと思ったのだ。オールクルーシブという事で中での飲食には一切料金は掛からないが、料金はその分高くなっている。ただ、高級ホテルと言うのでは無いので、それなりだと思って使えば使いやすい。
 
話は急に変わるが運転している人にとって運転中に助手席の同乗者に話しかけられるという事はどういう事なのだろう。危ないのか、嫌なのか車を運転しない私には分からない。でも谷川さんは平気で話しかけて来るので、多分大丈夫なのだろう。
 
私は最初から聞きたかった事を聞いてみた。
 
『谷川さん。宿泊施設というのは普通面倒だと思うんだよね。何で宿泊施設がやりたくなったの。昔、おじいちゃんでもやっていたの。』
 
谷川さんは暫く考えていたが、どう話すか考えていたのだと思う。
でも決心したように話し出した。
 
『話せば長くなるんですが、実は大学を出てかある大手の銀行に就職したんです。ところがそこの仕事が全く自分に向いていなかったんです。毎日ただただ忙しいんですが、仕事は詰まらないし、人間関係もとても嫌な物でした。だんだん鬱ぽくなり、二年で退職しました。まあ何処にでもある話です。その後、何もする気が起こらず、引きこもりになりました。鬱の引きこもりです。その後、部屋で引きこもりを続けていたんですが、半年程経った時、これではいけない駄目になってしまうと思い、旅に出ようと思ったんです。
 
お金が無いので、アメリカやヨーロッパは無理だと思いましたが、アジアなら、まだどうにかなりそうだったんで、アジアの貧乏旅行に行く事に決めたんです。その頃は円も今ほど安く無かったしアジアの旅行と言うのはバリでアマンダリに泊まるという様な物でなければそれなりに安価なものだったんです。
 
家財道具を売り払い、アパートを解約し、残っていた貯金を全て纏めて漸くある程度の金額を作りました。その頃よく読んでいた、沢木耕太郎さんの<深夜特急>の影響もあったと思います。』
 
谷川さんの長い信仰告白の様な話はまだまだ続いた。彼にしても話しておきたい事だったのかもしれない。長い告白はまだまだ終わらなかった。
 
『今はもうそんな事はありません。円は安くなっているし、向こうの物価も上がっています。私はベトナム・タイ・ミャンマー・カンボジアとうろうろしながら、旅を続けているうちに気が付いたら鬱も治り元気も出て来たんです。ある時タイのチェンライとい街に流れ着きました。そこで樹上カフェ&ホテル<花の樹>という所に泊まったんですが、どういう訳かそこに一年いる事になったんです。一年と言っても宿代は10万円位でした。一か月ではないですよ一年でです。
 
チェンライはコーヒー豆の生産がさかんな町で、近隣のコーヒー農園がいろいろなカフェを出しているんです。私の泊った<花の樹>という名前の店もカフェの上に宿泊用の部屋があるという作りでしたがそういうカフェが沢山あるんです。山下さんはチェンライという町をご存じですか。』
 
『いや知らない。』
 
うちではタイのコーヒーなど焙煎した事は無かった。
 
『チェンライは農園の町です。昔は主に阿片を作っていたんですが、このままでは不味いという為政者が現れ阿片栽培をコーヒー豆の栽培に変えていったんです。それが何とか成功して、今では町の周囲にコーヒー農園が多く、そこが自分の家で栽培したコーヒー豆を飲ませるカフェを作るので、町にはカフェがたくさんあります。
 
私は毎日<花の樹>でコーヒーを一杯飲んだ後、本を一冊持って、ふらふら町へ出てゆき、昼はあそこ、午後はあそこ、夜はあそこと、手あたり次第カフェに入っては日本から持ってきた文庫本を読み続けました。そのまま席で眠ってしまう事も何度もありました。
 
それは私にとって始めて訪れた大いなる静寂の時であり、至福の時でもありました。ただ、幾ら滞在費が安いとは言ったって、もともと沢山のお金を持っていたわけでは無いので、旅行資金は底をつき始めていました。
 
そしてその頃、流石に心配した東京の家族の心配もマックスに達し、何でも良いから一度帰って来てくれという嘆願書の様なメールも何通も来て、私もそろそろこの辺が潮時かなと思い始めたんです。
 
大いなる静寂と至福の時は終わりを迎えたんです。』

第6話 終わり  第7話に続く

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