記事タイトル  ぼく は どう生き方を きめてきたか  どうして ひとは 自殺したり 犯罪をしたりするのか   ??? 

ぼく は フジテレビ 集英社 一直線 だった   最近 あの おおらかで 神聖な  コナミ ハドソン川は 瓦解し くすりやの独り言 まで に なった   これは 台風がきて 季節の汚れ が リセットされる ・・・  ようなものである


ぼく は どうにかして  あの 明るく ひろびろとして ちからづよく チームワーク で 分業できていて  オフザケで 何でも  アリ と しちゃう  じだい を 茶化してやっていってしまう フジテレビ  集英社 に あこがれたし  なんとか そういう空気のチームに 入りたかった   これは 芸能界?という 壁 が あったようにおもえる
あの 活気は毎日が祭りのように 政 祭りごと の ように おもったし  めちゃイケは 毎週 やっていた  ふつうの事 だった   元気がでるテレビも ひょうきん族も 風雲たけし城も だれでもピカソも  ダウンタウンも   あたり前に 毎日 みていられたものだった  それだけ


爆笑オンエアバトルなど 熱い時代も あったものの  じだいは インターネットになり  永井先生 佐々木さん 藤崎瑞希 が 現れ ( いわゆる いって 当時の 御三家 である )  山下伊豆見くんが 藤崎瑞希に魂揺すぶられて となり  犯罪的 無法地帯 社会毒 ・・・  の インターネットが ひとつの主戦場 に なっていく
暗黒放送の天下も かぎりなく つづいた   それだけ だった   おれ は 興味なかった ( ああいう毒にそまれば毒にそまる  というような ノリ が すきなひとたちは おるが  主に 牛耳られると 強欲である   シバターさえ ニコ生を やらなくなってしまった   あれ は 横山さんの捲いた種 だったのだから  おれ は しらない ・・・ )
暗黒でなければ ニコ生でなし   という 流れがあり  そこから 一応 加藤純一  ヒカキンたちが 生まれる事になった  !!!



おれ は ・・・ なんとか なんとか 独立をしたかった   評価も 金も 名誉も要らない  餓えていて けっこう   ただ 独立は 楽しかった
基地外 といわれて けっこう  はみだしもの けっこう ・・・
ひとつの 大衆迎合主義は とれない  ぼく おれ だったのかもしれない ・・・  そこは ヒカキンや 加藤純一  オーイシさんたち が いますから ・・・


若いときは 骨ぼねしく すじがなく  主張もできず びびって 逃げまわって   それだけ だった   家族の中でも ゴミ 芥 で ありました    20代のぼく は 只の ゴミ カス 我 欲 の固まり  およそ 20代のわかものらしい だめ さ に 溺れていた


落伍者
でも そんな事 一切 気にならないほど  楽しかった
雨に歌えば の ジーン・ケリーの 気もち かなあ ・・・


永井さん永井兄弟 佐々木さん 藤崎瑞希   天衣無縫 だった   要 は うえてしななければいいし  法律と 憲法にてらして  そこまで 極悪 でなかったら 生存 は 許されるのだ  許容 されるのだ   わかいときの ぼくのように 糞みたいにリスク管理できなかった   というのの 逆  を やればいいのだ
これでいいのだ





ぼく って キの字 だったのかなあ ・・・
まあ こういう奴も おるよね


縁 や ゲーム サークル  大衆 大衆性を癒す効果が ある
おれ は チームワークを大事にする  我 に 執着 するのを やめた
ぼく は はじめは まぬけで 自己主張もできない餓鬼 だった


















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